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第二話

 依頼のあと、疲労した体を引きずって街に帰ってきたところで、嵐と言っていいんじゃないかと思うほどのどしゃ降りと横殴りの風に見舞われ、シグルズは辟易していた。

 指名での依頼がこのところ続いていて、実入りはいいが自由度がないそれらに少々イライラしていた彼は追い打ちをかけるような天気に舌打ちを繰り返していた。

 そんな時だ、親を呼ぶ子猫の鳴き声が聞こえシグルズは路地を覗いた。


「親はどうしたお前。濡れネズミじゃねぇか、猫だけどよ」


 一匹でよたよたと路地を歩いている子猫を抱え上げると、シグルズの腕の中で子猫はしばらく暴れた。シグルズにとっては抵抗らしい抵抗とは考えられないほど、弱弱しいそれにシグルズは頬を緩めた。

 冷えた小さな体を少しでも温めようと優しくくすぐっていると子猫はシグルズの指に咬み付いてきた。


「腹減ってるのか?」


 子猫の抵抗を空腹故と思ったシグルズは雨宿りできそうな軒先を見つけ、腰の道具袋を漁ってみるが生憎子猫に与えられそうな食べ物はなかった。

 諦めて雨の中をまた走ろうと、子猫を懐に入れてやるとシグルズが危険な人間ではないとわかったのか単に暴れるだけの体力がないのか、大人しく収まっていた。


「男の胸でわりぃけど我慢しとけよ」


 子猫の様子を確認し、シグルズが一歩踏み出した時だ。まさに絹を裂くような悲鳴が彼の耳を突き抜けるように上がった。


「今日は忙しいな!」


 子猫が落ちてしまわぬようしっかりと支えながら、シグルズは悲鳴の方向へ嵐と同化するかのような速度で走った。


「あ、い、いやぁ!」

「このぉ!ねぇちゃんを放せ!」


 そこでシグルズが見たものは非常にけしからん光景だった。


「ハイドロスライムか!下水から上がってきやがったな!」


 妊婦と思わしき女と、少年が灰色に濁った半透明の形をとどめないゲル状の魔物にまとわりつかれていた。ずるずると這いまわり、女のスカートの中に潜り込もうとしているため、その白く柔らかそうな足が盛大にあらわになっている。


「こんな状況じゃなきゃご馳走様と言いてぇとこだがなっと!」


 暴風雨の中だというのに、シグルズはその拳に炎をまとい、女にまとわりつくハイドロスライムを叩きはがした。

 危険を察知したのか、少年にまとわりついていたハイドロスライムはするりと剥がれ落ち、排水路に自ら飛び込んでいく。


「ねぇちゃん!」

「ああ!ジェイド!」


 助けられた二人は一瞬の出来事に数舜固まっていたが、危険が去ったことを悟るとお互いの無事を確かめ合うように抱きしめあった。


「さて、家まで送って行くぜ。いくら俺が強くてもそばにいねぇんじゃ助けてやれねぇからな」


 シグルズはそういうと、妊婦の女性をまるで綿でも持ち上げるかのようにひょいと横抱きにし家まで送っていったのだった。




 というのが昨日の夜の出来事である。


「な?大したことはしてねぇだろ?」


 胸の子猫をあやしながらシグルズは笑ったが、カルボは逆にしかめっ面だ。


「あーはいはい、超事件遭遇率のお前からしたらな!だいたいなんだ子猫って!いるか子猫の(くだり)!つかお前ぜんっぜん疲れてないだろ何の冗談だ何にイライラしてたって?」

「あ、それは俺の想像でーっす」

「朗らかに話盛ってんじゃねぇよクソがきぃ!」


 実際はカルボの言う通り、普段からやってくる指名の依頼をこなしたくらいではSSランクの冒険者であるシグルズに疲労を与えられないのである。彼を疲れさせたいのなら、国の精鋭を大隊規模でいくつか連れてくるか、世界で最強の生物と噂されるドラゴンの一匹くらい連れてこなければならないだろう。

