夜中の密談(後)
「現時点で、国境地帯のマランティ軍に動きはありません」
ディガン君は、手短な報告をこの一言で締めくくった。
「先に牽制しておいたのが効きましたね」
これはガディス卿。
「演習でもするかと思ったんだがな」
正直、その点が意外だった。
マランティ王国はなにかとバーラン王国にちょっかいをかけてくる歴史があるし、今の国王も穏健派とはいいがたい。実際に侵攻するような愚は犯さないにしろ、国境間近くで演習という名の示威行動に出ることくらいやっておかしくない国だ。
「ガレンの動きは、マランティも掌握していたのでは?」
ディガン君は卓上に広げた地図の上で、陸軍の部隊を意味する駒を動かしながらそうコメントした。
「こちらの国境に貼りつけた部隊は動きませんが、マランティ国内の物資輸送に少し変化が見られます」
ディガン君が駒を動かした先は、マランティ=ガレン国境だった。
ガレン共和国国境への物資の集積が始まっている。
「紛争に備えている分量ではありませんが、増員は考えているのではないかと」
「それにしてはずいぶん、ささやかじゃありませんか?」
ガディス卿は手元の資料の数字を見ていた。
外国の事だから直接の数値を入手できたわけではなく、諜報機関が出してきた推計値だ。数字の正確性はやや劣るが、それでも十分に実用の範囲だろう。
「マランティ国内の流通網に一部支障が出ています」
「特に災害があったとも聞いていませんが」
「食糧輸送の優先度を上げているようです。各地で都市への物資集約も見られます」
「戦争準備としか思えませんが」
「疫病への備えと説明しているようです。実際に発生の報告はないのですが、どうやらマランティ国内で疫病発生の噂が出ているようで」
「食料備蓄だけでは不十分ですが……ああ、下水道整備が議会で取り上げられてましたか」
ガディス卿とディガン君の真面目な会話に、あえて口を挟もうとは思わなかった。
実体のない疫病の噂がどこから出てきたかといえば、もちろん作ったんだが。予定とは少し違う形に改変されているが、現時点でパニックを起こすまでには至っていない。
ま、そこらは説明してやらなくていいだろう。
マランティ国内の都市衛生改善についての要望も例の非公式ルートで来ていたし、マランティ政府に仕事をさせる圧力になればそれでいい。
「バーランに対する警戒も緩めていません。現状では、我々はマランティ陸軍第4軍の動きに注目しています」
「そちらは動きを見せていないわけですか」
「魔術部隊も動かしていません。これは『塔』の変化とも無関係ではないと思いますが」
『塔』そのものに影響力はないが、そこにつながる人脈というものがある。
「『塔』内部の騒動で、伝統的魔術師勢力の跳ね返りどもが大人しくなった……というところだろうな」
マランティ王国内でも、伝統的魔術師勢力の地盤沈下が始まって久しい。
魔術は個人に使用させる運用体制だったバーランと異なり、集団運用を重んじていたマランティではバーランほど急速に影響力を失わなかったのだが、さすがに昨今は魔技術の普及で立場が危うくなっている。
以前は非力な魔術師複数に単純な魔術を使わせる運用だったため、魔力なしの一般人に使える魔道具が普及してしまえば、運用体制の大きな変更なく切り替え可能な点が大きいだろう。
とはいえ『塔』で育成された人材もまだマランティ王国軍に少数残っているし、魔術師人脈には当然、『塔』の影響は強い。
「ガレンは静観の構えのように見えますが、姉上はどうご覧になりますか」
「今のところは、魔導卿の動きを待っていると言ったところでしょう」
エーリャ王女は別の駒をガレン国境に置きながら返していた。
「私か?」
「ええ、卿を襲撃した者の事もございますから。当然、ガレンも卿に注目していると考えております」
「召喚術の取り締まり以外、私の役目は無いんだがな」
最近は忘れたふりどころかしっかり忘れられてるような気がするが、私は公式には引退済みの老人である。
ついでに言うと、別にバーラン王国の味方というわけでもない。少なくとも公式には、バーラン王国だけに肩入れするべき立場にはいないのだが。
「そうおっしゃられましても、今のところ我が国についていらっしゃるとみなす者が大半でございますから」
「まあ、否定はしないね。君たちと敵対する理由はないし」
だいたい、被害者連絡会の本拠がここにあるんだから、私も当面はここにいるしかないわけだ。自分のためにもバーラン王国には頑張ってもらわないと困る。
「我々が卿を利用しているように見えなければよいのですが」
「それはそれで構わないんだがな。私がバーラン王家を傀儡にしている、と言われなくなっただけマシだし」
流石に隠居して10年も経てば、言われなくなるようだ。
クーデターに協力してサエラを王位につけたこともあり、昔は影のフィクサーのように見られることもあったくらいだ。
もちろん、協力した事実を利用できる限り利用したのも確かではあるが、とって代わる気はもともと無い。
「傀儡ですか……」
「そう見たがる者もいて当然ではあるさ、サエラがいなければ別の者が王位に就いた」
排除した相手とその勢力にはもちろん、恨まれた。
「とはいえ、そのへんはもう昔話じゃないのか?十年も引っ込んでいたんだし」
「……そのお話、もう一度広めても構いませんでしょうか?」
エーリャ王女が考えながら言うのに、ガディス卿が吃驚した顔になって振り向いていた。
「ちょっと待ってくれ、それは」
ガディス卿が焦って止めようとするのを、私は手まねで制止した。
一方で
