彼岸の桜
一八六八年 七月十九日
一番組長 沖田 総司
患ッタ 肺結核ニ 因リ ――
一八六九年 六月廿日
副長 土方 歳三
函館デ 銃ニ 撃タレ ――
✿ ✿
夏には、
蛍が、飛ぶでしょう?
きっと、綺麗でしょうね。
土方さん。
❀ ❀
「おや、土方さん」
「おう、沖田が世話になるな」
慶応四年、春。
養生する総司に会いに、俺は、千駄ヶ谷の植木屋を訪れた。
穏やかな、昼下がりの陽射しが、心地良い。
「沖田さんなら、離れに寝てますよ」
植木屋の主人が、くい、と奥を差す。
「邪魔するぜ」
挨拶を返して、離れへ向かう。
庭には、桜の花が、咲き誇っていた。
木々の葉に、陽光が煌めく。
沖田総司は、新選組の一番組長だ。
新選組副長の俺と共に、ずっと京の治安を守って来た。
しかし、いつからか患った労咳が悪化し、遂に先日、床に臥す事になった。
俺は今日、戦の合間を縫い、何とか様子を見に来たのだ。
「総司、来たぞ」
総司は、座敷に敷いた布団に、横になっていた。
「土方さん!」
俺の姿を見付けると、起き上がろうとする。
「ゴホッ、ゴホッ」
途端に、総司は苦しそうに咳き込んだ。
「寝てろ」
座敷に上がり、背中を擦ってやる。
「済みません……」
総司は渋々、床に就いた。
俺は畳に座り、刀を傍らに置く。
「具合は、どうだ?」
「ええ、今は少し落ち着いてます」
総司は、弱々しく笑みを浮かべた。
――痩せたな。
解いた髪は乱れ、目の下に隈が見える。
着物の首元から、ちらと覗く鎖骨は、窶れた女の様だ。
「……桜が、見頃だな」
俺は、庭へ目を逸らす。
「凄いでしょう?
平五郎さんが、剪定してるんです」
総司は、眩しそうに桜を眺めた。
下の名で呼ぶ辺り、植木屋の主人には、良くして貰ってるらしい。
「早く、隊に戻りたいな……」
甘える様な声で言う。
「馬鹿、休んで治せ」
「私が居ないと、勝てないでしょ?」
「うるせぇ!」
「ふふっ」
総司は、八重歯を見せて笑った。
「そうだ」
総司は、がば、と起き上がり、布団を抜け出る。
「おい、平気なのか?」
「大丈夫、今日は、気分が良いから」
総司は、縁側から庭に下りる。
俺も、慌てて後を追った。
「あっ」
足下が覚束ず、ふらついている。
「危ねぇな」
俺は見兼ねて、手を取り支えてやる。
「有り難う」
総司は、俺の手を握り返し、安堵した様に微笑んだ。
その儘、よろよろと歩いて、桜の木の幹に、凭れ掛かる。
「立派な木……」
木の肌を、愛おしげに撫でる総司。
「太い幹だな」
樹齢は、どの位なんだろう……俺が、そう思った時だった。
「わっ!」
一陣の風が巻き起こる。
はらり、はらり。
一枚、又、一枚……。
一面の、薄紅色。
桜吹雪の中の、剣士。
「……散っちゃう、ね」
総司は、泣きそうな顔で、散る花を惜しんだ。
ここへ来てから、半時程が過ぎただろうか。
「さて……そろそろ、帰るか」
俺は、縁側から立ち上がる。
「次は、いつ……?」
総司が、期待と不安の入り混じった瞳で、見詰めて来る。
俺は、少し考えてから答えた。
「そうだな……暑くなる前には、又、来る」
「そうですか……」
総司は、名残惜しそうに俯いた。
そんな顔をするなよ。
「この庭、良いでしょう?」
帰り際、ふと、総司が声を掛ける。
「ああ、よく手入れされてる」
刹那。
ひらり、と一枚、桜の花びらが散った。
「夏には、蛍が飛ぶでしょう?
きっと、綺麗でしょうね。土方さん」
総司は、目を細めて、夏へと視線を遊ばせた。
✿
総司と別れ、俺は植木屋を後にした。
日は、もう西に傾いている。
「……蛍、か」
足元には、桜の花びらが、散らばっていた。
ここへ来た時には、あんなに旺盛に咲いていたのに。
「……散ると、早いもんだな」
独り言ちて、俺は、隊士達の待つ屯所へと、足を向けた。