第45話 トゥールーズへ
「この街は居心地が悪いのです……」
ライラが言った。ファルクサ市中心部の広場の噴水前で座り込んでいる。
ファルクサは20万人の人口を抱える大都市である。その人口は帝都レモリアに匹敵する。その人混みに酔ったところもあるが、しかし同国人の剣闘士が見世物にされているのを見たことも気分を悪くした原因なのである。
「まあまあ、ライラ」セリーヌがなだめる様に言った「もう少しの辛抱だよ。ここは港町なんだ。イターキに向かうための中継点だよ、もうすぐここを離れることができる」
「そう願いたいのです……」
そのような話をしている時、マルティナが戻ってきた。港に、イターキへの船を予約しに行っていたのである。
「困ったことになったよ」
マルティナが開口一番そう言った。
「船が高すぎる。安い船はもう一杯でしばらく出ない」
ファルクサは東方との貿易で栄えている都市であり、その元締めはアーレンベルク家であった。貿易船もアーレンベルク家が管理している。主にこの港に出入りする船の大半はアーレンベルク水軍やその商船であり、航海期日の確実性を期すためガレー船が用いられていた。1隻あたり200名近くの漕ぎ手を要するのであり、当然輸送単価は高くなる。もちろんアーレンベルク家以外の船も出入りしているが、それには高い関税が課されていた。
「弱ったね」セリーヌが言った。しばらくこの街から出られないらしいと知ったライラの顔が曇った。
「ほかの手段がある」マルティナが言った「聞くところでは、西にあるトゥールーズの港ではここよりも規制が緩い。ただしここから早くて5日だ。エスターラントから本土に海岸線を逆行することになる」
「でもそれが一番早いんだろ」斎は言った。「じゃあ行くしかない」
一同は頷いた。ライラは、とりあえずこの街から出られることに安堵したのであった。
***
一同は海岸沿いの街道を西へと進んだ。断崖絶壁を進みつつ、雨の日もあり歩みが遅れたが、6日目、一行は関所を超えてトゥールーズにたどり着いた。
トゥールーズ領――領民は『トゥールーズ共和国』を称する――は、ファルクサと並ぶ貿易港であった。古くから商人ギルドが街を差配し、トゥールーズ伯はギルドにおける選挙で選ばれた統領が兼ねることになっていた。皇帝から特権的に自治を許され、そのため『共和国』を名乗っていたのである。
だがアーレンベルク公の台頭以後はその貿易の権限を大きく奪われることになっていた。アーレンベルク家は南方大陸との間に広がる多島海東部の交易を独占していた。結局、トゥールーズは大陸の沿岸を行く西回り航路と、南方大陸にあるマウハリム王国(レモリアの属国である)との交易に従事していたのである。そのもたらす富は、東方貿易に比べ小さかった。
トゥールーズはファルクサと差別化を図ろうとした。関税を引き下げ、商船ギルド外からの参入もしやすくした。結果としてマウハリム沿岸の海賊の跋扈を引き起こした。そしてトゥールーズそのものの治安の悪化も引き起こしたのである。
「なんですかこの街は。ファルクサみたいなきらびやかさもなければ、清潔さもない」
シャルロットはそう呟いた。事実、街路はゴミにあふれており、また軒下では浮浪者がたむろしている。昼間だというのに、売春宿の客引きが声を張り上げている。
「おい、セリーヌ、お前の好きそうな女郎部屋があるぞ」斎が言った「買わないのか」
「まさか。あれはボクの趣味じゃないよ」
「なんと、セリーヌさんが改心したのです!」ライラが驚いて叫んだ。
「いや、こういうところは性病が蔓延している。伝染されたらたまらないからね」
それを聞いてライラは絶句し、斎はため息をつき、シャルロットは目を丸くして、マルティナは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
次いで港に向かうために通った通りはもっとひどかった。奴隷市場や女衒がひしめいている。なかでもマウハリムから輸入された奴隷たちが競りにかけられているのを見るのは耐えられなかった。一行はそそくさと通り過ぎる。
そしてたどり着いたのがトゥールーズの港であった。
港はファルクサに勝るとも劣らなかった。ガレー船もあるが、そのほかに大型の帆船もある。東方風の三角帆や、四角い帆を張った北海風のコグ船と呼ばれる船もあった。
「巡礼団を受け入れてくれるところを探してくるよ」
マルティナはそう言って商船ギルドの事務所へと向かった。
斎は波止場から海を眺めた。岸壁には海鳥の糞が汚くこびりついていた。遠くではそびえたつ船のマストの間をカモメが飛び交っていた。風が涼しく感じる。
そしてその風こそ秋が過ぎゆこうとしていることを示していた。
すでに暦は10月も半ばを過ぎている。11月となれば海は荒れ、航海には適さない。そして春まで穏やかな海はやってこない。
斎は思った。海神よ、わが願いを聞き入れたまえ、そして我らをイターキへと導き給え、と。




