秘かな扇動者(前)(サエラ視点)
少し長めになりました。
「こちらから関われるのは、召喚未遂と魔石道具絡みの事項だけだぞ」
末息子と娘婿がなんとか引き込もうとしているのをそう断る魔導卿は、息子たちの誘いを有難く思っていないようだ、とサエラは判断していた。
とはいえ、
「だいたい、こちらは隠居ジジイなんだからな。若い者が働け」
この口ぶりからすると、機嫌を損ねたわけではない。
むしろ非常に機嫌が良い時の返事だ。皮肉っぽさが全くない様子を見るに、楽しんでさえいるだろう。
「肉体的にはまだお若いんです、お付き合いいただいても問題ないのでは」
そう食い下がる末息子は幼い頃から魔導卿に懐いていたが、今もどうやら変わらないらしい。
「おいおい、私は三十年も現役で働いたんだぞ?もう、若い奴をこき使う側に回っても良いと思わないか」
「卿にこき使われるととんでもないことになりそうですが」
「過労死はさせないから安心しなさい」
「カローシ?」
「働き過ぎで死ぬことさ」
「冗談にもなってませんよ」
「安心したまえ、死ぬ前に休ませる」
「やっぱり碌な目に合わせないおつもりじゃないですか」
にやっとしてみせたテライにサエラがどれだけ驚いたか、おそらく子供たちや娘婿は気が付いていないだろう。
以前なら、こんな風に生き生きとした表情を見せることはなかった。
いや、今でもサエラに対してはここまで砕けた態度はとらない。それは孫娘が呼び出した直後や先日の昼餐会の時を思い出せば、すぐに分かる。サエラを異世界人の傀儡だと軽んじる貴族たちに乗じられぬよう、女王の立場を重んじて相応に扱う配慮は昔からだ。
とはいえ、かつてのテライはサエラ以外の人間に対しても終始無表情で、狂気じみた威圧感を漂わせていたものだ。
「年寄りを扱き使う気満々の若造なら、私以上に働いて貰わなきゃ割が合わないと思わないかね?」
「怠けているわけではございません」
「うん、知ってるから安心しなさい。軍も君も良く頑張ってる。ただ、もっと働いて貰おうと思ってるだけだ」
こうして見ていると、これが恐怖の代名詞にもなった異界の大魔術師とは思えないだろう。
人の悪い笑顔で末息子と会話している様子は、見た目通りの年齢の貴人が、親しい若者をからかっているとしか見えない。
末息子も素直に片眉を上げて見せてるから、なおさらだ。
「本当に、聞いてた通り容赦ないですね?」
「何を聞かされてたんだか」
「大戦中にはずいぶん無茶に付き合ったと、古参兵たちからいろいろと」
「年寄りの昔話は、とにかく大げさになるものさ」
「韜晦なさるのは昔からの悪癖だとも聞き及んでおります」
「ジジイは色々忘れるものなんだよ。韜晦なんてものじゃないさ」
サエラより年上とは到底思えない見た目の魔導卿は、実に楽しそうだった。
「それにマランティ国境の件もあるからどのみち、君も忙しいだろうに」
「僕は一介の中佐ですからね、忙しくなるかどうか僕が決められるわけじゃないですよ。ここで出た話だって、いくつかを上官に伝書鳩するだけです」
「そういう事にしておこうか」
たしかに、末息子に与えた権限はさして大きくはない。階級こそ年齢の割に高いが、まだまだ経験を積まねばならない少壮の軍人でもあるため、それ以外の特別扱いはしていない。
「で、ディガン君が運びたい情報は何だ?」
「魔導卿のマランティ国内でのご方針、でいかがでしょう?」
「悪くないな。具体的に、何から聞きたい?」
魔導卿がマランティ国内にどれほどの情報網を巡らせているかは、娘婿が受け取った『机上演習報告書』に対する陸軍の評価を見れば良く判った。
あくまでも慈善活動の報告として受け取ったはずの情報が、魔導卿の手元に集まれば脅威に変わる。貧民街の物価や病死者の数、都市に張り巡らされた下水道や井戸の配置まで確実に把握し、都市間の物流についての数値を持っているからこそ、あの演習報告書は破壊工作の叩き台に使える精度を持っていた。
この十年間、魔導卿はただ表に出てこなかっただけなのだと、あれを見た者なら誰でもそう理解しただろう。
その魔導卿が何を目論んでいるかは、サエラとしても気になるところだった。
「いかなる理由で動いておられるのか、からでいかがですか」
「もう少し具体的に」
「卿の動機をお伺いしたいのです」
「そこは簡単だよ、戦争目的での異世界人召喚の妨害さ」
本来の職務に拘るつもり、ではあるのだろう。
「戦争準備と召喚準備が同時進行してるのが、どうにも気に食わない。そんなヒマな事をやってるマランティには少し、足下の問題を大切にする事を教えておこうと思ってね」
「これまでに試みられてきた召喚術は、戦争での利用がだとお考えですか」
「そう断言するのは難しいが、それ以外の目的には益がない。実験中に死んだ連中は己の欲に合う召喚対象を選んでいたが、組織として召喚術を行使するのに、見た目だけの美女なぞ呼んで何の役に立つ?」
「一人二人呼んだところで、戦争にも役立たないように思いますが」
「標的は兵器開発のできる技術者だ」
「ああ、なるほど。それなら変わる可能性があると」
