上司の常識は部下の非常識。(ハウィル視点)
ハウィルがその報告をもって行った時、魔導卿の執務室では王室書記官がお茶をしているところだった。
「お取り込み中、失礼いたします」
「その様子と急ぎだろう。高橋が聞いても差し支えない事項なら、君の報告を優先するが」
魔導卿もなにやら書類を積んだ横に黒茶を置いて、休憩中だったらしい。
「ありがとうございます。実は、事務官のリミスから襲撃を受けたとの報告がございました」
「いつのことだ?」
「今朝方のことだそうです」
出勤時に襲われたが、徽章に仕込まれていた防御魔術が発動し事なきを得た、という報告だった。
襲撃犯は警察に引き渡したが、事情説明その他が必要となったため遅刻し、ハウィルへの報告もつい先程になったという事らしい。
「なお、徽章が破損したとの報告もございました」
破損した徽章は回収済みだった。
調査室が再編された際、事務員どころか給仕の少年にまで配布されたそれは、目立たないながらも一級の魔石細工だ。魔導卿に厳命されたため全員が身につけているものの、用途はこれまで不明だった。
今回の状況からするとどうやら、一回限りの護身具であったらしい。
ハウィルが差し出した破損した徽章を、タカハシ書記官が面白そうに覗き込んでいた。
「相変わらず過保護だねえ」
タカハシ書記官も徽章の本来用途に気がついたのか、そんな事を口にしたのに
「襲撃も織り込み済みなんだから、このくらいの手配はして当然だろう」
ざっくばらんな口調で魔導卿が返しても、もはや驚く気すらしなかった。
しばらく仕えてみて判ったことだが、魔導卿は身内と認めた者の前では飾り気のない態度で振る舞うのを好んでいる。先日の『塔』訪問でも分かる通り、思わぬ行動力で周りの肝を冷やして回るのが欠点だが、世間で思われているような陰鬱で気難しい人物ではない。
「それを持ち逃げされたり売られたりする事を考えないあたりが寺井だよね」
「使い捨てだから、売られてもたいして問題にならないだろ。どうせ、ここを解散するときは記念品に持たせるつもりだし」
「……百ラザは下らないはずですが」
この手の魔石細工は、婦人の新しいドレスと同じくらいには値が張る。
「ああ、私が作った素人細工だから原価は大したことがない。職人を頼んだほうが出来は良いんだが、なにしろ急なことだったから、頼めなくてな」
この場にいるのが旧友のタカハシ書記官と部下のハウィルだけだからか、魔導卿はいっさい取り繕う様子を見せなかった。
物が物だけに、多少は取り繕ってほしいものだが。なにしろ徽章の心臓部にあたる魔石ときたら、小さな蒼玉の内部に細かな魔術回路が刻み込まれた品で、これを作れるのは魔導卿ただ一人。それだけのものを素人細工と言われてしまうと、伝統的魔術師の端くれとしてはいろいろやるせない。
「リミスには代わりにこれを渡しておいてくれ、破損したものと交換だ」
そして魔導卿が机の引き出しから無造作に取り出したのは、全く同じ徽章だった。
どうやら本当に、魔導卿にとっては手頃な細工物であるらしい。
この人の技術には何も言うまい、とハウィルは心の中で固く誓い、それから替えの徽章が以前と異なっているのに気がついた。
「今度は紅玉ですか」
「石の基本成分は同じだし、この程度の用途なら発色が違っても扱いは同じだ。石も手元にある物で間に合わせたから、ばらつきがあると伝えておいてくれ」
「いえ、その、……判りました」
値段のことは言っても無駄だろうと判断し、ハウィルはそれを受け取った。
「発動時の緊急信号は受け取っているが、犯人についての情報は有るかね」
「今のところ、警察が取り調べています」
口を割ったという情報はない。
「判った。続報が入ったら知らせてくれ、こちらからも聞いてはみるが」
「承知いたしました」
それ以上は話さず、ハウィルは退出した。
なにしろ目下の問題については魔導卿よりも、ウルクスに聞いたほうが良いのだし。
部屋に戻ってからウルクスの机を覗き込むと、
「魔導卿の使ってる魔石、鑑定結果が帰ってきたよ」
ウルクスは外して机に置いた自分の徽章を見ながら、いささかげんなりした様子で言った。
「それで、結果はどうだった」