 少年(ジェイド)はどうやら語り部(かたりべ)としての才能があるようだ。上手に脚色しているなぁと、シグルズは暢気にサンドウィッチを頬張る。子猫を拾った話などジェイドには道すがら拾ったとしか教えていないにもかかわらず、遠からずだった。

 あえて言うなら、苛立ちではなく久しぶりの嵐に子供の様にはしゃいで歩いている時だが、シグルズはわざわざ正す事でもないだろうとサンドウィッチとともにその事実を飲み込んだ。


「そういやシグルズ兄ちゃんは今日は暇?もしよかったら剣の稽古つけてくれよ!」

「んあ~?今日はなんもないから、いいぜこれ食い終わったら……」

「駄目です」


 シグルズの後ろからとげの一本、いや十本ははえていそうな声がやってきた。

 カルボと少年もシグルズにつられるように振り向くと、そこには美しいまるで麗人かと見紛う男が目を吊り上げて立っていた。彼は特徴的な長い耳をもっていて、一目でエルフという長寿で美形ぞろいの種族だとわかった。


「なんだよ、ギルドマスター。今日俺への依頼はないだろ?」

「依頼()、ね」


 言葉の裏に、もし追加の依頼があっても今日は休ませろ。とにじませているシグルズであった。彼はその冒険者然とした見た目に似合わず、存外に子供と戯れるのが好きなのである。

 しかしそれに対し、にっこりという音が聞こえそうなほどの見事な笑顔を浮かべながら青筋を立てるという器用な真似を男は崩さない。彼は、この王国において唯一ギルドマスターの名を冠した、名をアルフヘイムとする男だった。

 各街にギルドをまとめる人間はいても、それはあくまでこの男の代理でしかないのだ。

 魔法に愛され、魔法を愛しているアルフヘイムは、この王国の二大魔法師の一人にしてギルドの創立者の一人なのである。彼にもし勝てるとしたら、彼と同等の力を持つといわれる若き鬼才の魔法師か、いま彼が笑いかけている男くらいのものである。


「ギルドマスターめっちゃこえぇから、ジェイドが震えてるから怒気引っ込めてくれ」

「あなたが、私の言葉を思い出してくだされば、すぐにでも引っ込めましょうとも」

「カルボ、俺なんか忘れてる?」

「俺が知るかよ」

「あわわわわわ」


 にこやかに殺気を振りまく麗人(男)、小刻みに震える少年、あきれた面の禿、そしてきょとんと眼を丸くしている子猫に囲まれながら、シグルズは記憶をさらってみる。

 ほどなく、今日という日に()()()を思い出し、気の抜けた声とともにアルフヘイムに正解かと問えば、回答の代わりに大きな箱を渡される。

 これは何かとシグルズが問いかける間もなくアルフヘイムがぱちり、と指を鳴らすと瞬間周りの景色は変わった。


「空間移動の魔法まで使って……ってここどこ?」

「城の一室だ。君のために用意されている」

「冒険者ごときに随分手厚い対応だな」

「あのねぇ……。魔族の侵略を止めた張本人が、爵位はいらないだ金はいらないだ一級の装備を用意しようかと言えばそれもいらないってね、王の面子をすりこ木で摺りつぶしたうえで石うすでひいて捨てるような事を言うからこうなってるの、分かる?せめてパーティでもてなさせてくれってかなり下手でお願いされたの!これ断ったら貴族から睨まれるのは君だけじゃないからこれだけはしっかり出てって私は言ったよね?ね?」

「いやぁ、正直そうやって脅されてオッケーしたけどかなりの嫌がらせだと思わね?ギルドマスター」

「いいから、大人しくパーティでて!普段通りで文句言わせないようにしてるから!いてくれるだけでいいからもうこの爺をこれ以上イラつかせるのやめてくれないかなぁ君が魔族の侵略を止めたりそこに囚われてた諸外国の姫を助けてそのついでとばかりに求婚されてみたり傷ついて暴れ回ってたドラゴンをなだめて友達になったりとかって報告のたびに私は心労で死にそうだよ?寿命以外で死にたくないんだよ私は!」


 そう、シグルズはいわゆる一つの英雄という奴だった。

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