表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/11

3.ニンゲン

 この映画館では魔法が使えるらしい。

 ということは、たぶん俺は違う世界に来てしまったんだと思う。


 これが、流行りの異世界転生ってやつか。

 俺は知らない間に死んでいたのか。

 早織姉ちゃんもまだ見つけ出せていないというのに。


「君は本当にニンゲン? どんな世界から来たんですか?」


 鼻をひくつかせながら、ウサギが質問してくる。


「おれ、ちょっと他のやつら起こしてくる」


 サルの方は、そう言って慌てて駆け出す。

 まだ他にも『しゃべる動物』とやらが出てくるのだろうか。

 俺は頭を抱えた。

 自分で言うのもなんだが、俺の適応能力は結構高い方だと思う。

 けれど、それでも気が狂いそうになる。


 俺がいた世界では、人間は滅びていない。

 動物は言葉をしゃべらない。

 魔法なんか使えない。

 そういう『普通の』世界だったはず。

 サルやウサギは動物園にいるもので、映画館に行ったところで会えないはずだ。


 魔法の世界だなんて、それこそ、早織姉ちゃんじゃあるまいし。


 そうだ。

 そもそものきっかけは、早織姉ちゃんがいなくなったことだ。

 俺ははただ、早織姉ちゃんを探していただけなんだ。


 夢見がちで、とらえどころがなくて、映画ばっかり観ていた早織姉ちゃんを。



—— (いつき)はさぁ、魔法が使えたらさ、何したい?


 近所に住む早織姉ちゃんは、顔を合わせるたびにそんな馬鹿みたいな質問をしてきた。

 

 彼女は俺の母さんとも仲が良くて、しょっちゅうウチに入り浸っていた。

 俺だって年頃だから、勝手に部屋に入られたくない。

 ドアには『受験勉強中。立ち入り禁止』という張り紙をしておいた。

 まるで魔法のお札だ。

 でも、魔法の効果というのは一時的なものだから、早織姉ちゃんはドアノブに手を伸ばしてしまう。


——人間は、開けちゃいけないものを開けたくなる生き物なのよ。


 というのが彼女のお気に入りの言い訳だった。


——ねぇねぇ。樹は魔法が使えたら、どうする?


 俺は連立不等式の問いかけに集中していたから、早織姉ちゃんの問いかけには気のない声で返事をした。


「魔法なんて使えるかよ。子どもじゃないんだから」


——大人だって魔法を使えるよぉ。


 早織姉ちゃんは、そう言ってケタケタと笑った。

 こんな人が小学校で先生をやっているんだから、教育はもう終わりだ。完全終了だ。

 それなのに俺は、そんな終わっている教育を一生懸命詰め込んでいた。

 あの時覚えた公式は、こんな状況では何の役にも立たない。


——ねぇ、魔法が使えたら何が欲しい?


「耳栓」

 俺はそう答えた。



   ♢   ♢   ♢



 あの日、早織姉ちゃんがいなくなったことに気が付いたのは俺だけだった。

 早織姉ちゃんの行方を聞いても、誰もまともに相手をしてくれなかった。

 みんな他人にかまっている場合じゃないからだ。

 だから俺は自力で、頼りない早織姉ちゃんを探す事にしたのだ。

 心当たりのある所を探して、それでも見つからないから、隣駅にある映画館に出向いた。


 早織姉ちゃんは、学生の頃その映画館でアルバイトをしていたのだ。


——映画館には、魔法の世界への扉があるんだよ。


 もちろん早織姉ちゃんが、魔法の扉を開いて別世界に行ってしまったなんて、本気で思ったわけじゃない。 

 でも「まさか」という思いが、一瞬頭をよぎった。


 隣駅に行くのは、本当に大変だった。

 場所も曖昧だったし、雨も降っていた。


 そう。

 雨の音がうるさかった。



 やっとの思いでたどり着いたそこは、俺の知っている映画館とは様子が違っていた。


 遠くから建物を見上げるだけで、何か悪い予感がした。

 雨の中、その姿はぼんやりとにじんでいた。

 俺の知っている映画館とは違う、知らない建物のようだった。

 近づくと違和感がぐんと増した。

 いつもなら賑わっているはずの三階建ての映画館が、しんと静まり返っている。

 入り口の無機質なガラスには無数のヒビが入っていた。

 はがれかけのポスターを見るととんがり帽子の魔法使いが、こちらに笑いかけていた。

 はめ込みガラスに自分の姿を映して、ポスターと見比べてみた。

 自分の着ている黒の制服が、魔法使いの服となんだか似ていて、嫌な予感を増長させたのを覚えている。


 もしも俺が異世界に来てしまったのだとしたら、それはあの不吉な扉をくぐった瞬間だろうか。

 俺は、魔法の世界とやらに足を踏み入れてしまったのだ。


 映画館の中にはいると、かすかに妙な匂いがした。

 でも、それはすぐに紛れてわからなくなった。

 それよりも強烈なポップコーンの香りが、ロビーにたちこめていたからだ。

 その香ばしさだけが嫌に現実味を帯びていて、俺は匂いを追って、小さなドアの前に立った。

 チケット売り場の横にある灰色の扉には『従業員入口』と書いてあった。

 その時は、ドアを開ければ、しっかりした大人が——少なくとも人間の大人がいるんじゃないかと、漠然と思ってノブをひねった。


 ドアは厨房に繋がっていて、俺は音をたててはじけているポップコーンを発見した。

 とても美味しそうな、魅惑的なポップコーン。


 確かギリシャ神話だったろうか。

 ざくろの実を三粒食べてしまったせいで、元の世界に戻れなくなった女神の物語。

 異世界の食べ物は、決して口にしてはいけないのだ。


 あのポップコーンさえ食べないで、大人しく帰っていたら、こんな変な世界に巻き込まれずに済んだかもしれない。

 だけど俺は、誘惑に勝てなかった。

 ポップコーンに手を伸ばしてしまった。


「なんだ、お前。何してんだ」


 三粒目を頬張ったところで、俺はサルに発見されてしまったのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