2.ウサギ
外には悪い魔法使いがいる。
魔法使い本人がそう言うのだから、それは本当なのだと思います。
外はとても危険だから、月を見るためなんていう理由で、この映画館から出てはいけないのです。
本当はちょっとさびしいです。
外が危険なのはわかるけど、もう月を見上げられないのかと思うと、残念でなりません。
ぼくはその事を、頭の良いイヌさんに、相談してみました。
イヌさんは、とてもしっかりしていて、ぼくらのお姉さんみたいな存在です。
と言っても、彼女が冷静なのは、サルくんがいない時だけです。
なぜだかイヌさんとサルくんはとても仲が悪いのです。
だからぼくは、イヌさんが一匹の時を狙って話しかけました。
「月を眺めたい……ね」
イヌさんは少し考えてから言いました。
「それなら月の映画を観るのはどうかしら」
「映画ですか?」
ぼくは驚きました。
そうです、ここは映画館。
映画は見放題です。
「そう。月をスクリーンいっぱいに映すの」
「そっか。それなら外で見るよりもずっと大きい月が楽しめますね」
「そうよ。確かニンゲンが月に着陸した時の映像を使った映画が、映写室にあったはずよ。スクリーンに映してみたら、きっと月旅行気分を味わえるんじゃないかしら」
イヌさんはちょっと得意げに言いました。
「私達が外に見に行けないのなら、月の方を映画館に連れてくればいいの」
♢ ♢ ♢
この映画館の三階には、映写室という部屋があり、そこには、映画のフィルムがたくさんあります。
ニンゲンたちのものです。
その中に、月の映画もきっとあるはずです。
確かにイヌさんのアイディアはとてもいい案なのですが、ひとつ問題があります。
ぼくは、フィルムの山をみても、どこにその映画があるのかわからないのです。
そこで、ぼくはバクちゃんに相談してみました。
バクちゃんは、とても小さな女の子です。
毎日毎日、自分の『3』番シアターにこもって、映画を観ています。
映写機のまわしかたも、フィルムの場所も、バクちゃんが一番よくわかっているのです。
ただ、バクちゃんは、魔法をかけてもらったのに、めったにしゃべりません。
いつもむっつりと黙ったままなのです。
しかも、どうやら、バクちゃんは、弱虫なぼくの事があまり好きではないようです。
バクちゃんがフィルムの場所を教えてくれるかどうか、正直不安でした。
映写室にいたバクちゃんに、月の映画を探している事を伝えると、何も言わずにトコトコと棚のほうへ歩いて行きました。
そして棚からフィルムを一つ取り出し、ぼくにポンと投げました。
ぼくが落とさないように慌てている間に、バクちゃんはそばにあったファイルを背伸びして取り、ペラペラのチラシを一枚取り出しました。
そして、それもぼくに押し付けました。
チラシには、宇宙服を着たニンゲンと、映画の説明が書いてありました。
ニンゲンがロケットに乗って、はじめて月に着陸した時を再現した作品らしいです。
それを読んで、ぼくはいいことを思いつきました。
みんなを誘って、四匹でこの映画を観るのです。
みんなで同じスクリーンで観れば、四匹で宇宙船に乗って、月旅行をしているような気分になれるんじゃないかと思ったのです。
ぼくは魔法使いじゃないから、魔法を使えません。
でも、この映画館にいれば、ぼくはみんなを月に連れて行けるのです。
映画館の中では、ぼくにも魔法が使えるのです。
♢ ♢ ♢
今日が、その映画鑑賞会の日です。
いよいよ、月旅行に出かけます。
『5』番シアターで観よう、とみんなと約束しました。
だから、ぼくは朝からわくわくしています。
朝ごはんを食べたら、さっそく月の映画を観る予定です。
見回りを終えたぼくは、ロビーに並んだテーブルを拭き、そこではたと止まりました。
いつもだったらこの時間になれば、サルくんが、朝食の準備をしています。
魔法使いは、臆病ウサギのぼくに警備や点検をまかせ、鼻の利くイヌさんに、館内の清掃をまかせました。
そして手先の器用なサルくんには、食事係をまかせたのです。
食事の準備をしているはずのサルくんの姿が、今日はまだ見えません。
「また、イヌさんとケンカでもしてるのかな」
ぼくは、売店の裏にまわってみました。
売店の裏は簡単な厨房になっていて、巨大な冷凍庫や流し台があります。
顔をのぞかせて、ぼくはびっくりしました。
そこには、途方にくれた顔をしたサルくんと、同じく途方にくれた顔の、ソイツがいました。
「どうしたの、サルくん」
おずおずと声をかけると、どちらとも、一斉にこちらを振り向きました。
「ウ、ウサギか。ちょうどよかった」
サルくんが珍しく慌てながら言いました。
「こいつがポップコーンをつまみ食いしていたんだ」
「すまん。悪かったよ」
ソイツは頭を下げました。
ぼくはそっと、観察しました。
初めて見るソイツは、なんだか黒っぽい服を着ています。
まるで、魔法使いのローブみたいな服です。
いったいどうしてこの映画館に迷いこんだのでしょうか。
突然のお客さんに、驚きましたが、ぼくは予定されていた月旅行の事で、舞い上がっていたのです。
軽い気持ちで、「もしかしたら新しい仲間になれるかもしれないぞ」なんて考えていました。
イヌさんとサルくんは毎日ケンカばかりだし、バクちゃんは一言も口をきいてくれない。
正直、新しい仲間への期待がぼくにはありました。
だから、臆病者のぼくには珍しく、自分から自己紹介をしたのです。
「ぼくはウサギ。この子はサルくん。君は誰ですか?」
しかし、ぼくの期待はあっさり裏切られたのでした。
「俺は、人間……だけど」
ぼくは耳がいいのが自慢でした。
だけど、もう一度、聞き返さないわけにはいきませんでした。
ニンゲン? まさか。
滅びたはずのニンゲンが、ぼくらの映画館にやって来てしまったのです。
ぼくは、警備の係を任されていたのに、ニンゲンの侵入を許してしまいました。
もしもお兄ちゃんがここにいたら、絶対怒ると思います。
だけど、ぼくはまだ、そのニンゲンの危険性をまったくわかっていませんでした。
そのニンゲンは、ある意味で、魔法使いの敵とも言える存在だったのです。
なぜなら彼は、ぼくらにかかった魔法をといてしまう、危険なニンゲンだったからです。