幕間、あるいは僅かな凪の時間
事件は起こりません。
サレク君の訪問は非公式だが秘密ではなかったので、あっというまに新聞のゴシップ欄を飾っていた。
もっとも、これも王宮のメディア戦略の一部だから、載らないほうが不思議であるが。私も隠蔽する気はないから、門前にたむろする新聞記者を追い払えとは指示していなかったし。
そして家令のジャハドが買ってきた新聞を大部屋に幾つか積んでおいたら、スタッフが面白がって読んでいた。
「良いんですか、魔導卿」
「何が?」
「ずいぶん、好き放題に書かれているようですが」
こういう時にこういうことを気にするのはもちろん、ハウィル君である。
大部屋の隅でお茶がてらにスタッフの意見を聞いていた時だったので、当然、事務員どころか給仕までこちらに注目した。
多少は説明しておいたほうが良いだろう。
「ああ、王宮も私も承知のことだ。反女王派に対する牽制も兼ねてるんだよ」
無駄に足を運ぶようなサレク君ではない。
サエラの即位に至る経緯から、私は完全にサエラ寄りの人間と見られている。その私をサレク君がわざわざ訪問したことで、国王陛下も魔導卿には一定の敬意を払っていると見せつけている。
問答無用で呼びつければ良い立場なのだし、それをしない時点で配慮したと看做されるわけだ。反女王派から見れば、現国王がそれではたいへんやりにくい事になる。
「あのぅ、でも、卿の足がお悪いことは、皆様ご存知ですよね……?」
おそるおそる意見を述べたのは、事務員のガラン君。もともと経理畑の人間で、金銭が絡む書類のチェック作業は彼の力量に大いに助けられている。ただし庶民なので、貴族階級のまどろっこしいやり取りには不慣れだ。
「ご存知でも、呼び出すのに遠慮なんかしないんだよ。敢えて配慮しないことで、自分の優位を示すという意味もある」
「うわぁ……」
「昔はよくやられたもんだよ、無視したことも多かったがね」
厭味ったらしく呼び出しをかけようとした奴が、どれほどいたことやら。
血筋やら家門やらを傘に着て、絶対的上位者として振る舞おうとした者も昔は少なくなかった。
「無視できたのですか」
と、これはウルクス君。
「水面下では泥仕合になったがね。とはいえ財力勝負なら、こっちも負けないからな」
私は成金らしく相手を兵糧攻めにしたが、同じような扱いをされた高橋は、素直に血筋の古さで殴り合って勝てていた。
歴史『だけ』はある田舎の家だと高橋は自嘲気味に言っていたが、600年ほど遡れる家となると、こちらの名門貴族の一部にしか存在しない。好きでもない家であるなら気兼ねなく道具に使えばいいだろう、と助言したら、実に遠慮なく他人をぶん殴る材料に使っていたのは、見事なものだった。
「……陛下が卿を牽制に動かれた、と書いてある記事もあるようですが」
と、これはハウィル君。
たしかに、異世界人に好きな真似はさせない、というパフォーマンスだと解釈している新聞記事もある。実際は言いたいだけ言って帰ったようなものだが、一部の敵にはきっちり誤解してもらうほうが有り難いので、この手の記事は大歓迎である。
「ああ、そう言いたい奴も出るだろうさ。私は国王陛下の好意を疑っていないよ」
「好意、ですか?」
「王宮と対立していたことはないぞ?」
流石にこちらの立場上、仲良し小好しとは行かないが。
「陛下にはもっと働けと尻を叩かれたような気もするが、気のせいだろう。引退済みの老人を労ってくださるように、申し上げておいた」
「陛下の頼もしさを理解しました」
しれっと言ってのけるハウィル君も、相当なものだった。
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使えるものは親でも使え、禍根を残さないように上手くやれ。私達もそう教えてきたサレク君に、元から遠慮なんてものはない。
