そして舞台の幕は上がり(後)
短いです。
引き据えられた罪人は仕来りどおり身を清めてはおらず、衣服も汚れ皺がよったままだった。
「これはどういうことかね」
静かに口を開いたのは、40になるかならないかといった年の、南方貴族に見える痩身の男だった。
「入浴も着替えも拒否しております」
罪人を連れてきた獄卒のうち、指揮をとっているであろう身なりの者がそう応えたのに、
「これでは処刑できますまい」
タゴス卿は打ち合わせどおりに異議を唱えた。
罪人のファラルは貴族の血に連なる者であり、その体面は必ず守られねばならない。
そして処刑の場でこのような姿をさらすことは貴族としてあってはならず、立会い役としては、形式に則らない処刑に異議を唱えることが出来る。そして貴族の発言は受け入れられねばならない。それが世の道理だ。
しかし浅黒い肌をしたその男は、感情の伺えない黒瞳を一瞬タゴス卿に据え、そのまま罪人に向き直った。
「貴族院からの要請で、処刑に当たっては身分にふさわしい身なりをさせるよう配慮を求められていたが、温情は拒否されたようだ」
じろりと睨んだ男に何故か寒気を覚えて後ずさりそうになったが、立会い役のタゴス卿はその場にいる他の者達の存在を思い出し、辛うじて踏みとどまった。
「貴殿の意見を聞き入れる必要はない。貴族院の要望は受け入れられ、罪人には温情が示され、そして罪人本人がそれを拒絶した。二度の温情はない」
「貴殿に何の権利がある?」
「召喚術幇助犯の処分は、私の権限で行われる」
ファラルに向けて宣言した男の言葉に、タゴス卿は相手が誰かを悟った。
「お初にお目にかかるな、タゴス卿?」
魔導卿は横目でタゴス卿を見ながら、そう言った。
話が違う。それがタゴス卿の頭にまず浮かんだ言葉だった。
偏屈な老いぼれ魔術師に、身分あるものを敬う正しい作法を教えてやればいいのだと、そう聞かされていた。動乱期に活躍した英雄と言えども過去の人、本来であれば平民にも劣る卑しい身分の者なのだから、貴族を処罰するなどと言う思い上がった真似はできないと教えてやるべきだ、とタゴス卿もその友人達も考えていた。
しかし目の当たりにしたこれは、成り上がりの卑賤の者などではない。
圧倒的な強者であり、ただ人の身ではとうてい太刀打ちできない何かだと、魂の奥の何かが告げていた。
「身分にふさわしい準備を整える事を拒んだなら、このまま処刑せざるを得まい」
「話が違う!」
叫んだのは罪人だった。
「ありえない!僕を殺させないって言ったじゃないか、タゴス卿!僕が準備を拒否すればいいって!」
「やはり示し合わせていたか。小細工は通用せんよ」
「僕は母上を取り戻したいだけだ、何にも悪いことはしてない!」
「母上が懐かしいか、では母上の御許に行くが良い。もっとも、ジュリアは子供など顔も見たくないと言っていたから、拒否されるだろうがな」
「うそだ!母上は僕に優しかった!」
「会いに行ったら、ずっと顔を背けていたような母親が?元侍女が証言したぞ」
「そんなことあるはずない!抱きしめてくださった!」
「お前が母親に触れようとしたら、手を叩いて払ったと記録があったな。それゆえにジュリアを鞭打ったと、おまえの実父の日記に書いてあった」
「うそだ!うそだ!母上は僕に優しい方なんだ!」
「怒鳴らなければいられんのは、現実を否定したい証拠だぞ、ファラル」
「下賎の魔術師のくせして僕に意見するのか!」
「ジュリアの最後の保護者が私だ」
冷ややかな声は、暴力的なまでに圧倒的な『力』を含んでいた。
「犠牲になった娘達はこの世界を拒否した。拒否されたこの世界のものがその娘達に取り憑こうとするなら、私はそれを全力で妨げねばならん」
「卑しい身分の癖に、僕と母上の邪魔をするな!母上だってそうだ、僕のほうが身分が高いんだ、黙って僕を抱きしめてれば良かったんだ!」
「なんだ、自覚してるじゃないか?母上は君に優しくなかったと」
不気味なまでに優しく穏やかな声だったが、魔導卿の表情は変わらず厳しかった。
「もう一回お呼びすれば変わってるはずだ、本当は僕に優しい方なんだ!」
「死んだ者を呼び出すことは出来んよ」
「この世界で死んだだけだ、母上はお前の世界にいるんだろう、僕は母上を取り返すんだ」
「そうか。かなわぬ望みを持ったまま、絶望して死ぬがいい」
拘束せよ、と命じる声は大きくはなかったが、タゴス卿の耳に強く響いた。
暴れようとするファラルを獄卒が容赦なく引きずって、壁際に据えられた椅子に座らせ、手枷足枷をつける。手足を固定されてなお暴れるファラルの肩を、二人の男が椅子の背に押し付けた。
「離せ!穢れた手で触れるな!」
「猿轡の用意もございます、魔導卿」
ファラルが叫び続けるのを無視して、獄卒の男が言った。
「君の気配りに感謝する。立会いの皆様のお耳を汚さぬように、配慮してくれたまえ」
男の一人が首を振って暴れるファラルの髪をつかんでぐいと引っ張り、もう一人の男が仰向いたファラルの口に布をおしこんだ。
吐き出さないようにもう一枚の布で口元を覆って縛るまで、鮮やかなまでの素早さだった。
「罪状をもう一度読み上げておこうか。召喚術の使用を唆し、その実行準備に協力した、教唆および幇助の罪で処刑する。君に唆されなければ、今でも生きていた魔術師はいたろうな」
ファラルはくぐもった声で叫んでいたが、何を言っているかは聞き取れなかった。
「君に苦痛はないから安心したまえ。これはジュリアの血を分けた君への、私からの温情だ」
魔導卿が指輪のはまった右腕をあげる。
その瞬間を狙って、タゴス卿は袖に仕込んだ魔道具の釦を押し込んだ。
爆発と、焼け付く熱が腕に生まれ、目に映る光景が斜めになる。
「やはり馬鹿な奴がいたか」
何が起きたか判らないまま声の方を見ると、椅子の上で首をうなだれて動かなくなったファラルと、魔導卿が見えた。
そして目の前には白い何かが転がっている。
それが千切れ飛んだ自分の手だと認識した瞬間、激痛が襲ってきて、タゴス卿は絶叫した。





