モナドの声を聞く 3
「この世界には何も存在しなかった」
これが確定的な「始まり」である。
他を必要とはせず、
そこに何の疑問も生じることのない
唯一の領域。
「この世界には何も存在しなかった」
これが世界の始まりに
「存在する無」である。
そしてこれが
この世界が持つただひとつの原理
「大原理」である。
そこに理由を必要としない宇宙の根源。
この無を理解するために我々は生きている。
これは過言ではない。
全ての探求はやがてひとつにつながるからだ。
無を理解することだけが、
「存在する世界」の真実を知る
唯一の方法である。
誰もが探す、
本当のこととは何か。
全ての人間が探求者となることに
その手がかりは残されている。
この世界に存在する無は「完全無」であり、
それは絶対的、かつ不変である。
もちろんそこに神はいない。
物理法則もまだ生まれていない。
したがってここにビックバンなど起きるはずもない。
事実はひとつである。
世界の始まりが完全無である以上、
この世界は未だに
永遠の無でありつづけるのだ。
ということは未だ
私は存在しない。
この世界も存在しない。
まずはそれを証明しなければならない。
けれども我々は
「存在する無」がある現実を
理解していない。
存在しない、のではない。
存在しないものが存在する、
それが「存在する無」である。
ないのにある、
あるのにない。
「存在する無」の全てを
突然理解することは難しい。
だから少しずつ学んでいくしかないのだ。
けれども理解することが出来れば、
それは最も単純で、
明確なことである。
全ての我々は
無を
その部分として持つ。