第9話 村の教会
翌日、朝霧が森に立ち込める中、斎たちは出立した。
斎の持ち物はわずかだった。もともと文字通り身一つで異世界に来たのであるから、すべてリリーからもらったものである。普段着のチュニック、ズボン、上着。魔法の杖。弓と短刀は旅に必要であるから与えてくれた。
斎は重ね重ね礼を言い、いつかお返しはすると言って深々と頭を下げた。リリーは、そんなこと気にせず、頑張ってください、そしてマルティナ様をよろしくお願いしますと言って、斎を送り出した。
マルティナとシャルロットは騎士らしく馬に乗っていた。護身のためにチェインメールを身に着けているほか、武器には短弓と剣を持っていた。
斎としては勇者なら自分も剣や鎧が欲しいわけであるが、そんなものを買う金など持ってはいない。というかほぼ無一文なのである。
「さて、食い扶持をどうするかだよね」
マルティナは馬上から斎に問いかけた。斎は、マルティナの馬の隣を歩いており、さながら従者といった風であった。
「ふつうはどうするんですか?」
「まあ、金のある貴族なら目的地までの旅費を抱えて移動するよね。大量の護衛もつけて。でもわたしたちはそんなわけにはいかない。巡礼者という建前上、清貧に旅をしないと。つまり、途中で稼がないといけない」
「そのための冒険者稼業、というわけですね」
「そうだね。まあ、巡礼団の護衛任務なんて言うのがあればいちばん手っ取り早いんだけれど、そうもあるもんでもないと思うし。まあ、まだ路銀はあるから、心配しなくていいと思うよ」
「でもマルティナ様、それは私たちの、というか教会のお金でしょう」シャルロットは言った「彼には自分で稼いでもらわないといけません」
「まあまあ焦るなって」マルティナは返した「それはおいおいでいいんじゃないかな。とにかく彼には旅に慣れてもらわないと」
「ですが……」
「大丈夫だって」
そう言っているうちに3人は森を抜ける。しばらく歩くうちに街道に差し掛かった。
街道と言ってもそう広くはない。荷車であればすれ違うのがやっとという程度の道である。
「あそこに教会の尖塔みたいなのが見えますね」
斎が言う。はるか向こうになだらかな丘と、帯状に作物が植えられ、縞模様になっている耕地が見えた。そこに教会の尖塔がきらりと光って見えたのである。馬上のマルティナは頷いた。
「ちょうどいい、あそこで休ませてもらおう」
30分ほどの後たどり着いたのは小さな村であった。春植えの麦が収穫の時期を迎えようとしていた。
教会などの宗教施設が巡礼者向けの休憩ポイントとなっているのは世の東西問わず同様である。教会では司祭が出迎えた。
「これはこれは騎士様。巡礼の途中ですか」
「そうです」マルティナは言った「馬に水と飼葉を与えたい。もちろんお金は払います」
そう言って銀貨を何枚か渡す。2代前の皇帝、アルプレヒト3世の肖像画が描かれており、表面は酸化して黒ずんでいる。
「どれどれ」そう司祭は確認した。そして銀貨を確認すると、何枚かの銅貨を釣銭だと言って渡してきた。
「あれ、ぴったり払ったはずだけど」マルティナは言った。
「これは2代前の銀貨、こちらの方が銀の純度が高く、価値が高いのです」司祭は言った「これはその差額です」
「ではそれは教会への喜捨です。とっておいてください」
「ありがとうございます」司祭は恭しく頭を下げた。
「なあ、あんなこと言わず差額をがめてしまえばいいんじゃないの」
斎はシャルロッテに小さいな声で尋ねた。シャルロッテはため息をついて言った。
「あれは全部建前だ。釣銭をごまかすのは神の道に反するが教会ももちろんカネはほしい。そこでああいうやりとりを儀式的に行うんだ。そうすると、教会は差額を自分のものにできるし、こちらも教会に寄進をしたという、Win-Winのかたちをとることができる」
「なるほどねぇ」斎は頷いたのだった。
さて、3人が教会外のベンチに腰掛け、馬に水と飼葉をやりつつ、昼食を取っていると、教会の中から一体の女神像が運び出されてきた。
「あれ、それはキュベレー女神の像では」マルティナが言った。「それを運び出してどうするんですか」
「『不滅の太陽神ソル』に宗旨替えしろという布告が出たのです」
「しかし、コンラッド伯はキュベレーの信者では」
「私どもにはわかりかねますが、どうやら、伯爵様は改宗なさったのかと」
マルティナは苦虫を噛み潰したような顔をした。それもそうである。地母神キュベレーはこのレモリアの主神に長くいた神であるのだ。それにひきかえ不滅の太陽神ソルとはここ100年くらいに東方世界から伝来した新たな神であったのだ。
「そんな信奉する神をころころ変えていいのかな……」
斎はそう呟いたが、すかさずシャルロットが解説を挟んだ。
「太陽神ソルはアーレンベルク家が崇めている神よ。コンラッド伯はアーレンベルク家との関係を強めたがっているのかも」
「アーレンベルク家?」
「エスターラント公にして、帝国宰相を代々務める家柄よ」
エスターラントについては斎も名前を聞いたことがあった。レモリア帝国の東を占め、砂漠を挟んでフルミニアやオリエンテと接する地域である。およそ300年前、カール3世少年王の御宇においてレモリアの版図に組み込まれた。
「いまもっともこの国で権力を持った家。皇帝陛下ですらアーレンベルク家の許可なくては何もできない、そんな力を持った大貴族よ」
「へえ、この国の大貴族は宗教も支配しちゃうんだ」
「そりゃそうよ。荘園を持った大寺院ならともかく、小さな村の教会なんて、領主や領民からの寄進がなければ干上がってしまうんだし、領民を自分の宗派に染め上げるのは当然のことよ」
教会が貴族に圧迫をかけたとかいうヨーロッパ中世とは大違いだな、と斎は思った。この世界で宗教勢力はどれほどの力を持っているのかな、などと思ったりもした。
「あなた方は見たところキュベレーの信者様のようですね」司祭は言った「私ももともとはキュベレーの司祭です。宗旨替えは本意ではないのですが、領主様のご命令なので」
「いえ、仕方ないことです」
マルティナはそう言うと立ち上がった。そして斎とシャルロットの方を見る。
「さあ、馬も私たちもしっかり食事をとったことだし、そろそろ行こうか」
「ここから4リーグほどいったところにまた村があります。宿場になっています」司祭は言った「よき旅を。神々のお導きがありますように」
「こちらこそありがとう。神々のお導きがありますように」
そうして3名は村を後にした。背後では緩やかな風が麦畑を駆け抜け、金色の海が波打っているのだった。




