魔術師の群れと番犬の不在(ハウィル視点)
いくら消費魔力が少なくても、ほぼ丸一日探査魔術を使い続ければ、それなりに消耗する。
「定時1時間前だ、本日の作業は終了にしてくれ」
傍で記録を取っていただけのハウィルがすっかりばてているのに、そう指示した魔導卿はまったく疲れの色も見せていなかった。
「そういえば、別室の連中はどうなった」
ハウィルの記録を確認した後、魔導卿がそう魔術省のラギン一等官に尋ねた。
「3つ処理終了との事です」
「5人がかりでそれだけか。遅いな」
「あれでも、早い方なのですが……」
「方法が悪いと言う事だな。ああ、こちらはずいぶん進んだものだな?」
作業量が最も多かったのは第二班。自分たちで独自に分担を考え、割り振りを決めて処理したのが決め手だったようだ。
意外にも処理量が最も少なかったのが魔導卿だったが、ハウィルが可能な限り記録できるよう解説を交えながら、時には手を止めて、記録を残すよう配慮し続けていた事を考えれば、やむを得ない。
魔導卿の足を引っ張ってしまった己の不甲斐なさに落ち込んでいると、ハウィルの前にお茶の入ったカップが置かれた。
「皆様にお出ししております」
そう丁寧に言ったのは魔導卿の侍従だった。
「あ、ああ」
「お口に合うようでしたら、そちらの砂糖菓子もどうぞお取り下さい。魔術師の皆様は、お疲れの時に甘いものを好まれると伺っております」
勧められるまま、砂糖菓子を一つつまむ。口の中でほろりと溶ける、芳しい酒を仄かに感じさせるそれは、どこかほっとする味だった。
己が疲れていた事をようやく自覚したが、しかし仕事はまだ残っている。カップを押しのけて書類を手にすると、ラギン一等官と話していた魔導卿がふとこちらを見た。
「小休止で良いぞ、ハウィル君。お茶を飲み終わってから、かかってくれ」
「お気遣いありがとうございます、しかし」
「君は他人の倍も仕事してたんだぞ?」
魔導卿がバサバサと振って見せたのは、先ほどまでハウィルがつけていた記録の束だった。
「こっちが君の書いたもので、これが第二班の記録。君の方が多いのは判るだろう」
「は、ええ、あの」
たしかに、ハウィルの記録紙は第二班よりもずいぶん厚い束になっていた。
「自覚は無かったようだな。それだけの密度で仕事をさせたんだ、疲れていないはずがない」
「しかし卿が休息されませんのに」
「そこは年の功だな。疲れない方法を知ってるんだよ」
「ハウィル三等官、ここはお言葉に甘えておいてはどうかな」
年長のラギン一等官に言われてしまうと、無下に断る事も出来ない。
「熱心なのは良い事だが、ここは年寄の言う事を聞いておいてくれ。君は明日以降も仕事だ」
魔導卿は、いつも通りの口ぶりだった。
※※※※※※※※※※
翌日は、魔導卿不在の日だった。
「こりゃあ、荒れなきゃ良いがなあ」
ラギン一等官は本来の口調に戻って、そうこぼしていた。
魔導卿の前では相応の話し方をするが、後輩でもあるハウィルに対してはいつもこんな感じだ。新教育を受けた魔術師が魔術師家系出身者に対して壁を作りがちな中、ラギンの分け隔ての無い態度は珍しい。
もっとも今の伝統的魔術師の孤立した状況は、過去の魔術師達が自分達だけで魔術を占有し、『塔』に文字通り閉じ籠る事を良しとした結果ではあるのだが。
「荒れますか」
「魔導卿の前で物怖じしないような、図太い連中ばっかりだぞ。クセも強いし喧嘩っ早い」
言っているそばから、第二班で口論になっていた。
「どうします、あれ」
魔導卿は掴み合いになってから介入していたな、と思い出しながらハウィルが問うと、
「ある程度、やらせれば良いさ」
と、ラギンも半ば諦めているようだった。
「あれで優秀な連中ではあるんだ。いざとなったら私が仲裁するよ」
「いっそ別室を用意しますか」
「見えないところで殴り合いでもされたら困るだろ」
「それもそうですね」
「あれでも昨日はずいぶん仕事をしてるからな、変に妨害しなくて良いだろう」
にぎやかな事ではあるが、あまり騒げば他の班から罵声が飛ぶ。
昨日はどうやら、魔導卿の前だから皆おとなしくしていたらしい。罵声に罵声が返り始め、さながら子供の口喧嘩の様相を呈してきたところで、ラギンが音高く手を叩いた。
わざわざ音声拡大魔術を使って響かせてるのだから、これまた五月蠅い事この上ない。
