12話 静狩本家
「おお、見違えたぞ」
隠れ家に戻ると、千景が出迎えてくれた。
「どうですか千景様! ばっちり整えてあげましたよ!」
「見事だ、小毬。やはり妻が輝いているのは嬉しいものだ」
「……わたしたちは契約だけの夫婦ではなかったの?」
「そうだったとしても、ボロボロの姿で置いておくのは忍びない」
久しぶりにしっかり髪を洗ったことで、黒髪が本来の艶を取り戻した気がした。少なくとも、人に会って恥ずかしい格好はしていないと思う。
「よし、さっそく出かけるぞ」
「お仕事?」
「お前はそればっかりだな……。今日は違う」
千景は真剣な顔をした。
「俺の生家――静狩家にお前を紹介する」
☆
〈裏店〉の拠点から少し離れた場所に空き地があり、そこに自動車が止めてあった。
軍服を着た青年が敬礼で出迎えてくれる。
「本家まで頼む。静乃、ここに乗れ」
「は、はい」
いきなり静狩本家に連れていかれることになって、静乃はあたふたしていた。
「初めまして、〈裏店〉の運転手をやっている直原幽貴といいます。以後お見知りおきを」
「よ、よろしくお願いします……」
車はガタガタ激しく揺れながら走り、街中を駆け抜けた。
やってきたのは日本橋方面にある豪邸であった。
「千景様、お久しぶりでございます」
「みんなそろっているんだな?」
「もちろんでございます」
門前で年老いた使用人が待っていた。静乃をちらりと見て、また千景に視線を戻す。
「では、どうぞ」
静狩家は高い塀が本邸を取り囲んでおり、門を抜ければ手入れされた松が出迎えてくれる。庭の池は石橋を架けられるほど大きく、鯉がたくさん泳いでいる。
「緊張しているな」
廊下を歩きながら千景が話しかけてくる。
「と、当然でしょ。静狩一族と面会するなんて下っ端の浄魔師じゃありえないことなんだから」
「灰崎久吾がお前の戦果を握りつぶしていなければ、もっと堂々と六家に出入りできたんだぞ」
「……そうなのね」
名前を書き換えられていた討伐報告。少なくとも、父は浄魔会本部に対しては誠実だと思っていた。苛烈な顔を見せるのは家族に対してだけだろうと。そんな期待すら裏切られた。
「お前の父親は本部に対し虚偽報告を行った。本来であれば即座に首が飛ぶような案件だ。しかし今は証拠がない」
「わたしの証言だけでは足りないのね」
「そうだ。静狩家は浄魔師を公正に取り締まる浄魔師。ゆえに明確な証拠を持たずに浄魔師を裁くことはできない」
静乃があったままを暴露しても、「娘が私を陥れようとしている」と言われれば静狩家は何も反論できない状態なのだ。
灰崎久吾は分室室長。静乃は四等級の浄魔師でしかない。強い方の発言力が勝つのは自然な流れだ。
「証拠なんて全部消されてると思うわ。お父様は室長を降りるつもりなんてないでしょう」
「できる限り手は打ってみるつもりだ。そのあいだに妹と母親が家を追い出されるようなことがあったらすぐ保護するよう、隅田村に配置した部下には伝えてある」
「ほんと!?」
「だから心配いらん」
「……ありがとう」
静乃は脱力しかけた。壁になっていた自分がいなくなった今、水鈴と母を父の横暴から救える者はいない。しかし最悪の事態は回避できそうだ。
「ここだ」
千景が足を止めた。庭に面した邸の西側。障子の開いている和室が一つある。
「父上、母上、千景です。婚約者を連れて参りました」
「入りなさい」
千景が静乃を見て、一つうなずく。
彼のあとについて部屋に入った。建てに長い部屋で、細机が並べて置かれている。上座に座るのは風格ある男女。
その下に青年が二人、向き合って座っている。全員が和装だ。
