5.サル
この映画館では魔法が使える。
だからこうして、月に行く準備が着々と進んでいるんだ。
映写室で、オレはバクの手伝いをしていた。
フィルムをプラッターとかいう皿に置き、映写機を通してから、またプラッターに巻き取らせる。
バクは相変わらず無言だったけど、こいつがしゃべらないのはもう慣れた。
「これでいいのか?」
設置の仕方をバクに確認すると、こくりと頷く。
これでようやく月の映画をスクリーンに映すことが出来る。
「偽者の月、か」
オレは小窓の方に目をやる。
そこからは『5』番シアターの中が見渡せて、ウサギとイヌがはしゃいでいるところが見える。
このシアターには、少し前までウサギの兄ちゃんが住んでいた。
よりに寄って、なんでここを使うんだ。
ずん、と肩が重くなった。
まるで、魔法使いが寄りかかって来たみたいだ。
——身の程知らずなことは、やめたほうがいいよぉ。
魔法使いの声が、頭上から降りかかる。
「わかってるよ」
——わかってないな。サルってのは、届かないものに手を伸ばそうとするんだから。
ふざけたようで、つかみどころのない声。
——『月の影とる猿』って言葉、知ってる?
「知らねーよ」
——水面に映る月を取ろうとして、溺れ死んだサルの話よ。
扉の中に閉じこもっているはずの魔法使いの声が、オレの周りをぐるぐる回る。
——身の程知らずは、身を滅ぼすって事。だからニンゲンは滅びたんだよ。
「滅びてよかったんだ」
オレはそう吐き捨てた。
ニンゲンなんて大嫌いだ。
バクにあとはまかせて、オレはシアターに戻る事にした。
魔法使いの話は手で追いやる。
もちろん、振り回した手は空振りをして、何もつかめなかったけど。
さっきのケンカ以降、なんとなくイヌに近づき辛い。
オレは、イヌの事も嫌いだ。
やることなすこと全てイライラする。
♢ ♢ ♢
オレたちを乗せた宇宙船は、無事、宇宙へと出発した。
ウサギは、月ウサギに会うんだと興奮している。
バクは月に行ったところで、相変わらず夢を見ているか映画をみているかのどっちかだろう。
オレは、ウサギのついた餅でも食べようかな。
ニンゲンは、月でも『早織姉ちゃん』とやらを探すのだろうか。
見つけたらやっぱり連れて帰るのかな。
そういえば、竹からうまれて月に帰るお姫様の話があった。
魔法使いの話だと、あれは本当は、地球に不時着してしまった宇宙人が、ニンゲンの目をごまかすためにお姫様に変身していたんだそうだ。
ようやく仲間が迎えに来たから、つじつまをあわせるために、「月に帰らなくては」と一芝居うったらしい。
かぐや姫ごっこ、ってわけだ。
みんな、月に行ってやりたいことがある。
イヌはどうするんだろう。
あんなにはしゃいでいるイヌは、月に行ったらどうするつもりだろう。
オレには、イヌの考えてる事が、手に取るようにわかってしまう。
だからこんなに腹がたつのかもしれない。
重く冷たく、硬くてほどけない、手触りの悪い鎖みたいな不安が、あいつにつながったままなんだ。
「ニンゲンの生き残りがいるのなら、もしかしたらあの人も生きているのではないか」
「いや、あの人は死んだ」
「なぜならニンゲンは滅びたから」
「でも、もしかしたら」
そんな風にイヌの考えは、自分の尻尾を追いかけるように、グルグルと同じ場所を回っている。
そんなんだから、鎖にからまったりするんだ。
馬鹿だよ。
——高度七百五十フィート、毎秒二十三フィートで降下。
スクリーンから、ニンゲンの声が聞こえる。
もうすぐ、着陸するんだ。
「私のご先祖はね、宇宙に行ったの。ニンゲンの開発したロケットに乗ったのよ」
イヌは何度も繰り返す。
「ニンゲンはイヌを信頼しているのよ」
信頼している? だから迎えに来ないのか。
そう言いそうになる自分の口を、何度も手で押さえた。
イヌが鎖に必死にしがみついているから。
あいつにとっては大事な鎖なんだろう。
——少し右にそれた。六フィート……〇.五で降下。
無重力の宇宙みたいに、右も左もわからない、明日が来るのかもわからないそんな場所では、何かにしがみつかないと生きていけない。
しがみついたものが、消えてなくなったら、オレたちは宇宙に放り出されるのかな。
こんな広いところに、たった一匹で。