「既知の産地のいずれにも該当せず、だとさ」
魔術回路が刻まれてしまっているから判りにくいが、という前置き付きで書かれた鑑定書には、産地不明と明記されていた。
「異世界産の可能性も考えたほうが良いのだろうな」
上質で魔力蓄積量の多い蒼玉は、そう簡単に手に入るものではない。しかし今回支給された徽章は全て、同じ良質な魔石が使われていた。
「というか十中八九、異世界産じゃないのかな。どこの鉱山のものでもないと首をひねってたから」
「良いのかね、これ」
異世界産の物品入手は、きびしく制限されている。入手手段である召喚術の使用が禁じられているのだから当然だが、新規に入手することは不可能だ。そしてかつて持ち込まれた品々も現在では天井知らずの値段になっているのだから、もしこれが異世界産の魔石だとしたら、とんでもない値段がつくはずだった。
「魔導卿が許可してるんだから、大丈夫だとは思うけどねえ。少なくとも、違法ではないよ」
ウルクスも諦め顔なのは、魔導卿のやらかしに慣れてきたからだろう。
「そこじゃなくて、値段だよ」
「心配しても始まらない気がするな。部下には教えないほうが良いだろうけど」
「それもそのとおりだな。迂闊な相手に知られたら困る。値段を考えたら、殺してでも奪いたくなる者はいるだろう」
「召喚術に手を出したくなる人間も、出てくるかも知れないな」
「……まさか、これも罠の一つか」
魔導卿ならやりかねない。
ハウィルはウルクスと思わず顔を見合わせ、ほぼ同時にため息を付いた。
※※※※※※※※※
「勘繰り過ぎだよ」
推測を話すと、魔導卿は苦笑気味に返してきた。
普段の行いを考えれば、疑うのも仕方ないと思って欲しいところであるが。
「魔石の素性を知られれば罠に使えるが、混乱も大きくなる。まだ公言するのは時期尚早だな」
「やはり、異世界産なのですか」
「そこもだが、重要なのはこれが合成石だという事だ」
魔導卿は無造作にカフリンクスを外し、会議机の上に置いた。
「私のこれも同様だが、工業的に作られた鋼玉を使っているんだ。天然物よりも質が安定している上に、安いのでね」
「……御国の技術ですか」
「私の母国ではないが、あちらでは150年ほど前から合成可能になっている。もともとコランダムは時計の軸受に使われていたから、安く合成できる事は重要だったんだよ」
「その話、我々が聞いてよろしかったのですか」
異世界の技術について、魔導卿はあまり話さない。これまでにない詳細な説明に、ウルクスが警戒心を見せていた。
「ああ、問題ない。ようやくこちらでも合成法が開発されて、特許も登録されたから、情報解禁だ」
「値崩れする可能性がありますね」
「まさに、そこが恐れられている」
ゆっくり頷いてから、魔導卿は外したカフリンクスを二人の方に押しやった。
「将来的にはこの程度のものは生産できるようになるだろうが、こちらはまだ製造技術が未熟だからな。恐れる必要はあまりないのが実情なんだが、魔石鉱山主はそうは受け取らない」
「すると、その特許の持ち主は」
「現時点では私の保護下にあると見なされているだろうな、なにしろ研究資金は私が出してるから。とはいえ危険はあるから、実現可能性についてはあまり公にできるものでもないだろう」
まだ実現可能性が低いと言っても、実用品を作れる可能性が出てくれば、魔石の暴落も起こりうる。
「公にされると、デンティ鉱山の価値が下がりますね」
マランティにある有名な魔石鉱山の名をあげると、魔導卿はにやりとした。
「鉱山主のラスカ卿には思うところがあるが、まだ打って出る時期じゃない」
「……ウィダス銅鉱山の共同所有者でもありましたね、ラスカ卿は」
そのマランティ貴族は先日、ウィリアムズ領で起きた問題と関わっているのだろう。
「打撃は効果的に、という事だ。というわけで、少しばかり計画を立ててみないかね」
下手を打てば大きな経済的混乱を引き起こしかねないはずだが、魔導卿は人の悪い笑みを浮かべてそう告げた。
地味な嫌がらせも重要です。
というか魔導卿は基本的にやることが地味。
次回更新は7月15日の予定です。
→すみません、7月21日(もしくは22日)に延期します





