【1】②
◇ ◇ ◇
「あー、暑う! 夜になってもそんな涼しくなんないよねぇ」
ほぼ効果なしとわかりつつもパタパタと手で顔を扇ぎながら、佳純は隣を歩く義兄に話し掛けた。
「アスファルトの輻射熱だろ。まあ街に暮らすならしょうがないよ。──佳純、上見て。空」
「空?」
唐突な博己の指示に疑問符が浮かぶ。それでも逆らわず義兄に倣って立ち止まると、佳純は顎を反らして天空を見上げた。
「あれ、わかるか? ベガ」
彼が真っ直ぐ伸ばした腕と指の先を目で追う。高層マンション群の向こうの晴れた夜空に、まばらな煌めき。
「えーと、あの明るい目立つ星?」
「そう。で、右下の方のあれがアルタイル。あと、……ここじゃよく見えないけど左のたぶんあの辺りにデネブってのがあって、三つ繋げたのが夏の大三角」
「『夏の大三角』って聞いたことある! えー、こんなフツーに見られるんだ!」
「いや、だから見えないけどな」
苦笑する義兄の、幼い子どもに向けるような優しい声。
博己にとって自分は、いつまでも「小さな妹」のままなのだろうか。
佳純はもう中学生なのに。……本当の妹でもない、のに。
しかし、それだけは口に出せない。
まず間違いなく、博己は『妹』の真意を理解はしてくれないだろうから。その場合、彼を深く傷つけることになる。
「ちょっとは涼しくならないか? 気分だけでも」
星を見つめたまま静かに語る博己。
「えー、それはぁ。……うん、でも確かに一瞬暑いの忘れた!」
吸い込まれるような、と形容できるような満天の星空とは程遠かった。
都会とは言えなくとも、所詮は都市郊外だ。大自然の澄みきった空気の中で見るものとは、同じ星だとしてもやはり違う。
それでも夏の夜空に、身体はともかく心が浄化されたような気はした。おそらく、涼やかに光る星の効果だけではなく。
そう、きっと博己とふたりで見上げたからだ。
優しく、賢く、その上背が高くて格好もいい。佳純の自慢の『お兄ちゃん』。
佳純は高校合格後も同じ塾の大学受験コースに通ったのだが、塾帰りのお迎えは丸六年続いた。
彼は大学を卒業後も院に進んだため、就職して家を出るのと佳純の高校卒業が同時だったからだ。
ずっと一緒だった義兄がいなくなることに寂しい気持ちはあったが、引き止めるわけにも行かなかった。
佳純が我儘を振りかざしても、さすがに進路を簡単に諦めて曲げることはしないだろう。
それでも博己に余計な心労を掛けてしまう。
「お兄ちゃん、今まで本当にありがとう! 私ももう大学生になるし、これからは一人で頑張るよ」
「佳純なら大丈夫。俺は当然のことしかしてないよ。頑張ったのは全部佳純だろ。……なんかあったらいつでも連絡して。話し相手くらいはできるからさ」
だからなんとか笑って送り出した。今生の別れではあるまいし、と自分に言い聞かせながら。
他人とは違う。義理とはいえ兄妹だから、決して二人の関係は切れないのだ。
──遠く離れて暮らしてはいても。