第10話 宿屋
宿についた。
小さな村である。宿は一軒しかない。石造りの2階建ての建物である。1階が居酒屋や厩となっており、2階に客室がある。
やはり、ベッドは一つしかない。
「マルティナ様、もしかしてこいつも一緒に寝るんですか?」
シャルトットが斎を指さしながら言った。
「そうだよ、何か問題でもある?」
マルティナは答えた。
「あり得ませんよ、こんな男と裸で一緒に寝るなんて」
あ、やっぱり寝るとき裸になるのが一般的なんだ、と斎は思った。
マルティナは斎に呼びかけた。
「シャルロットはああ言っているけど、どうする?」
「まあ、そこまでいうなら仕方ないでしょうか」斎は言った。「別の部屋を借りましょうか?」
「それはお金がもったいないよ」
「じゃあ馬小屋ですかね……はぁ、馬小屋……」
斎はわざとらしくため息をついた。そしてシャルロットの方をちらりと見る。
「わ、わかったわよ」シャルロットは言った「一緒の部屋で寝ればいいんでしょう」
「あるがとうございます、シャルロットさん!」斎は言った「これで馬小屋で寝なくて済みます。どうしましょうか。床で寝ればいいですか?」
「いや、一緒のパーティーじゃないか、ベッドで寝ようよ」マルティナが言った「シャルロットがそんなにいやなら、シャルロット、私、イツキで並んで寝ればいいよ」
「そんなのダメです! マルティナ様に何かあるかも。私が壁になります!」シャルロットが叫んだ。
「じゃあそれで」マルティナが言った。
「え?」
シャルロットは斎の方を見た。斎は、(おねがいします)とばかりに頭を下げたので、それ以上彼女は何も言えなかった。
***
「ぷはぁ、いやぁ、いいですね」
斎はエールを飲みながら言った。宿屋の一階の居酒屋である。
一階の居酒屋は旅人だけではなく、村人の憩いの場所ともなっている。室内は暗く、ろうそくの灯が室内を照らしていた。机は2つの樽に板を渡しただけの拵えであるが、テーブルクロスとばかりにリネンはきちんとかかっている。
「なにが、いいですね、よ」シャルロットはあきれるように言った「あんた、それだけのんで大丈夫なの?」
斎はきょとんとした。斎はそれほど酔ってはいなかった。しかし彼の前には10杯のジョッキが置かれていたのである。
「いや、そんなに」斎は言った「こっちに来てからというもの、そんなに酔わないんですよ」
「前の世界にいた時は?」
「まあまあ飲みますけど、こんなには飲めませんでしたよ。何か変わったことでもあったっけ……あっ」
「何かあったの?」
「いや、ここに来る前に病気にかかりにくいようにって、解毒機能も強化してもらっていたんだけど、それのせいかなぁ」
「あーなるほど」
「毒耐性か、いいね」マルティナが言った。「それはいろいろ役に立ちそうだ」
「どこまで耐えれるかはわかりませんよ。全然酔っていないわけではないですから」
そして食事の続きをしようと自分のナイフを手に取った。それで机の真ん中に置かれた子羊肉の一部を切り取る。取り皿は切られたパンである。パンの上に肉を乗せると、肉汁がパンにしみこむ。斎は手づかみで肉をほおばった。そして手についた油汚れを机の上のボウルに張られた水で洗ってから、テーブルクロスで手をぬぐう。
これは別に不作法というものではない。げんに中世ヨーロッパでは手づかみでものを食べ、手をテーブルクロスでぬぐっていたのである。フォークの登場などもっと後の話であった。斎はマルティナやシャルロットのするようにしていたのだ。古諺にいわく、『レモリアではレモリア人のようにふるまえ』ということである。
そして肉に満足した斎は、振り返ると大声で店員を呼んだのであった。
「店員さーん、エール、もう1杯ください!」
***
腹を満たせば、あとは起きている必要はない。蝋燭ももったいないわけだから、すぐ床につく。
斎はステッキの先端に魔法で火をともし、厩の隣にある便所に行っていた。部屋にもトイレ代わりのおまるがあるが、二人の前でするのはしのびないと思ったのである。
部屋に戻ると、シャルロットがマルティナの髪を梳いていた。肩ほどまである茶髪である。二人とも、チュニックといった格好であった。下着姿である。
「髪のお手入れですか」斎は言った。
「そうだよ」マルティナが言った。
「こうやって私がいつも梳いて差し上げているのよ」シャルロットが言う「あっ、虱、いました」
虱か、と斎は思った。こっちの世界に来てノミや虱にまず苦しめられた。エルフは毎日水浴びをするし、シーツもたまには洗うが、この宿ではどうなんだろう。中の藁にはまちがいなくたくさんいるんだろうな、と思った。
「シャルロット、ありがとう。もうそろそろ寝ようか」マルティナが言った。
「そうですね」
マルティナはベッドに入り込む。次いで、シャルロットが蝋燭をふっと吹き消す。あたりは真っ暗になり、小さな窓から差し込む星明りだけになる。夜目に慣れていない者にとっては真の暗闇みたいなものだが、幸い斎はこちらに来て数か月、目を慣らす余裕はあったのである。
だがそれでも見えるわけではない。ベッドの角に指をぶつけないようにゆっくり進むと、ベッドにもぐりこむ。隣では二人がごそごそとしている。下着を脱いでいるのだ。下着は枕元に置かれた。暗闇の中で脱げば裸を見られないという寸法である。
だが隣に裸の若い娘が寝ているという事実は変わらなかった。とにかくいろいろな衝動を抑えながら、眠り込もうと斎は努力するのであった。
中世こそこそ話
古代ローマではローマ街道に沿って宿場が整備されていましたが、ローマ帝国の崩壊で衰退しました。中世には、村や町には居酒屋兼宿屋、または修道院には巡礼者向けの宿場がありました。
基本的に中世ヨーロッパ人は裸で、家族全員が一つのベッドで寝ていたといいます。宿でも同じことで、見知らぬ人と同じベッドを共有することもありました。さすがに男女でベッドは分けていたと思いますが、パーティーメンバーを同じ部屋にすることを優先しました。ベッドのマットレスは基本的に藁をシーツでくるんだもので、ノミや虱に悩まされました。
中世にはフォークの使用は一般的ではなく、ナイフで切り分けた肉などをスライスしたパンを皿代わりにして取り分けていました。当然素手で食べるわけですが、汚れた手は机の上にあるボウルの水で洗い、テーブルクロスで手をぬぐったと言います。使用済みのパンや残飯は使用人や乞食に与えられました。