静乃と千景は下座に並んで正座する。
「報告を」
当主と思わしき男が言う。
「輝妖石の完全解放に成功いたしました。その過程においてここにいる灰崎静乃と血を交わしましたゆえ、静狩家のしきたりに従って夫婦となります」
「輝妖石を見せよ」
千景はポケットから紫色の石を取り出し、手のひらに乗せる。霊力を込めると、石がまばゆい閃光を放った。静狩一族も、この閃光にはさすがに少しひるんだ様子だ。
「……見事。霊力の中に邪念のない妖力を感じた。これならば半妖の暴走も抑えられよう」
「認めていただけますか」
「貴様たちはどうだ。わしは認める」
隣の女性と、青年二人もうなずいた。
「輝妖石の完全解放は確かに見届けた」
「では、かねてよりお願いしておりました対妖魔特殊制圧班〈裏店〉の設立についても許可をいただきたく」
「よかろう。半妖たちは貴様に託す」
千景は手をついて深く頭を下げた。静乃も真似した。
「だが、もし半妖が問題を起こした場合、すべての責任は貴様がかぶるのだ。理解しているな」
「もちろんでございます」
「よろしい」
二人で頭を上げた。
「灰崎静乃……と言ったな」
「は、はい」
「わしは静狩家当主、静狩時重だ。こちらは妻の絹子」
「よろしくね、静乃さん」
時重、絹子夫妻には、父になかった余裕を感じた。
「貴様の父、灰崎久吾も昔は妖魔の討伐に活躍した勇猛な浄魔師であった」
「…………」
「あるとき任務で負傷してから霊力が一気に弱り、前線で戦えなくなった。我々はそれまでの功績を評価し、隅田村分室を与えたのだ」
「そう、だったのですね……」
なぜ父が自分で戦わないのかは、訊いたことがなかった。
「だが、妙な疑惑が持ち上がっているな?」
静乃は思わずひれ伏した。
「父が、ご迷惑をおかけしているようで申し訳ございません」
「ご迷惑どころではない。虚偽報告も問題だが、そのために本部は喉から手が出るほど欲していた腕利きを一人失ったのだ」
「…………」
「貴様のことだ、灰崎静乃」
静乃は顔を上げた。
「半妖にさえならなければ、今頃は本部で期待の若手として活躍していたであろう。父親の妄執に人生を狂わされ……哀れなものだ」
「わたし、は……」
「だからこそ、私が静乃を幸せにするのです」
千景が宣言し、静乃は横を見た。
「こうして血を交わしたのも何かの縁。契約だけと思わず、仲を深めていけたらと」
……立場だけ貸してくれって言ってなかった?
どうも前の話と違っている。何か心境の変化でもあったのだろうか?
……私が、幸せにする……。
千景の言葉を反芻する。幸せ。それがどんなものなのか、静乃にはまだわからない。彼と一緒に暮らしていたらいつか理解できるだろうか。
「半妖に寛容たれ。言うは易く行うは難し。我が家でためらいなくできるのは貴様だけであろう。大切にしてやれ」
「はっ」
「では静乃」
「……はい!」
「今より貴様を静狩家の一員として迎える。今日からは静狩静乃と名乗ることだ」
「こ、光栄でございます」
返答はこれで会っているのだろうか?
「我ら静狩家は浄魔師の取り締まりを引き受けておる。貴様が浄魔師の掟を犯さぬよう、静狩家の恥とならぬよう、祈っておるぞ」
「……覚悟して、日々を過ごします」
「なあお嫁さん、それなりの腕だって聞いてるんだがよ」
口を開いたのは左側に座っている青年だった。飛び跳ねた黒髪は千景によく似ているが、いささか人相が悪い。つり目がきついせいであろう。
「半妖の実力に興味があるんだ」
青年はにぃっと笑った。
「千景が認めた力……俺に見せてくれねえか?」