夜中の密談(前)
長くなったので前後編に分割しています。
未だに蝋燭や植物油のランプが主要な照明であるこちらでは、王宮であっても夜になれば静まり返るものである。
魔法照明は非常に高価だし、化石燃料の産出量が少ないためガスや灯油が普及してないことに加え、水力発電はあるが安定した送電がまだまだ難しい現状では、王宮と言えども夜中に煌々と灯りをともしてはいられないのが実情だ。
とはいえ、今日の集まりの席はこちらにしては十分明るく整えられていた。
ちなみに、光源は電球である。まだ不安定ながら魔法照明より安価なこともあって、新たな光源として期待されている20ワット程度の灯りは、日本と比較すればずいぶん暗いが、ランプ照明に比べたら格段に明るい。
「ご足労いただきまして、申し訳ありません」
私が入室するなり立ち上がって頭を下げたのは、エーリャ王女だった。
「気にしなくていい。それより、サエラまで呼んでたのか」
実務者レベルの話ができれば良いと思っていたのに、サエラが上座に座っていた。
「直接、お話を伺いたかったものですから」
「女王が出張るような問題ではない、という事にしておく必要は無いのかね」
「タカハシ殿を襲撃した時点で、不可能です」
私が片手にした日本刀を見ながら、サエラがため息交じりに返してきた。
「それをお持ちという事は、魔導卿が代行という理解でよろしいのですね」
バーランの習慣によると、儀式に用いる剣を預けられることはすなわち、全権委任されているという意味になる。
今回の場合、私が預かってきたのは『王家の監視人』としての高橋が用いる刀だ。バーラン王国の高級官僚という表向きの職ではなく、本来の職務を委ねられたという意味になる。
「代行まではしないな。話を持ち帰るだけだよ」
「タカハシ殿がそれをお預けになるのに。カタナは魂だと仰ってましたけれど」
エーリャが首をかしげていた。
「いえ、姉上。いつもの剣じゃありませんよ」
と、これはディガン君が修正した。
「ああ、これは脇差だからね」
そう。高橋が今回私に預けたのは、打刀とセットになっている脇差だった。
「完全に代行するわけじゃないが、高橋の代理としても出席する……程度の意味だと思っていただいて結構」
「ワキザシ?ああ、予備の剣でしたっけ」
「使い方は私も知らないよ。たぶん、予備だと思うんだが」
なにしろ刀なんか使えもしないので、まともな知識など持っていない。
そもそも斬りあいなんかするくらいなら、魔力でぶっ飛ばしたほうが早いのだし。
「そういえば、剣だけは苦手でらっしゃいましたものねえ」
何かを思い出す顔になって、サエラが少し笑った。
「またずいぶんな婉曲表現だな、正直に言っていいぞ?」
「そんなに苦手なんですか」
これはディガン君。
「絶対に剣は持つなと言われる程度には、才能が無いな」
ちなみにはっきり言ったのは高橋である。
曰く、自分を切るのが関の山だからやめとけ、とのことだった。
まったく同感である。自分の脚を切る予感しかしない。
「意外ですね」
「そうか?」
「わりと何でもこなすんじゃないかと思ってました」
「杖で剣を受けてらっしゃいましたよね?」
これはガディス卿。
そういえば、彼を庇ったことがあったのだった。
「杖で多少打ち合う程度はできるが、それ以上は無理だな。特に刃物は扱いが難しい」
「魔導卿にも、お出来にならないことがあるんですね……」
「無いわけがないだろう」
「お国では、すべての少年が剣を習うと伺っておりましたけど」
エーリャが控えめにそんなことを言った。
「誰に?」
「タカハシ殿です」
「ふむ?……ああ、剣道の事か」
たしかに中学校でやったはずだが、友人と竹刀で小突きあって教師に叱られた記憶しかない。
「習う事と身につくことは別なんだよ。それはいいとして、現状の確認といこうか」
預かり物の脇差を小テーブルに置き、勧められた椅子に腰を下ろした。
「さっそくだが、まずこちらの情報からいこう。本日をもって塔主が辞職した。辞職に至る経緯は後で報告書を送るが、表向きは召喚術の行使を妨げられなかったことに対する引責辞任だな」
「塔主とは不動産をめぐって問題が起きていたとお聞きしておりますが」
「ああ。貸していた土地に『塔』が違法建築を作って、スラム化寸前の状態になっていた。こちらについては、取り壊しおよび現在の住民の移転費用を塔が負担することと、取り壊し期限を守れない場合には『塔』そのものを私の土地から追い出すことで話が付いた」
「失礼ですが、『塔』がそう素直に言うこと聞きますか?」
ディガン君はやや懐疑的なようだが、無理もないだろう。
伝統的魔術師の牙城たる『塔』と私が犬猿の仲だ、という話は良く知られている。
「そこはうちの弁護士が話をつけてきたし、期限を守らなければ実力行使するだけだよ」
