第21話 放浪学生
「ねえ、シャルロット、機嫌直してってば」
マルティナがデカンタからシャルロットの前のカップにワインを注いだ。場所は居酒屋である。宿でも飲食はできるが、今日は趣向を変えて、教会直営の居酒屋に来ていた。
彼女が注いでいたのは、教会のワイナリーで作られた特産ワインであった。
「私が勘違いして悪かったよ」
「いいんですよ事実なんですから」シャルロットは不貞腐れるように言った「私がこいつの下着を履いていることは事実なんですから」
「じゃあお金も入ったんだから新しい下着を買おうよ、それでいいだろ」斎が言った。
「私の? あんたの?」シャルロットが尋ねる。
「そりゃあ、君のだろ。俺のは返してもらわないと」
「じゃああんた、私が履いた後の下着履くの?」シャルロットはきっとにらんだ「それこそ変態じゃない」
「じゃあ俺は自分の新しいのを買うよ」
「はあ、腰布で大丈夫って言ったじゃない、もったいないわよ。それにそうしたら私があんたの下着に固執する変態になっちゃうじゃない」
「じゃあどうするんだよ」
「私の下着は新しいのを買う、あんたは腰布でがんばる」
「あり得ない。両方買えばいいじゃないか」
「そんなのもったいないわよ!」
「まあまあ二人とも落ち着きなよ」マルティナがなだめるように言った「お金はあるんだし、二人とも新しい下着を買ったらいいんじゃない」
「古い下着はどうするんです? 私も履き続けないし、イツキに履かせるのも嫌ですよ」
「じゃあその下着は古着として喜捨すれば? 功徳も積めるんじゃないかしら」
シャルロットはポン、と手を打った。なるほど、それがあったか。
「じゃあそう言うわけでよろしく」マルティナが斎に言った
「まああの下着もほつれてきて穴が開いたりしていたし、まあいいんですけど」
斎がぶっきらぼうに言ったとき、注文していた料理が出てきた。サン・ピオール名物、マスのグリルである。
「まあ、とりあえずどうするかは食べてから決めよう」
マルティナはそう言うとナイフを魚に突き立てて切り分けた。そして手でつかんで食べる。器用に三本指で食べる。
マルティナは口の中に放り込んだ魚肉を飲み込むと、斎の方に視線を向けた。
「そういえばパンターニ氏に硫黄もらいたいって言ってたじゃない」
マルティナが尋ねた。
「ええ、そうですね」
「なんで硫黄なんて欲しいの?」
「ああ、ちょっと作りたいものがあってね、それは……」
「今、硫黄って言ったかい?」
後ろから声がした。振り向くと、若い女性が立っていた。黒髪で前髪はぱっつん、丸い眼鏡をかけている。長袖のチュニックの上にやや胸元の広いロング丈のワンピース状の服を着て、腰帯を結んでいた。肩にはケープをかけて、頭には平たい帽子をかぶっていた。背丈は斎よりも低く、胸は平たい。
「ええと、あなたは……」
「ああ、ごめん。ボクはセリーヌ・ド・クレマン。放浪学生だよ」
放浪学生とは大学をドロップアウトしたり、また就職浪人となった結果、各地を放浪している学生である。その知識を生かして冒険者になったりする者もいた。なお、ド、とついていることからわかるように彼女は貴族階級である。
「クレマンといえばあのクレマン家ですか」シャルロットがそれを聞いて声を上げた「ヌヴェール伯爵家の!」
「ん~、そうだよ」
セリーヌは品定めをするようにシャルロットを見た。
「ああ、申し遅れました。私はシャルロット・ド・モントート。モントート男爵家の次女です」
「よろしくね」
「マルティナといいます」
家名を名乗らなかったことにセリーヌは一瞬怪訝な顔をしたが、しかし、聡い人間である。明らかに貴族階級の人間であろうことは見て取れたが、おそらく何らかの事情があるのだろうと合点したのである。
「ふうん、マルティナさんだね、そして……」視線を斎に戻した「最後は君だ」
「イツキ・トーゴ―と申します」
「珍しい名前だね」セリーヌは首を傾げた「もしかして、東方の出身?」
「え、ええまあ」斎はとりあえず頷いておいた。
「東方の人なんてお近づきになれてうれしいよ、よろしくね」
そう言って彼女は斎の隣に腰を下ろした。そして大声でエールを頼むと、フィンガーボールで手を洗い、机の上の料理を食べ始めたのである。
なんだ、この女やたらと慣れ慣れしいなと斎は思ったが、邪険にするわけにもいかない。
「ええと、ところで何の用事ですか?」
「用事‥‥‥そう、用事だよ!」セリーヌはごくんと魚を飲み込んだ。そしてキラキラした目で斎を見る「硫黄! 硫黄がどうたらって言っていたじゃないか、その話、ボクに聞かせてほしいな」
「え、まあいいですけれど……」斎が若干たじろいだ。
「ありがたいな、硫黄で何をつくるんだい? 金かい?」
「金?」
「あれ、錬金術(alchemy)の話じゃないのかい?」
「いや違うよ、化学(chemistry)の話であって……」
「化学?」
「そうですよ、火薬を作ることができればと思って……」
そう言った瞬間、セリーヌが固まった。信じられないものを聞いたという顔をしている。
「え、大丈夫ですか……?」
「今、火薬って言ったよね」やっとのことでセリーヌは口を開いた。声が震えていた。
「ええ、言いましたけれど……」
「まさか、その製法を、知っているかい‥‥‥じゃあ、やはり東方世界では……」
セリーヌの手はぷるぷると震えていた。マルティナとシャルロットは、その様子を見ても、事情が呑み込めないという風に、困惑している。
「ねえ、イツキ」シャルロットが言った。「セリーヌさん、すごく動揺しているけれど、大丈夫?」
「いや、俺も何が何だか……火薬のことを話しただけなんだけど」
それを聞いて、シャルロットはさらに困惑した顔で尋ねるのであった。
「ねえイツキ、さっきから思っていたんだけど……その、『火薬』って、なに?」




