倍せよ、災難を
しばらくバーランを離れます。
腹黒スライムの物言いがどうあれ、私にも私の都合というものがある。
というわけで4日間ほど、調査室は若手二人に任せることにした。
途中で連絡は取る予定だし、なんとかなるだろう。どうにもならなければ連絡が来ることになっている。
「やあ、お疲れさん」
いったん帰宅したその日、私のマンションを訪れるなりそんな事を言ったのは、日本でバックアップを努めてくれた大島さんだった。
「諸々お手数かけました」
コーヒーをすすめ、大島さんが持ってきた土産で一息入れる。
長い付き合いで私の甘い物好きをよく知っている人なので、今回の土産もドーナツだった。
砂糖がたっぷりかかったグレーズド・ドーナツは苦味の強いコーヒーによく合う。コーヒーもドーナツもあちらには無いので、久々の味だった。
「君も災難だねえ」
そう言ってる大島さんが着てるTシャツに"Double, Double, Toil and Trouble"と書いてあるのは、大島さんの悪いジョークだろう。この人のジョークセンスはかなりねじ曲がっている。
「残りの有給は恙無く過ごしたいものですがね」
あちらもこちらも忙しすぎる日が続き、もはや溜息しか出ない。
「会社の炎上案件も片付いたみたいだし、大丈夫じゃないかな?」
「あれ、大島さんのところにまで話が行ってましたか」
大島さんは私の勤務先の特別顧問である。普通のトラブルなら当然、そんな人のところまで話は上がらない。
「寺井君に火消しを頼んだ時点で、私に話が来たよ。必要なら動く予定だったけど、さすがに開発者がいると話が早かったね」
「先方もジョナサンを出してきましたから、早々に収まりましたよ」
今は母国でエンジニアをしている召喚被害者の一人が、先日のトラブルのカウンターパートだった。
あちらで作った元のシステムを知っている人物だけに、トラブルシューティングが早く済んだのはありがたい。
しかしこちらに来てまで魔術師呼ばわりされるのも、ジョナサンのせいである。
むろん理由は説明していないが、ジョナサンの奴が人の顔を見るたびにウィザードと呼ぶものだから、先方ではすっかりそれが定着している。もっとも、ソフトウェア・ユーティリティのほうのウィザードだと思っている人が大半だろうが。
「ああ、なるほどね。彼は共同開発者だっけ?」
「こちらへのローカライズを共同でやったんですよ」
こちらでの開発者としての権利は、ジョナサンと私の二人が持っていた。
今は会社に売却済みだが、一番詳しいのが私達であるのは残念ながら変わらない。
いつまでも私達が出しゃばっていると仕事が減らないので、さっさと若手に引き継ぎたいものである。そのためにドキュメントは作ったんだし。
「そうだったっけ」
「他にも二つほど、共同で権利持ってたプロダクトがあるでしょう。片方はまだ売ってませんよ」
「買い取ったものまでは覚えてないよ」
自社で持っているものなら忘れても問題ないから、それもそうか。大島さんは社外の人だけど。
「ところで、明日何時に出かける?」
大島さんが、本題を口にした。
「そちらの御都合で、いつでも。早朝のほうが良いでしょうが、5時くらいの出発でどうですか」
「それなら大丈夫。実験に使えるエリアは確認してある?」
「飛行禁止区域は掌握してますよ」
「じゃあ、5時に私の家を出発で。こっちで用意するものはあるかな」
「電源は必要ですかね、他の機材は持っていくので。ああ、掃除道具は持っていきませんからなんとかして下さい」
その後、少し打ち合わせた後で大島さんは帰宅した。
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朝5時に大島さんをピックアップして、北関東某所にある大島さんの別荘についたのは、8時前だった。
私が早速マルチコプター用プログラムの試験をする間、大島さんが別荘の掃除(管理会社がたまに入るということではあるが)をして、その日の晩はBBQとビール。
おっさんはバーベキューや燻製にハマるというが、私もご多分に漏れていない。日本で手に入る肉は柔らかくて獣臭さも少ないから、ハマるの当然だと思うが。
そして翌日は早朝から再試験。
一通りのデータを取って大島さんの別荘に戻ったら、なぜか見知らぬ若い女性がいた。
「どうしたんです」
「近くで迷子になってた」
ジョギング用らしいスポーツウェアを着た二十歳くらいの娘さんが、泣きじゃくっていた。
「とりあえず、朝食でも出すか」
おっさん二人に慰める技術はないので、とりあえず食べ物で釣ることにした。
腹に何か入れると気分が落ち着くことも多いから、間違った方針ではないだろう。多分。
「下手に家に入れないほうが良いでしょう、連れ込んだと言われたらまずいです」
「それもそうだな、デッキにしよう」
ウッドデッキは昨晩のBBQのあと、テーブルと椅子が出しっぱなしになっていたから、ちょうどよかった。
朝食と言っても、大したものを出すわけでもない。パンを温めてコーヒーを淹れ、卵とソーセージを焼くだけのことだ。若い娘さんに嫌な顔をされそうなくらい脂質と炭水化物に満ちているが、そこはまあ、おっさんだからご勘弁願おう。
ちなみに朝食用の野菜は買っていない。
「寺井君、少しは健康に気を使ったらどうだ」
昨晩は一人でピーマンとタマネギを食べてた大島さんが、半分呆れたようにコメントしてきた。
「たまには不健康な食生活を楽しみたいですよ」
ここしばらく、それなりのものを食べさせられていたのだし。
「若いなあ」
「その年齢で枯れててどうするんですか」
「普通はアラフィフになったら気にするだろ。というか寺井君、君も気にしたほうがいい年だよ」
「気にしてもしょうがない歳のような気もしますけどね」
なにしろ実年齢80近いジジイであるし、もう気にしても仕方ないんじゃないかと思うのだが。
「まだ気にする価値はあると思うぞ」
休日の朝飯くらい、気にせず食べたいものである。
そんな馬鹿な話をしている間に、迷子の女性は時折すすり上げながらも朝食を平らげ、少し落ち着いた様子だった。
「ご迷惑かけて、すみません……」
ぺこりと頭を下げた様子は、まだどこか少女めいたところが残っていた。
「気にしなくて良いよ。もう一回、自宅に電話してみるかい?」
と、応じたのは大島さん。
彼女のスマホは迷子になった後家に連絡している途中でバッテリが上がり、大島さんが拾った時はスマホを握りしめて狼狽えていたらしい。
そしてそのスマホは現在、充電中だった。
「あ、はい……でも、充電が」
「コードつないだままでも会話はできるから、もう使えるんじゃないかな」
大島さんに勧められるままに自宅に電話をかけ始めた娘さんは、先ほどよりは少し落ち着いているようだった。
「おかーさん?うん、ごめん、途中で切れちゃった……え、今朝まで充電してたよ!?」
なにやらどこにでもありそうな親子の会話をしているようだが。
「わたし迷子なんですけど~!?おかーさんそれヒドイ」
「だから、迷子!今、保護して貰ったとこ!!ごはんはいただきました!!!」
なんとも賑やかなことになりそうだった。
"Double, Double, Toil and Trouble"
もともとはシェイクスピアの「マクベス」第4幕第1場の魔女のセリフですが、ハリー・ポッターでご存知の方も多いかも知れません。
大島のTシャツに書かれていた絵がマクベスの魔女なのか、ハリー・ポッターなのかは、ご想像に任せます。





