ありがたくない本気(ガディス卿視点)
一週遅れ更新です。やや短め。
真正面から叩けないなら、相手の足元を崩せば良い。
それも道理では有るのだが、しかしここまで綿密に計画を立てられると胃に悪い。
そうガディス卿は感想を述べたが、
「なに、若手の演習で作らせてみただけだ」
答えた魔導卿は、相変わらずの無表情だった。
無表情と言っても昔のような狂気に満ちた虚無では無く、感情を完全に支配していると感じさせるそれだ。どこか面白がっているようですら有る。
「それでここまでやりますか」
もはや溜息さえ出なかった。
公式書類として扱うつもりはないのか、この『机上演習報告書』はヘスディル伯を通じて渡された。「夜長の暇つぶしにでも」と短い手紙が付けられていたが、ガディス卿にも、ガディス卿の後で目を通した妻のエーリャにも、暇つぶしどころか頭痛の種にしかなっていない。
魔道卿に敵意がないと知らなければ、脅迫と受け止めるところだった。
「見たかったのは、現時点で判っていない情報を彼らがどう扱うか、だ」
「卿のご感想は」
「まずまずといったところだな。無理に推測で補うことをしなくなったし、自分たちに有利な想定だけをすることも無くなった」
「これを実行されたら、経済の混乱は避けられますまい」
「実行するための力が有るものなど限られているさ、安心したまえ」
自身がその『実行する力を持つ者』であることを棚に上げて、魔導卿が言った。
バーランに居を構えている魔導卿だが、当然ながら影響力はバーラン一国にとどまらない。バーランを逃れた召喚被害者を介して、あるいは己のみの力で、他国に影響を及ぼすことは十分可能だ。
その魔導卿にバーラン王国が爵位を与え王国貴族として扱うのは、なにも詫びの意味だけではない。この危険人物をこちらの世界に引きずりこんだ国として、魔道卿を貴族制の枠組みの中に組み入れることで、有事には責任持って対処すると諸外国に示すための意味合いも強かった。
もっともいざとなったら、魔導卿は王国を滅ぼしてでも枠組みから逃れる力を持っているのだから、王国の姿勢はあくまでもバーラン王国の覚悟を示す意味しかないが。
「ガディス卿に注目してもらいたいのは、彼らが不明とした点だ」
「表の報告書でも触れられていた部分ですね」
「ああ。不明部分をどう埋めるか、それを考えさせるために作らせた。一例だと思ってくれ」
「そこも注目しましたが、むしろ下町の流通価格を参照されているのが気になりました。どうやってこれを?」
まだ検討を要する項目であるとしながらも、報告書には庶民が手に入れられる物品の価格の変動について触れている部分があった。
流通の影響を最も受けるのは、いつの時代も下層民だ。特に食品と燃料の供給が滞れば、あっというまに下層民の生活は圧迫され、不満が鬱積する。現在のところ諸々の価格は安定しているが、何かあれば火種と化すだろう。
そしてこの『演習報告書』は実際の価格変動を図表化して示しているばかりでなく、国際情勢に変化があった場合の推定値を検討していた。
「主に月報だな」
「月報?」
「庶民学校の月例報告書だ。我々が支援を行っているから、その関係で諸経費の報告が上がる」
「……まさか、そんな使い途があるとは」
貧民街の学校事業も、召喚被害者が手がけている事業の一つだ。
表立っての代表はウィリアムズ騎兵団の退役者だが、資金は召喚被害者の何名かが提供している。庶民学校に行けば簡単ながらも朝食と昼食にありつけ、読み書き計算を学ぶことで稼げる仕事に付けるとあって、貧民街の子供にはそれなりに人気がある。
貧民懐柔策だと非難する貴族もいるが、非難する者達が貧民のために何かしたという前例はなかった。
「あとは正確さは足りないが政府統計も有るがね、こちらはいささか不足だった」
「水汲み屋の価格は政府統計にございませんので」
「禁止されているからな」
水汲み屋というのは、魔導ポンプの配備されていない共用井戸で水を賄う街区にいる、共同井戸の水を高層の住居まで運ぶ仕事をする者達のことだ。
それだけ聞けば力仕事を請け負う無害な労働にも思えるが、実際には複数人で共同井戸の周りに屯して女子供を追い払い、直接汲もうとする者からは『井戸使用料』を、脅しに屈した者からは『水運び賃』を巻き上げる、質の悪い連中のことだった。
首都の水道整備事業が徐々に進んだことで、彼ら水汲み屋の仕事の場は減っている。法で禁止され、整備事業の進行とともに廃れゆく貧民街の商売の価格など、これまで政府は気にもしていなかった。
整備事業を後押ししたのが召喚被害者の一人で今は亡きロバーツ医師であり、技術面で協力したのが魔導卿だったと聞いているから、おそらくその伝手もあって掌握していたのだろう。
「我々では調べにくいものです」
非合法なのだから当然、正式な政府統計には乗ってこない。それは魔導卿も承知と見えて、魔導卿は軽くうなずいてみせた。
「仕方あるまいさ」
「学校事業以外にも情報源がありそうですが」
「今回、調査室再編にあたって下町からも人を入れた。雇ったのは貧民街の住人ではないが、その伝手でちょっとした小遣い稼ぎを呼びかけた」
「思い切ったことをなさる」
「そうでもない。臨時の端仕事で食いつなぐ貧民はどこにでもいる、その中でまともそうなのに声をかければいい」
「卿のお手元にどれだけの情報が集まっているのかと思うと、恐ろしいですね」
これを敵に回そうとする無謀な連中がいるのが、頭が痛い。
魔導卿を過去の人だと侮り、過去の実績も演劇で誇張されたものだと思い込んでいる一部の者は、魔導卿が手にしているものに気がつくこともないだろう。
「バーランは我々の拠点でもある、安心したまえ」
魔導卿に敵意は持たれていないのは、幸いというべきだった。
「我々が入手できる情報には当然、限界がある。今回は情報を入手しやすい例としてバーランを例示しているが、これなら解りやすいだろう」
『演習報告書』には、マランティ、ガレン二カ国を含む諸外国の首都事情も書かれていた。
「……そのまま、マランティ首都壊滅作戦を実行できるのではないかと」
ガディス卿の判断でこれを見せた陸軍上層部の一人の意見を伝えると、魔導卿は首を横に振った。
「まだ詰めが甘いのじゃないかね」
「やり方次第です」
「これはそもそも、どのような攻撃がありうるかを考えるための材料だ。演習自体は稚拙なものだよ」
「表沙汰にせず預けていただけましたこと、感謝いたします」
ただにやりとした魔導卿の笑顔は、ガディス卿の胃を更に痛くするものだった。
Q.ホームグロウン・テロリスト対策として何をしますか?
A.テロリスト目線でシミュレーションして対策を練りましょう
の巻。