決行前夜(ウルクス視点)
「これで全員かね」
一同を睥睨した魔導卿は、70代も後半とは到底思えぬ若々しい姿だった。
肖像画で見かける古の魔術師風黒長衣姿では無く、仕立ては良いがごく普通の衣服に身を包み、黒の革手袋をはめた片手に銀柄の杖を持っている。そしてなにより、見かけの年齢は四〇にも届かないように見える。
ほとんどの者にとって想像もつかなかった事だろう。
「なあウルクス、あれが本当に魔導卿?」
「見た目で判断するなよ」
しばらく前まで同じ職場にいた同僚が囁くのに、ウルクスはそう返した。
元同僚の気持ちは良く判る。あの人が魔導卿だ、とすぐに信じられる奴がいたら、そっちのほうがどうかしているだろう。
こそこそ話していたつもりだったが、しかし
「見た目で判断してくれて構わんぞ」
そう茶々を入れたのは、魔導卿その人だった。
ウルクスはいいかげん慣れたが、周りは一様にぎょっとしている。魔導卿は上座の席に腰を下ろすと、わずかに人の悪い笑みを浮かべた。
「他の者は貴方の冗談に慣れておりませんよ、魔導卿」
他の参加者の事を考えたら、一応、形だけでも言っておいた方が良いだろう。だが
「良い機会だから慣れるんだね」
と、魔導卿は案の定、いつもの通り人を喰った答を返してきた。
「お人の悪い」
「今に始まった話ではあるまい?」
「たしかにそうですが……あ」
席に着く財務官僚の一人の顔色が、非常に悪かった。
「……失礼ですが、卿、名乗らずに財務局にお出かけになられた事は」
「肩書を伏せた事ならある」
ウルクスは聞えよがしに溜息をつき、魔導卿がにやりとした。
「まったく、悪戯もたいがいになさっていただきたいものですが」
ウルクスもようやく理解できたことだが、魔導卿は意外に茶目っ気のある人物だ。
なにしろ大魔術師のやる事だから周りの心臓には全くよろしくないのだが、どうもこの老人は周囲を労わる気はないらしい。
「悪戯とは失礼な。肩書を出したら何も喋らない相手と話す必要があっただけだ」
やはり、顔色を変えた財務官僚は魔導卿と面識があるようだった。
なんとも気の毒としか言いようがないが、よほど失礼な真似をしたのでなければ気にする必要もないだろう。
「それに、姓はちゃんと名乗ったぞ?」
「そういえば、卿のお名前を存じ上げない者もおりましたね」
迂闊な話ではあるが、魔導卿が表舞台に出なくなってから10年が過ぎている。覚えていない者がいるのも無理はないか。
「私は引退済だから仕方ないというものだな。さて」
魔導卿は言葉を切った。
ここからは真面目な話をするという事だろう。一同を見渡した魔導卿に、何人かがさらに緊張を高めたようだった。
「法務局からの問い合わせについて、まず説明しておこう。ファラルの母親についてだ」
手元の資料に目を落とし、ウルクスはひっそりと溜息をついた。
何度見ても憂鬱な気分にさせられる。先王のろくでもない仕出かしと、その取り巻き連中の非道ぶりには、反吐が出そうだった。
「資料にもある通り、ファラルはガザシュ伯爵の婚外子だ。母親は異世界人だが、ガザシュ伯爵が独自に行った召喚術の被害者という事で、国家による被害者とは認定されていない」
そこでいったん言葉を切り、魔導卿は手にした書類をテーブルに放った。
「母親が認定されていない以上、ファラルも国家による補償の対象にはならない」
「被害者連絡会のご方針は」
「母親であるジュリア・オコンネル氏は、ガザシュ伯爵との間に生まれた子に関する全ての権利を放棄。また子の相続権を認めないとしている」
「母親ともあろうものが、なんと無責任な」
呟いた官僚は、魔導卿の視線を受けて青ざめた。
「無責任を責められるのであれば、ガザシュ伯爵だな。無理やり連れてこられて監禁と強姦の末にできた子どもなど、愛せる女はおるまいよ」
それとも君は、君の妹が同じ目にあったとしたら、生まれた子供を愛せと強要する気かね。そう静かに続けた魔導卿に、官僚の顔が見る間に強張った。
「妹さんはたしか14歳だったか?どうだね、妹に同じ事を言えるかね」
「しかし妹は名家の娘です!」
そういえばこいつは貴族の次男だったな、と半ば他人ごとのようにウルクスは思い出していた。
「ジュリアもだ。君達は無視したいようだが、あの子もそれなりの家に生まれた娘だったんだよ。しかも拉致された時は16歳で、我々の世界ではまだ保護されるべき少女だった」
「ですが、我が家は」