「罵倒大会は仕事が終ってからやってくれ。今日の分も魔導卿に報告するからな」
やるなと言わないあたりがラギンらしい事だった。
「いや、言ってもやるだろあいつら。禁止するだけ無駄だよ」
「それはまあ、そうでしょうが」
「それよりハウィル、おまえさんの事務仕事はこんなとこでやって大丈夫か。五月蠅くないか?」
各班から上がった報告をまとめるのが、今日のハウィルの仕事だった。
いつもの執務室(つまり魔導卿の屋敷だが)で作業しても良いとのことだったが、断ったのはハウィル自身だった。
「ええ、大丈夫です。すぐに確認を取れる方がありがたいですし」
「あんまり五月蠅いようなら言ってくれよ。大人しくするように言ってはみるから」
「効果はお約束頂けませんか……」
「無理だなあ。あ、こら、そこ、なにやってんだ!」
案の定、口論だけでは済んでいなかった。
もとより仲の良い組織の人間だけ集めたわけではないから仕方ないのだろうが、それにしたって騒がしい。魔術省のラギン一等官、陸軍のラディク魔術大尉の2人が抑え役に回り、そのおかげで二人は事実上、戦力外になっていた。
もっともハウィルはその間も作業を進められたから、ハウィル自身の仕事に影響はなかったが。
そんなわけだから、昼休憩で全員をいったん解散させた後、ラギンとラディク(ハウィルの従兄と同名だが珍しい名では無い)がくたびれた顔で座りこんだのも、無理はないことだった。
「まったく騒々しい」
ラギンはぼやきながら、持参したパンと冷肉をかじっていた。
「お二方がいてくださって、助かりました」
「おまえさんじゃあ、抑え切れなかったろうなあ」
「無理でしょうねえ」
自慢ではないが、騒がしい連中を相手にするのはハウィルも大の苦手だ。そして
「兵を躾けるのに慣れた軍曹が一人いてくれたらと、今日ほど思った事はないですよ」
と、ラディク大尉もいささか不穏な感想を述べていた。
「作業は進んだか、ハウィル?」
「ええ、昨日の分はほぼまとまっています。魔導卿に目を通していただいた後、配布できる形にしようかと」
「おまえさん、意外に図太いな」
「そうですか?」
「あの騒々しいのを無視して仕事に集中出来るなんて、たいしたもんだ」
ラギンのこれはあまり褒め言葉に聞こえないが、褒めているつもりなのは確かだろう。
以降は会話も無く、魔術省から寄越された給仕が淹れるお茶をすすりながら休憩していると、そこに昨日も来た魔導卿の侍従が入って来た。
「主より、皆様にこちらをお持ちするよう言いつかりました。午後の休憩にお召し上がりください」
菓子の差し入れだった。
「ああ、ありがとう。宜しくお伝えしてくれ」
「かしこまりました。それでは失礼いたします」
ハウィルが対応すると、侍従は一礼して帰って行った。
「……ああそうか、魔導卿は軍も経験されてたな」
そう言ったのは、ラディク大尉だった。
「何か、関係が?」
「魔術部隊は戦闘訓練の際、午後の大休止で必ず、甘いものを食べさせる。そうしないと倒れる者も出るからね」
ラディク大尉はゆっくりとした口ぶりで説明しながら、侍従の置いて行った菓子の籠に布巾をかぶせ直していた。
「そういやハウィルも昨日、昼飯を抜くなと注意されてたな。あれは魔導卿ご自身の経験則なんですかね」
と、ラギン。
「そうじゃないかと思いますよ。大戦中に魔導卿が唯一負傷されたのは、卿一人に負担が集中して食事すらままならなくなった時だった、と聞いてますし」
階級がほぼ同じラギンに対しては、ラディク大尉の言葉遣いも異なっている。
「大魔術を使うなら、食事抜きは無茶ですなあ」
「倒れるまで行かずとも注意散漫になるし、術の威力も落ちますからね。その教訓もあって、必ず補給させることになってまして」
「あの方が倒れるような事態じゃあ、そりゃ教訓にもなりますな」
「実際には魔術防壁が弱ったところに集中砲撃をうけて、負傷されたそうですよ」
もっとも砲撃と言っても当時の事ですから、魔術投石機ですが。とラディク大尉は付け足したが、
「良く生きてたな、魔導卿」
ラギンが呆れたように呟き、ハウィルもまったく同じ感想しか持てなかった。
アクの強い集団、仲良しこよしのわけもなく。
そして「腹が減っては戦ができぬ」。
しかしそれが原因で負傷しましたなどとは黒歴史……ですが、周りは忘れてくれなかったわけです(笑)