なにしろ目の前に実例がいる。
この世界の魔術を根底から変えたのは、テライだ。魔術師個人が極めて初めて使える技だったものを、魔工技術によって多くの人の手で使えるものに変えた。
もう一人の魔導卿をわが手に、とマランティが望んでも、おかしくはない。
「彼らはそう考えている」
「卿のお考えは」
「使える技術なら、私達がありったけ持ち込んだよ」
人の悪い笑顔でテライが答え、末息子が大きなため息をついた。
「それに、魔工技術はこちら特有の技術だぞ?異世界人を呼んだところで役に立たん」
魔工技術の祖であるテライ本人は異世界人なのだが、それは棚上げにするつもりらしい。
「あ〜…あちらから、もっと新しい技術を伝える可能性は」
「無いとは言わないが、こちらでは工業生産能力がないから実現困難だな。そもそも、召喚を許す気もないのでね」
「我々と利害は一致しているわけですね」
「そういう事だな」
この言葉を全面的に信じることは難しいが、少なくとも新規の召喚を見逃す気はないだろう。
「動機はそれとして、マランティ主要都市の衛生問題に火をつけたのも卿ですよね?」
「なぜそう思う?」
「新聞が書き立て始めた時期と、発端になった記事について、諜報部門から報告がありまして」
「しっかり仕事をしているようで、何よりだよ」
「卿に負けていられないですからね」
末息子が不敵に笑って見せるのを、テライは微笑ましそうに眺めていた。
「そこまで分かってるなら、教えて構わないかな。実はあちらで支援している組織からの要請でね、ちっとも衛生問題が解決されないから何とかしてくれと泣きつかれたのさ」
「バーランとマランティがきな臭いこの時期に?」
国民には知らせていないが、何らかの影響を嗅ぎ取っているものはいるだろう。そして魔導卿の部下が動かしている組織なら、その情報を持っていないはずがない。
「時期は偶然だな。私がこちらに来たと知れたとたんに、皆で未解決問題を持ち込み始めたんだよ」
「で、マランティ内部の問題に、あえて今、対応されたわけですか」
「強硬派が立てる雑音は、邪魔だと思わないかい?」
まったく表情を変えず、面白がっているような口ぶりのままでテライが訊ねた。
これも末息子の反応を試しているのだろう。バーラン国内にも開戦を望む勢力はいるし、テライはそれを快く思っていない。そして
「卿が静かにさせてくださるなら、大歓迎ですよ」
と、末息子は図太い笑顔で応じていた。
「やれやれ、年寄をこき使う気か」
「自発的に動いてくださっている方の、邪魔はしないことにしましたので。それで疫病が流行しそうだという話は、どのくらい正しいのでしょう?」
「首都と港湾都市の一部での、下痢性疾患の小流行はあると報告を受けている。ただし例年よりも大きくなっているわけではないし、発生も下水道放出口より下流に上水道取水口がある地域のみだ」
「ああ、マランティ名物『糞尿水道』での流行病ですか。例年のことじゃないですか、あんなもの飲んで腹を下さないほうがどうかしています」
「ご婦人の前だぞ、ディガン君」
テライに窘められた末息子が詫びの言葉を口にしたが、どうも形ばかりとしか思えなかった。
もっともサエラも、それを咎める気はないのだが。
「気にせずとも構いませんよ、ディガン。あそこの水道の欠点は良く知られていますからね」
マランティ首都も多くの都市同様、傍を流れる川から上水道を取り、下水道も同じ川に放出されている。そして王宮や貴族の住まいがある上級街からの下水排水口は、下級街用上水道取水口の上流にあった。
この構造であれば下級街に供給される水は当然、上流街の下水に汚染されたものになる。
夏ともなれば悪臭を放つこともある下級街の水は、外国人からは糞尿水道とまで呼ばれる悪名高きものとなっていた。
「ありがとうございます、母上。それで魔導卿、あの水道について相談を受けられて、今後のご対応の予定を伺っても?」
「私からは大してやる事もないな。下水道の流路変更になるか、浄水設備を整えるか、どのみち大工事をするしか解決方法はないし」
「浄水設備……卿がお持ちの会社で、対応してましたよね」
「良く知ってるな?」
「軍にも納入されましたので」
「あれは可搬式の簡易版だ、都市用はもっと大掛かりになるよ」
「で、発注はあったんですか」
「まだだね、マランティ国内でも対応が決まっていないから」
「強硬派はそちらに予算を使わせたくないでしょうからね。なるほど、そういうことでしたか」
軍につけられる臨時予算を削るための策、というわけだ。
最終的にどうなるにせよ、むやみな開戦とそれにかかる出費に対して、マランティ世論が慎重になる空気を作る一つの理由にはなる。
「さっさと決めて、儲けさせて貰えればいいのだがなあ」
「悪徳商人じみてますよ」
「世界はちょっぴり平和になって、私は儲かる。悪徳と呼ばれる筋合いじゃないぞ?」
テライの口ぶりは、明らかにふざけているそれだった。
「取水口の上流に排水口があったので、上水道が汚染されました」というのは歴史上の事例を参考にしています(ロンドン)





