19話 デート(仮)
「合流は何時にいたしましょう?」
「そうだな、四時で頼む」
「承知いたしました」
幽貴の運転する車は昼過ぎの街へ消えていった。
「ひ、人が多い……。これが帝都の中心部……」
静乃はもうクラクラしていた。煉瓦街を行き交う人の波。見上げるほどの高層建築物。生まれ育った村とは何もかもが違いすぎる。
「隅田村も帝都の一部だろう?」
「こんなに栄えていなかったもの……」
初めての場所に初めての格好でやってきたこともあって、静乃は周囲の視線がとても気になる。みんなが自分を見て内心で笑っているのではないか。そんな不安に襲われる。
「安心しろ」
千景が静乃の右手を握ってくれた。
「俺から離れなければ、何も恐れることはない」
硬い手だった。ごつごつしていて、どこかひんやりしている。夜、体に触れた時はあんなにぽかぽかしていたのに。
千景に手を引かれて、静乃は帝都のど真ん中を歩いていく。
着物と洋装が入り交じった不思議な街。人々は皆、楽しそうにしている。
「ここに入るぞ。――よう、店主いるかい」
千景に連れられて入ったのは呉服店だった。色鮮やかな着物が並んでいる。
「おやおや、静狩様。お久しぶりでございます」
「連れの服を買いたいと思ってな」
「ほう……これは麗しいお方ですな」
「は、初めまして」
生真面目そうな初老の店主は、静乃に合いそうな着物を見繕ってくれる。
「ここは浄魔師がよく来る店で、妖魔の攻撃に強い繊維で作られた着物も扱っているんだ」
「そんな服もあるんだ」
「お前が仕事で来た袴もなかなか動きやすかっただろう? あれもこの店のものだ。激しい動きに対応できるようになっている」
「そういえばまったく引っかかりがなかったわ。都会にはやっぱりいろいろあるのねえ」
「ふふ、いかにも田舎からやって参りましたという感じだな」
「じ、事実だから仕方ないじゃない」
「そこがかわいらしいという話さ」
「も、もうっ! こんなところでからかわないで!」
「事実だから仕方ないだろう」
「その言い方がもうふざけてる……!」
店主が微笑ましそうにこちらを見ている。
「これなどお似合いかと思いますねえ」
青い生地に花柄があしらわれている二尺袖の着物で、仕事で着る袴に合いそうである。
「よし、買おう」
「そ、そんなにあっさり? 大丈夫なの?」
「店主の目と俺の感覚を信じろ」
千景は代金を支払うと、静狩本家へ送ってくれるよう店主に頼んだ。
「……人前でからかうのはやめてほしいわ」
「お前の反応があまりにもいいから抑えられん。今もかわいいと言いたい」
「う……その、ありがとう……」
さっきから恥ずかしい思いしかしていない。
「何か腹に入れるか。そうだ、静乃にはぜひとも味わってもらいたいものがある。こっちだ」
また千景に引っ張ってもらって、近くにあった小さなカフェーに入った。テーブル席が三つあるだけの小さな店だ。
「これを知っているか」
「クリームソーダ?」
「飲んでみろ。驚くから」
「じゃあ、いただくわ」
「俺はアイスコーヒーをもらおう」
しばらく待っていると、給仕の女性がクリームソーダとコーヒーを運んできてくれた。
「ストローで飲むんだぞ。このように」
千景がストローでアイスコーヒーを飲んでみせる。静乃は少しためらってから手を伸ばし、飲んでみた。
「……! しゅわしゅわして、すっぱい!」
「ここのクリームソーダはレモンを使っているからな」
「すごい。こんな味は初めて」
「遠慮せずに飲むといい。たまには贅沢を楽しめ」
「う、うん」
静乃はクリームソーダをゆっくり飲んだ。口の中ではじける感覚が面白くて、千景と話すことも忘れて夢中になった。浮いているアイスクリームも食べてみると、たまらない甘さが広がる。甘すぎて足をバタバタさせたくなった。
飲み干してホッと一息つく。正面を見ると、とても穏やかな顔をした千景が静乃を見ていた。
一瞬で全身が熱を帯びる。
完全に無防備な姿を晒していた。クリームソーダがおいしすぎて、千景の視線をまったく気にしていなかった。
静乃は両手で顔を覆った。
「……見ないで」
「無邪気な子供のようだった。なんというか、癒しだな、お前は」
「こんなつもりじゃなかったのに……」
「口に合ったなら何よりだ。連れてきた甲斐があったというもの」
「よくないことをどんどん教え込まれている気がする。帝都は誘惑だらけの危険な街ね」
「たくさん店を教えてやるぞ」
「ほ、ほどほどにお願い」
千景はふっと微笑んだ。
「これからお前が守っていくべき街だ。妖魔が暴れれば街は簡単に壊れる。この味、この景色が当たり前のものであるように俺たちが戦うんだ」
「……急に真面目になったわね」
「ふざけてばかりいるとお前からの信頼がなくなりそうだからな。これで少し回復しただろう」
「またふざけてる……」
静乃はムスッとした顔をする。千景が笑った。
「いやいや、本当に愉快だ。今までこんなに笑ったことはない。お前には俺の心をほぐす何かがあるようだ」
「むー……」
からかわれているだけにしか思えないので不満を表明しておく。
千景は気にしていなさそうに残りのコーヒーを飲み干す。
「ふう、優雅な昼時だった」
「あの……」
「なんだ」
「また、連れてきてもらえるかしら?」
「もちろんだ。いつでも言え。できるだけ叶えよう」
「あ、ありがとう」
会計を終えると、千景が先に外へ出ていく。静乃もついていこうとしたが、給仕の女性が話しかけてきた。
「あなた、すごい方なんですね」
「そ、そうですか?」
「あの方にはよく利用していただいてるんですが、いつも外を見ながら無表情にコーヒーを飲んでいるんです。あんなに楽しそうなお顔は初めて見たので」
「……わたしの反応が面白かったみたいです」
「ぜひ、また一緒にいらしてください」
静乃はお礼を言って外に出た。千景は懐中時計を見ている。
「さて、街も楽しんだし、一仕事するか」
その言葉で、静乃は緊張感を取り戻す。
「わたしはどうすればいいの?」
「ひとけのない路地を歩いてくれ。俺は気配を消して様子をうかがう。敵が食いついてきたら、時間を稼いだ上で制圧する」
「時間を?」
「複数人で仕掛けているなら、なるべく大勢捕まえたいからな。集まってくるのを待つ」
「わかった。お互いに気をつけてやりましょ」
「お前の方が遙かに危険なんだぞ。よくよく注意しろ」
静乃はうなずき、薄暗い路地へ入っていった。