第50話 マルティナの意図
「いったいどういうつもりなんだい、いや、つもりなのですか、殿下」セリーヌは口を開くなり言った「身分を隠して旅をなさるというのは」
「堅苦しい敬語なんていらないよ、これまで通りでいい」マルティナは言った「正体を隠していたのは謝りたい。でも、そうでもしないと旅なんてできないし、それにあなたたちもついてこなかったでしょう」
「それはそうですが……」そして今度は視線を斎に向けた「イツキもイツキだ。なんで転生者だということを黙っていたんだ」
「言っても信じないし面倒くさいだけだろ」斎は言った「召喚されたらしい、ということは知っていたけど、誰だったかなんて知らない。誰も言ってくれなかったわけだし」
斎はそう言ってちらりとシャルロットの方をうらめしそうに見た。彼女は気まずそうに視線をそらした。斎は続けて言った。
「でもまさか……」
「そう、それは私の父だった」マルティナは言った。「わが父は、来るべき時にそなえ、異世界から勇者を召喚した」
「来るべき時、というのは‥‥‥」
「いいかい、本来国政を担うべきは誰だい? それは皇帝陛下に他ならない。だが今は同だろう、アーレンベルク家の一党が、国政を壟断している。それは許しがたいことだよ」
「殿下、いったい何が言いたいのですか」
セリーヌが気色ばんだ。いや、彼もマルティナが何を言わんとしていたかはわかっているのだ。
「陛下自身もお考えなのです、陛下ご自身が、直接、政を行われることを」
セリーヌはがたんと音を立てて椅子から立ち上がる。そして数歩後ずさった。
「そ、それは……」セリーヌは震える声で言った「それはアーレンベルク家に対する反逆だ!」
「言葉を慎めセリーヌ!」シャルロットが叫んだ「反逆とは何事だ! 皇帝陛下とアーレンベルク家、どちらが君でどちらが臣か考えろ!」
「まあまあシャルロット、落ち着いて」マルティナは言った「たしかに、今や軍権を握っており、権力を握っているのはアーレンベルク家だ。100年前、マクシミリアン皇帝はベルンハルト・フォン・アーレンベルクに城下の盟を結ばされた。それ以来、帝国宰相も、エスターラント公位も、アーレンベルク家が独占している。それを変えようとするのが反逆と言うのなら、そうだろうね」
「その通りです」
「しかし考えてもみたらいいよ、世間にはアーレンベルク家への怨嗟が溢れている。こんなとき、皇帝陛下がお立ちあそばされれば、それになびく人は多いとは思わないかい?」
「それでは、もしや殿下の意図は……」
「そう。戦いのための下準備だよ」
「しかし、これはどう説明するのです」そう言ってセリーヌは懐から二枚貝の貝殻を取り出した「イターキ島に向かうという話は」
「それもすべて計画のうちだよ」
「なんですか、戦勝祈願でもするのですか」
「違うよ」マルティナはふっと笑った「戦勝祈願ならもうサン・ルベで3年前から行っているよ。皇妃様の安産祈願と称してね。それで勝てるなら、もう勝っている」
「それでは……」
「もっといいものがあるんだよ、あそこには。正確には、その先、葡萄酒色の海にだけれど」
セリーヌはそれを聞いてぞわっとした。葡萄酒色の海、とはそう言った響きを有する単語なのである。
「葡萄酒色の、海に……?」
セリーヌは膝から崩れ落ちそうになった。彼にとってはおとぎ話の世界であるが、しかし、恐怖はするものである。葡萄酒色の海と言うのはかつて怪物リヴァイアサンが住み、それを征伐に行った勇者たちの地で赤く染まったという魔の海域なのである。
それはライラも同じだった。その勇者を襲った悲劇の話はなんども吟遊詩人が語っているのを聞いたことがあった。彼女も全身の毛がよだつ思いがした。
「そんなところに一体何があるというんです」
「お宝だよ」マルティナは言った「我々を救う、お宝がね」
「その、マルティナ……殿下」斎はややためらって敬称をつけた「葡萄酒色の海に宝があるというのは僕も聞きました。でもそれは一体何なのかは聞いてはいません。いったい何なのですか。何万人もの傭兵を雇えるような、そんな金塊があるのですか」
「そんなちゃっちいものじゃないよ」マルティナは言った「われわれレモリア王権の象徴、その権力の源そのものがそこにはある。かつて失われたとおもわれた、あれが」
「失われた……?」
そうつぶやいてセリーヌははっとした。王権の象徴、レガリア。失われたレガリアとは、あれしか思い浮かばない。
「そうだ。かつての内乱、50年戦争でオットー2世とともに南の海に沈んだとされる宝器、わがレモリア王権の象徴、レムスの王冠。それが葡萄酒色の海の彼方に封印されているんだ。われわれは、それを取り戻しに行く」
マルティナは言った。セリーヌは口をあんぐりと開けていた。シャルロットは顔を変えない。ライラはいまなお状況が十分に読み込めず右往左往しているが、斎はここに来てやっと事態の深刻さを悟ったのである。




