フラグは回収されるもの。
やや短めです。
デッキでは若い女性らしい遠慮のない会話が続く間、私はいったん自宅サーバにアクセスし、気になっていた点をチェックしていた。
あの迷子の女性は岸彩夏さんといって、都内の大学に通う二十歳の大学生。住まいは埼玉県にあり、今朝の7時過ぎにジョギングのために自宅を出たという。
それが1時間もしないうちに、身一つで山沿いの別荘地にいるのだから、明らかに異常である。
もちろんその異常の理由に、思い当たる節はあるわけだが。
「寺井君、何か仕込んでたのか」
「やってませんよ。……ああ、自動で弾いた記録がある」
『あちら』の召喚妨害システムに、作動記録があった。
普段なら召喚術を妨害するだけだが、今回の記録は少し異なる。対象となる人間の召喚が始まった時点で妨害し、対象者はこちらの世界に弾かれていた。
「珍しいな、いつもと違うパターンか」
「解析の必要がありますが、対象者をより絞り込もうとした形跡もあります」
具体的に言うなら、若い女性がターゲットだ。
これまでとは術の組み立てがやや異なっていたのが、妨害手順が入れ替わった原因だった。
「被害者が無事で済んで良かった、というべきかな」
大島さんが少し厳しい表情になっていた。
「弾き返す精度が甘すぎましたね」
「想定外か?」
「想定外とまでは言いません。あちら側に誰か、根性の据わった奴がいたんでしょう」
いずれ誰かがやる可能性は考えていたが、わざわざ召喚術の改良版を作ったと見るべきだろう。
そして弾かれた被害者はどうやら、日本国内にいくつかある転移ポイントに『落ちた』らしい。移動しやすい場所なのだからそれも道理だが、まさかこんな山中の別荘地帯に落ちるとは、気の毒な話だった。
もちろん、大島さんの別荘がここにあるのは偶然ではない。かつて召喚被害者の帰還事業を行っていた頃、あちらとの行き来しやすい場所を選んで作った拠点の一つがここだった。
「しかしあの子、どうします?」
ジョギング中だったとのことで、彼女の持ち物はスマホだけ。
「どうって、家に帰すしかないさ」
「……新幹線に乗せますか、あの恰好で」
通学定期は別途ICカードを持っているそうで、スマホで電車に乗れる準備はないらしい。
もっとも移動のための金を用立てるのはどうとでもなるが、服装がどうにもならない。この国の若い女性としては、ちょっと気の毒だろう。
「新幹線どころか、ローカル線に乗せるのも可哀想だよ」
ド田舎列車すら乗せたくないという大島さん、なかなか紳士である。
「とはいえ、うちに女物の服は無いからなあ……車で送ってやってくれると、ありがたいんだが」
「彼女が急ぐんじゃ無ければ、可能は可能ですよ」
どうせ今日の午後には帰る予定だし。データは取れたから、多少早めに切り上げて帰っても、問題は無い。
「その方向で本人に相談するか。拾って来たのは私だし、ご家族への説明は私がするよ」
「そうして頂けると助かります」
道端でパニックしてる彼女をここまで連れてきたのは、大島さんだ。私では詳しい話が出来ない。
まあもっとも、こんな山奥で迷子になってた理由なんて、説明出来るものでもないが。
そして実際、電話が終わった後で本人は
「時々ジョギングしてる道を走ってただけなんです……なんでここにいるのか良く判りません」
と、当然といえば当然のことを言っていた。
「ちょっとないですよねえ、この規模の迷子って」
「いくらジョギング中でも、150km以上走るのは無理じゃないかな」
「なんなんだろう、これ……」
「考えて判るとも思えないなあ」
しらっととぼける大島さん、さすがは古狸である。
「岸さんの準備はそれだけで良いとして。大島さん、荷物はそれだけですか」
「どうせ都内の家に戻るだけだし」
小さめのバッグ一つなのは羨ましいというべきか。
「君の車が機材積み過ぎてるだけだろう」
「これでも、控えめにしたんですけどね」
一泊二日を予定していたから、主機材はデスクトップ2台とモニタとマルチコプター(いわゆるドローン)1機と小型360度カメラのみ。
大島さんの荷物と乗客2名が乗るスペースは十分あった。
2人を後部座席に乗せて山を下り、高速道路に乗る。外環道に近づいたあたりから混雑していたが、車が動かなくなるほどの渋滞というものは無く、昼過ぎには岸さんの家に到着した。
私は2人をおろして駐車場を探しに行っていたから、帰宅直後の親子喧嘩は聞かずに済んだ。
「本当にお手数をおかけしまして、ありがとうございました」
そう深々と頭を下げる女性は岸さんと面立ちもそっくりで、母娘とすぐ判った。
「午後にはこちらに戻る予定でしたから、ついでですよ」
岸さんもお母さんも交通費を気にしていたが、もとからかかる予定だった金なので気にしないように、と念を押しておいた。
「もし不明な点があればご連絡ください、我々も良く判ってませんが。連絡先はこちらです」
大島さんと二人で仕事用の名刺を渡し、さっさと退散した。





