モナドの声を聞く 2
つまり世界と人間は、
未だ不可解なものとして
我々人間からもまだ
確定されたものではない。
神話から直結したまま繫がる現代の時間。
私は
「人間は全てを理解することが出来る」
と信じる。
人間が「知りたい」という欲求を持って生まれることは、
真理を探究するために仕組まれた
人間自身の力学だと、私は考えている。
人間は必要があって
今の人間である。
これはある意味で「人間至上主義」
かもしれない。
けれども私は
人間とその進化の歴史、
そしてこの宇宙の歴史とを信頼する。
人間は「理解する」という目的の為に
白紙の状態で生まれた。
それはねつ造された神話を覚える為の
キャンパスではない。
我々が彼らに伝えてよいのはその手法だけである。
探究は彼らのものであり、
人間の数と等しいだけの探求がそこに生まれる。
何度でも繰り返される
「より正しいもの」を探すための挑戦。
それは人類の知識の積み重ね
英知であり、
あるいは何の支えにもならない
薄氷の土台である。
「単一」のものから生まれて
多くのものへと枝分かれし、
無数のものが複雑に絡み合いながら
お互いに支え合う、
あらゆる世界の持つ同じ構造。
より強固な結びつきを求めるための
全と個による双方の
終わりなき前進。
誰もが知る、
全てのものに当てはまる
世界の生態系。
物質の生態系、
生命の生態系、
あるいは人間の生態系。
私は人間と、
我々人間に至るその全ての過程を信用する。
何故ならそれが「現実」だからだ。
私は存在する。
そしてこの世界もまた同時に存在する。
今ここにある現実が
探求のための
最大の手掛かりである。
我々はこの世界が現実であることを
我々自身に対して、
この世界に対しても
同時に証明していかなければならない。
このように考えてみると、
現実に対する正しい理解
それが「原理」であり、
そこに疑いの余地がないもの
それが「真理」である。
したがって我々人間の理解が及ぶ最大の真理とは
「この世界には何も存在しなかった」
という原理のみである。
この宇宙で最もシンプルで
明確な現実。
あらゆる疑問を持ち込むことの出来ない
唯一の領域。
「この世界には何も存在しなかった」
これが事実であり、
真理であり、大原理なのだ。
この「存在する無」を理解することが
人間の最初の挑戦である。