モナドの声を聞く 2-13
わたしがここにいなければ
世界もここには存在しない。
世界がここにある限り、
わたしもここに居続ける。
世界とわたしは
同じひとつのものである。
その全ての時間、
あらゆる場所に
「わたし」はいた。
全ての人々が「わたし」であり、
全ての笑顔が「わたし」の笑顔で、
流れた涙の全ては「わたし」の涙で、
流された血の全てが「わたし」の血液だった。
全てを忘れる為に
人は死ぬのだろうか。
全てを許す為に
人は消えるのだろうか。
忘れてはならないことの為に
人は「伝えること」を願い、
忘れてはならないことの為に
人は「理解すること」を願う。
わたし達は
伝える者である。
わたし達は
理解する者である。
でもその「わたし」は、
既にもとの「わたし」ではない。
人々の願いの先に
「正しさ」はあり、
わたしの願いはそこに重なり
さらなる「正しさ」が生まれる。
その「正しさ」の基盤となるものが
「科学」なのだ。
だから科学は
間違っていてはならない。
正しくなくてはならない。
存在しないわたしの
存在しない世界での
唯一の存在証明が
世界とわたしの繋がりである。
点を線に
線を面に
面を空間に
空間を時間に
存在を確定させる方法は
ただ繋がることだけである。
存在しないものが
確かに存在する瞬間。
それがモナドの力学である。
願いとは、
本当の希望とは、
この絆を求める欲求なのだ。
無の欲求。
あるのにない、
ないのにあるもの。
個であるはずの無が、
完全無という
全てを統括するあらゆる無と
同じものであるその理由。
等価原理の始まり。
ひとつであり、
全てであること。
ひとりであり、
ひとつの世界であること。
それがモナドの力学なのだ。
当たり前のことを
当たり前のように
ただ思い出すだけである。
間違った知識も、
造られた理解もいらない。
必要なことはこの世界から学び、
本当の正しさを理解するために
我々はいる。
強い欲求は
強い反発力と同じである。
「想い」もひとつしかない。
繋がりを求める全ての想いが
同じ希望である。
支配したいは
ひとつにしたいであり、
誰かのためにに生きたいは
支配されたい、
ひとつになりたい、である。
想いの全ては
ひとつになりたい、
ひとつにしたい、という
点が線につながる為の
モナドの力学なのである。
わたしは違う、は
理解されたいであり、
自分のために生きたいは
誰かのために生きることである。
ひとつになりたいと求める(求められる)ことは
喜びであり、
その繋がりを断たれる事が絶望なのだ。
それは力学が
ひとつしか存在しないことの
証明である。
点として生まれたわたしが
線となるための物理学。
その希望のために
わたしたちは生きている。
人間の強さとは
何かとの絆なのだ。
ひとりだから、
ひとつになれる。
不満足だから、
求めることが出来る。
それが
物理学である。
それが本能や重力、
進化や愛と同じものである。