顧問弁護士のアンディ君、なかなか強気で話をまとめてきた。
「実力行使?」
「人間さえ退去させれば、更地にするのは簡単だからね。違法建築ブロックと同時に、『塔』のあるブロックも更地にする。
ついでに、その話は『塔』の者全員に通達した」
地主とのトラブルは塔に所属するものすべてが関係することであるし、真面目に研究している者は荷物だって多い。退去をいきなり勧告されたって、引っ越し準備が間に合わず困るだろう。
……というのはもちろん表向きの理由で、実際には塔主に対する突き上げを激しくするのが目的である。
「貧民街住民からの反発もありましょう」
「もちろん騒動になっている。しかし合法な住民はほとんどいないのでね」
借地に住宅を建てる場合、建物は『塔』が直接管理するものとしているし、そこの住民は『塔』との直接契約を結ばなくてはならない。『塔』と私の契約はそうなっている。直接管理不能ならその時点で契約終了で、『塔』はその区画から撤退する必要がある。
しかし実態は無許可で『塔』が塔主と昵懇の業者に管理を『委託』し、業者は建築物を富裕層の何人かに貸して賃貸料を取り、さらにその『家主』達が貸し出した部屋を借主たちが別のものに貸し……と、何重にもまた貸しされた状態になっていた。
この状態だと、実際の住民たちは『正式な契約関係に無い、借主に金を払っているだけの居候』という扱いにしかならない。少なくともこの国での扱いは、そういうことになる。『居候』には契約を結ぶ権利自体が無い上に、彼らを住まわせる借主が追い出されれば、一緒に追い出されるしかない。
「法的には退去させて何ら問題はない。それに、月あたりの家賃は公営住宅のほうがはるかに安い」
あれだけ中間搾取されているのだから当然と言えば当然だが、スラム化しつつあった一角の家賃設定はかなり割高だ。しかし住民のほとんどが文字を読めず、足し算すら怪しい計算能力しか持たないため、日割りになっている家賃を足し合わせた額を確認してみるなどという事もできていない。
「高い家賃を取られていることに気が付く事もできない貧民だ、もちろん目先のことでしか騒がない。追い出される事だけに苦情を申し立てている状態だが、移転させてしまうのが先決だ」
人間が住めるような環境じゃない場所に、あのままにしておくわけにいかないし。
現時点では説得に応じた住民たち、あそこの環境の悪さを知りつつもどうしたら良いか分からず留まっていた一部を公営住宅に移らせ、必要に応じて仕事の紹介などもしている。
「住民の扱いに関しての詳細は、後で担当部署に書面で渡す。とりあえず、『塔』の内部で混乱が生じたことだけ知っておいて欲しい」
貧民窟の解消は担当部局がやれば良いのだ、国王が直接乗り出す問題ではない。出しゃばっても担当部署が困るだけである。
「判りました。王都の治安にもかかわる事項です、あとで国務卿から各部署に通達を」
「かしこまりました」
実際の対応はこれ以降、ガディス卿の部下とアンディ君以下の担当者がやる事になった。
「クガルの会メンバーについては、どうなった?」
公式には逮捕に関わっていないので、こちらについてはディガン君に話してもらったほうがいいだろう。
「ランデ卿他5名、確保済みです。書類等についてはこちらで押さえて、現在は国家安全委員会に回しています」
「やはり、外国からの介入があったか」
「卿の予測された通りでした」
「証拠固めはウェンズィ伯夫人とデーリャ夫人、ティファ夫人がやってくれた事だがね」
ファラルとも関わりのあった、マランティ製品を何とか売りつけようとしていたエガント商会の情報を見事に引き出したのは、接近されていたウェンズィ伯夫人ポラナだった。この国の上流階級女性は表舞台に立たない事が多いが、故にこそ作られている独自の情報網と、その中で培われた分析能力の賜物だろう。
諜報活動には不慣れだったようだが、そこはデーリャ夫人のサポートがあったようだ。
「二人をご紹介いただいて、助かりましたわ」
これはエーリャ王女だった。
「役に立ったなら、何よりだよ」
「デーリャ夫人もですが、ティファ夫人とは接触しにくかったものですから」
「高橋の奥さんだしなあ」
高橋は『王家の監視人』だから、そりゃ、王族としてはティファちゃんへの接触もしにくいだろう。下手な真似をすれば、監視人に媚びを売ろうとしている、と受け取られかねないし。
「あの場を設けていただけましたので、おかげさまで」
「女性同士の手紙については、私は関与しないよ」
「あら、まあ」
エーリャ王女が、苦笑気味に笑った。
『契約を守らないまま居座ろうとしても、全部吹き飛ばすから無問題だが?(意訳)』と脅した魔導卿でありました。
そしてデーリャ夫人が暗躍中。





