16話 自信がなさそう
〈裏店〉本部に戻ると、小毬と一緒に銭湯へ行き、汗を流した。
帰ってきたらあとは寝るだけである。
……千景さんは先に寝ていろと言っていたけど……。
あとから入ってこられる方が緊張する。いや、同時に寝るのも同じだろうか?
「わからない……。なにもかも初めてだから……」
思わず頭を抱える静乃だった。
寝間着に着替えると、ベッドに乗って横になる。帝都では洋装の寝間着も流通しているらしいが、さすがの千景もそこまでは入手していなかった。
落ち着かない気持ちで真っ暗な天井を見つめる。
水鈴と母のことを思った。父に無茶なことを言われていなければいいが。父はどんなきっかけで怒りを爆発させるか想像がつかなかった。二人に理不尽が襲いかからないよう祈るしかない。
――男は生まれず、片方は浄魔師の素質なし。俺が何をした?
水鈴にまったく霊力がないことが発覚したあと、父はつぶやいた。
母は水鈴を生んだあと体を壊しがちになったので、三人目を生んだら死んでしまう危険があった。
――なぜ俺にばかり不幸が降りかかるんだ。俺は浄魔会に尽くしてきたのに……。
いま思えば、あれは負傷で霊力を生み出せなくなったことを嘆いていたのだろう。
――静乃、灰崎家が長生きできるかどうかはお前にかかっている。水鈴が使えない分、お前が灰崎家を背負うのだ。
その通りにしてきたつもりだった。結局、誰一人として報われない結末が待っていたわけだが……。
☆
「まだ起きているか?」
どのくらい時間が過ぎたのだろう。千景がドアを開けて入ってきた。
「ええ、目がさえちゃって」
「そうか」
千景が布団の中に入るのがわかった。静乃は背中を向けている。
「最初は契約だけの結婚と思っていたんだ」
いきなりそんなことを言う。
「そうじゃないの?」
「いろいろと思うところがあったんだが……今は素直に静乃に惚れている」
「え……ええっ!?」
思わず体を反転させ、千景を見た。室内にはうっすら月明かりが差し込んでいるだけ。どんな顔をしているかは見えない。
「まだ会ってそれほど経っていないのよ、わたしたち」
「わかっているさ。だが、お前は精神的に強い。その上で浄魔師としても強い。惚れ込むには充分すぎる」
「は、はっきり言われると恥ずかしい……」
「慣れないことをするとオロオロするところはかわいらしいし、服を着こなせば凜々しい。切れ長のたれ目というのも正直俺の好みだ」
「ちょっ、や、やめて!」
「どうした? 好きなところを挙げているだけなんだが」
「そ、それが恥ずかしいって言ってるのよ……!」
そうか、と千景はしばらく黙った。
精神的な強さを褒めてもらえることは嬉しい。その一方でオロオロしているところを褒められても恥ずかしいだけだし、目つきを褒められるなんてあまりに予想外だ。
「ふふふ」
「な、なによ」
「お前は褒められ慣れていないようだからな、俺がたくさん褒めてやる。そして駄目になるほど甘やかしてやる」
「そ、そんなことされたら壊れちゃう……」
声が小さくなる。
「まさか輝妖石の解放に必要な相手がこれほど自分にしっくりくる女だとは思わなかった。今ばかりは神を信じてもいい」
「大げさね……」
「これでも言い足りないくらいだ」
千景が背中に腕を回してきた。そっと触れようとするその手つきを、静乃は懐かしいと思った。
「遠慮してるみたい」
「なぜわかった」
「妹が抱きついてくる時、こうやって気をつかいながら触れてきたのよね。それにそっくり」
「むりやりは俺の道義に反する。お前が嫌ならこれだって突っぱねてくれていい」
「そんなこと思わないわ」
静乃は自分から、千景の胸板に頭を当てる。
「温かくて落ち着くもの。そのままの千景さんでいてほしいわ」
「触れていてもいいんだな?」
「そのつもりで入ってきたんじゃないの?」
「うん……実は俺も、距離感がよくわかっていない」
ちょっと自信がなさそうな声だった。
……あれ? かわいいかも……。
そんなことを思った直後、とっさに頭を振った。
「痛いぞ」
「ご、ごめんなさい。変なことを考えちゃった」
「変なこと? 俺は乱暴するつもりはないぞ」
「そ、そうじゃなくて!」
そうではないが、どう説明すべきかもわからない。この世にはわからないことしかない。
「静乃はぽかぽかしているな」
「……千景さんも、体温高いわね」
「気のせいだろう」
「じゃあ、千景さんのも気のせいよ」
なんとも言えない空気感のまま、夜はゆっくり更けていく……。