「まだ婚姻も結べぬ年の少女の略奪を是とする、蛮族の名家か。まったく素晴らしい道徳をお持ちだな?」
くすくすと笑う魔導卿の声は冷ややかでいささか狂気じみていたが、ウルクスは件の官僚を庇う気にはならなかった。
ウルクスの道徳観では、魔導卿の怒りの方が正当だ。未婚の娘、それもまだ婚姻年齢に達していない少女を連れ去って、むりやり妾にするなど、郷士階級にとっては言語道断の振る舞いでしかない。貴族階級の常識はまた違うのかもしれないが、ウルクス自身にとって、魔導卿の怒りはむしろ好ましかった。
「ガザシュ伯爵が召喚を行った目的は、婦女の略奪であったとのことですが」
魔力と怒気にあてられた自業自得な官僚は放って置き、話をすすめる事にする。
「書簡の表現はもっと露骨だったな、写しが手元にあるから確認しておいてくれ。口に出すだけで怒りたくなるのでな、今回は省く」
「わかりました。法務局側から意見は」
「母親が被害者認定されておらず、しかも子に相続権を認めておらぬ以上、国家にファラルを保護する義務は生じません。しかも、今は表向き他人という事になっておりますので、賠償請求権がありません」
法務局からよこされた官僚はすらすらと答えたが、口元は少し強張っていた。
「了解、これでファラルやファラルの遺族が申し立てをして来ても、却下できるな」
「そもそも、召喚術幇助の時点で死刑では」
「それはそれとして、これまで放置されてきた事に対しての請求は、別途発生する可能性があっただろう」
「それもそうですね、請求しても無駄なように思いますが」
「召喚被害者の息子であると騒ぎたてて、同じ召喚被害者がなぜ殺そうとするのかと訴えて回る事もありうるのでな。実際、こちらで回収した手紙にはそのような記述もある」
「ムンディ伯爵あての手紙ですか」
「あとは魔導師に対してのものだな。魔導師についてはそれまでに接触していなかったので、単純に今回の騒ぎに巻き込む腹だったのだろう」
以前師事していたという、何人かの魔導師への手紙の事だった。
「魔導師も調査対象に?」
「彼らについては、事情をすでに聞いてある。その資料も添付してある」
魔導卿からの問い合わせに、魔導師自らがすっ飛んで来て事情を釈明して行ったのは、ウルクスの記憶にも新しかった。
伝統的魔術師社会で高い地位を占める彼らは無論、ファラルの無謀な企てに与する愚を理解している。一時は弟子であったファラルについても、異端の大魔術師を怒らせてまで庇うような存在でもないと判断したのか、調査には大変協力的だった。
「税関からの意見は?」
「証拠さえ押さえさせていただければ」
「踏み込む際に同行して頂く。なお、ファラル本人の引き渡しについては保証できない。抵抗されればその場で処分する。それで構わないか」
「はい、けっこうです。証拠回収のため人員を待機させます」
むろん魔石細工密輸・密売容疑で捜査する事を考えれば、生きて喋れるファラルがいたほうが良いだろう。
しかし召喚術幇助は死刑と決まっている。刑の執行責任者は魔導卿で、いつ処刑するかも魔導卿が決めることだ。魔術局も税関も、口出しはできない。
「ムンディ伯爵邸の掌握はハウィル君、君が指揮をとれ。私の代理執行人だ。魔術師のほうが良いだろう」
「承知いたしました」
「ファラル邸は私が直接出向く」
走れないので捕り物に向いた体では無いはずだが、魔導卿は有無を言わさぬ口ぶりだった。
「ウルクス君はここで連絡担当だな。それぞれの班についての構成案は資料の10枚目を見てくれ。改良案があればこの場で提案を」
しばらく、資料に目を通すための沈黙が落ちた。
情報漏れを防ぐためにも、一同の会する打ち合わせはそう何度も行えない。静かな緊張感が漂う中で、資料を見終わった元同僚が、顔を上げて軽く息をついた。
「どうした」
「いや……こいつ、何を考えてこんな事してんのかなと思って」
ひそひそ話の声が思ったより響き、元同僚が慌てて口をつぐんだが
「そこは私も疑問だな」
魔導卿が怒る風も無く返してきた。
「召喚術に手を出す理由が今一つ見当たらない」
「母親が異世界人だという事ですが、その方はお戻りに?」
「こちらで亡くなっているから、無関係だろうな」
「ますます判りませんね……」
一人ごちた元同僚の言葉に、魔導卿がそっけなくうなずいていた。
サエラ女王が把握している被害者数は、国家から認定された被害者の数です。