流石にエリーリャが問題を起こした直後は真顔になっていたようだが、一時の驚きを乗り越えてしまえばこちらを利用する事はちゃんと考えるだろう。サレク君自らが動く必要性がどこまであったかと言えば、まあ、動かなくてもなんとかするのが官吏の仕事だろうと言いたいところではあるが、これで動きやすくなる者も多いはず。
それはそれとして、私の周りに新聞記者が増えるのも困りものではあるが。
「そのうち飽きるんじゃない?」
出入りを見られてもあまり困らない一人である高橋は、それほど気にする様子もなかった。
「私が困るんだよ。現実とフィクションの違いに気がつかれそうだから」
さすがに取材は全てシャットアウトしているが、裏口に貼り付いて使用人から情報を貰おうとする者も後を絶たない。
喋ったとバレれば馘首になるのがこちらの常だから、幸い、誰も喋っていないようであるとの報告は受けているが……あまりしつこいようだから、ここで働いている者たちもいい迷惑だろう。
「そろそろいっぺん、表に出るしか無いんじゃないかな」
「面倒くさい」
何が悲しくて、しょっちゅう追い掛け回されるようなポジションにならなきゃいかんのか。
せっかく顔がバレていないのだから、しばしの自由は味わいたいものである。
「有名税だと思えばいいじゃない」
「引退老人は労るべき」
「日本じゃ現役の中堅なんでしょ」
「日本じゃ一介のサラリーマンなんだけど?」
間違っても新聞記者に追い掛け回される立場ではない。
「冗談はさておき、私がやるべきことって、もうあまり無いんだけどな」
召喚術使用者と幇助犯の処分は終わった以上、私の出番は殆ど無い。
少なくとも、私自身が動くべき事はほぼ終わりだろう。そう思っていたのだが。
「サレク君はそう思ってないみたいだけどね。わざわざ言いに来たんでしょ?」
「あの子は昔から遠慮がないからなあ」
なにしろサレク君ときたら、魔導卿がいれば後ろ暗い連中の動きも鈍りますので、と正直に笑顔で話していった。
そりゃまあ蝿よけや案山子になるのは吝かではないが、案山子は畑に突っ立っているだけが仕事のはずだ。
しかしサレク君はそれ以上にこちらを扱き使う気満々である。
まったくもって頼もしい王様になったものだ。
「そりゃ、あれだけの報告書を出してくるんだから、もっと働けと言いたくもなるでしょ」
「どれの話だ?」
「例の演習報告書」
「ああ、あれか。あれよりも気にしなきゃいけないものもあるだろ?」
たかだか若手官僚の研修に、いちいち騒いでもらっても困る。
「10年も引退してた魔導卿があれだけの情報網を持ってることに、恐れ慄いてる奴が結構いるんだよね」
「昔から情報網自体は持ってたぞ」
今回は、こちらの時間で10年間の引退生活というスリープモードから復帰しただけである。
そもそも公的に引退してたと言うだけで、資産の管理や事業への口出しはしていたし。事業の大半は名誉会長的なポジションにいたから、表に出ていなかっただけのことだ。
「知らないやつが迂闊なだけ?」
「そんなとこ。被害者連絡会の仕事も放棄はしてなかっただろう」
「まあ、解散はしてなかったよね。最低限の連絡しか無くなったけど」
「皆、それなりに仕事も立場もあるだろ」
「そういう事にしておこうか?」
腹黒スライムの笑顔はいつもどおり、こき使う気満々のそれだった。
「あのな、高橋。忘れてるみたいだけど、私は有給休暇中なんだが?」
せっかくの休みなのに、こちらの仕事に専念してばかりいたくもない。
というかこのままだと、年次休暇も有給休暇も全部こちらの仕事で潰れる。
しかし案の定、高橋の答えは
「10年も引退してたんだし、働けば?」
と、容赦なかった。
次話からは少し、現在のバーラン王国を離れます。