モナドの声を聞く 9
「世界が存在しないこと」を
証明できる事実がある。
それは「存在しない世界」にしか
成し得ない現実である。
それが「世界は時間に支配される」
ということだ。
我々の世界には時間の概念がある。
世界はこの時間に包まれて
はじめて存在する。
では時間とは何か。
何故時間は存在するのか。
そして時間が意味するものとは一体何か。
世界は現実に
時間の中に存在し、
時間の外に世界は存在しない。
つまり我々の宇宙では
時間の流れない空間(世界)は存在しないし、
空間(世界)が存在すれば
時間も必ずそこに存在するのである。
このように「時間と空間」も等価であり
同じものなのだ。
「空間(今という時間)」と
「連鎖する空間概念(連続する今)」としての
「時間軸」の存在。
それは「点」と
「連鎖する点の概念」としての「線」の存在が
等価であることと同じである。
空間と時間が
「ひとつの同じ存在理由」を持つものであれば、
それらはひとつの原理から分かれた
同じモナドであることに変わりはない。
点のモナドから始まった「存在する空間」が、
同じモナドとして
「今」という「存在しないモナド」となること。
それは面積の概念が縦横2つの「長さ」から成り立つように
(例えば長方形の「面積」は「縦と横の辺の長さと等価」と考える)
世界が存在する為には不可欠な要素なのだ。
時間×空間=時空
これは重力によって集められた空間の内部では
時間の流れも同様に収縮されることによって
その正しさが証明される。
不変であるはずの時間にも
異なる流れが存在するという現実。
つまり光速度の不変性も、
同じ時間の流れに対しての限定された話であり、
宇宙には相対的に
異なる光速度も存在する。
このように時間と空間はこの宇宙を構築する
同じ「世界の要因」であり、
それは「存在すること」と等しい概念である。
そのどちらが欠けても
存在には結び付かないもの。
物理学は、
その理解の後に
やっと始まるものである。
人間も宇宙も
「今」という時間の中に
存在する。
この「今」が
「存在する世界」なのだ。
けれどもこの「今」は、
時間軸において
どこに存在する時間なのか。
いや、今という現実は
本当に存在するのだろうか。
「今という時間」は
時間軸(時間の流れ)における
「長さの部分」を持たない時間である。
つまり今という現実世界も含めて
全てがひとつのモナドなのだ。
線の中に点は存在しない。
点は
「存在を持たない実体」
だからである。
「今」は「モナド」。
それは同時に
我々の宇宙も
「存在を持たない実体である」
ということなのだ。
世界は未だ「存在する無」として
どこにも存在しない。
無から世界が生まれた理由、
それは世界が無と等価だからである。
今という存在しない現実の中にのみ
世界は存在する。
そう、無は(世界は)存在するのだ。