「魔導卿をまた囮にすることになりますわね」
と、エーリャ王女は真剣な表情で言い切った。
まあそれは構わんのだが、
「サレク君の評判を落とすかもしれないぞ」
そこは釘を刺しておくべきだろう。
せっかくカリスマ性のある王様に育ったんだから、変な噂話で傷をつけることなく、このまま無難に国を率いてもらうのがベストである。
「家臣の中には母を排除したいと考える者がまだおります。今回の騒ぎを引き起こした者にも、反女王派がおりますので」
「どのくらい?」
こちらも反女王派の存在は掴んでいるが。
「クガルの会につながっていると申し上げておきますわ。反女王派が勧誘の窓口になっておりまして」
情報源を全部明かすような真似はしないのは、まあ当然だろう。
「ふむ。現在の治世に不満を持つ者を集める手段として、反女王派を利用しているわけか」
「反女王派の中でも、特に先鋭化した集団がクガルの会の一部である、とみることも可能ですわ」
「サール君が引っかかるわけだ」
母親と兄に常識的にふるまうことを求められたのを逆恨みしてたようなサール君である、そりゃあ反女王派も近づきがいがあったろう。
「しかもその仕組みが明らかになれば、今度は兄の評判も落とせるという寸法ですし」
反女王派が誰を担ぎ上げているか。
表向きはサレク君だ。そして彼らが摘発される事態になれば、サレク君自身は何もしていなくとも、サレク君への評価は厳しくなる。
担ぎ上げられてるように見えてその実、足を引っ張られているわけだ。王様業も楽ではない。
「で、私を囮にして、どう誘導する?」
「母は傀儡であるから排除してかまわない、とする者を、兄から切り離します。反女王派をサレク派ではなく、反異世界人派と定義させてしまおうかと」
「サレク君を守るためには妥当だな」
バーラン王国のトップとして無傷で動けるサレク君は、バーラン王国最強のカードの一枚だ。
サエラの場合、父と兄の後始末でさんざん泥をかぶる羽目になったから、サレク君ほどのクリーンさは認められていない。なにしろ我々異世界人を利用してクーデターまでおこしているわけだし。
「ええ。ですから、もう一度利用させていただけたらと」
「サエラの立場はどうするつもりだ?」
「そこは噂話をどう誘導するか、ですわね。もちろん、過激派以外は傀儡などありえないと思えるような話を作ります」
要するに、クガルの会シンパが食いつく餌をぶら下げようという腹か。
「なるほどな。うまくやってくれれば、それでいい。囮にでもなんでも使ってみなさい」
具体案はまだ無いだろうが、ここはやらせてみればいい。エーリャ王女はもう子供ではない。
「魔導卿!?」
「ありがとうございます」
ガディス卿とディガン君が声を上げたが、エーリャ王女はにこやかに返してきた。
「社交界での情報戦は女性のほうが強いだろう、任せるよ」
「デーリャ夫人、ティファ夫人もおりますし。布陣は整っておりますわよ」
「詳細はデーリャ夫人に聞くよ、経過は時々知らせてくれれば良い」
「夫人経由でお伝えすればよろしいでしょうか?」
「それが無難だろうね。ディガン君とうまく調整してくれると有難い」
こちとら公式には何の権限もない隠居なんだから、いちいち口を挟むのは好ましくないだろう。
そもそも王族が頑張れば良い場面だ、私の仕事が増えるのは願い下げである。
「卿の安全が気になるところですが」
と、これはディガン君。
「なあに、今更だ。いざとなったら、出身世界に逃げ込むさ」
どうせあちらの仕事もあるんだし、こちらで生じる諸々に引っ張り出されなくて済んで有難いくらいである。
「反女王派をうまく叩けるなら、それに越したことはないさ。どうせ、サレク君に害が及ぶから派手に動けなかったんだろう?」
「それはございますわね」
エーリャ王女が頷いた。
この手の問題の常だが、敵の目的は一つではないし、一度に対応する敵は単数ではない。
実際、反女王派にはガレンだけではなく、マランティの手も伸びている。
「うまく敵の内部分裂を誘えれば良いが」
「こちらがどう仕掛けるか、ですわね。幸い、武器商人の伝手は卿に潰していただきましたから、あちらの余裕もそれほどございませんけれど」
「エガント商会はだいぶん損失を出したようだな?」
「ずいぶん、厳しいことになっているそうです」
「それは何より」
「今回の『塔』の騒ぎで、魔術師の動きを制限できたのもありがたいですね」
補足したのはガディス卿。
「この機にうまく乗じてくれることを、期待しているよ」
「ご期待には添えるものと考えております」
エーリャ王女の笑みは、若い頃のサエラによく似ていた。
「しかしなんだな、エーリャも母親に似たなあ?」
面立ちは王配のモルド君に似たんだが、中身はそうでもなかったらしい。
思わずそうコメントしてサエラを見ると、苦笑気味に首を横に振っていた。
「夫に似たと思っておりますけれど」
「外見はな」
今も黙ってにこにこしているモルド君だが、けっこうな狸である。
モルド君の実家は、愚昧な先王のせいでバーラン王国が荒れた時にも無傷でいた辺境伯だ。政治的な荒波を乗り切るモルド君の才能はそんな実家で鍛えられているし、結婚後はさらに磨き上げられたから、狸にならないわけもない。
サエラの治世に大きく貢献した人物だ、そもそも無能なはずもないが。
「性格もですよ」
「したたかなのは良いことさ」
サエラが苦笑し、モルド君とエーリャがそっくりな笑顔になった。
例の非公式ルート=第48話でガディス卿が入手した「机上演習報告書」に書かれた情報の入手元、のことです。





