忍び寄る日常
タイトルは間違いではありません。
ガディス卿が派遣してきた人員二名は、まあまあ使い物になりそうな若手だった。
少なくとも、真面目に書類を読んで必要な追加情報を考える程度の頭はある。
「要求レベルが低いよね」
様子見に来た高橋が、言葉と裏腹に朗らかに言った。
「そもそも期待してないからね」
なんせ基礎教育すら十分普及してない世界である。高等教育を受けた官僚といってもレベルは推して知るべし、だ。
「地味に酷いよねえ、寺井って」
「現実的対応って奴だろ」
厳選された若手があのレベルなのだし。
「ところで、それ何やってるんだ」
話しながらキーボードを打っている私に、高橋が首をかしげた。
「仕事」
「は?」
「だから、会社の仕事だよ。私もサラリーマンなんだけど?」
こちらの連中は元から気にして無いようだが、私も日本に戻れば一介の会社員。相応に仕事はあるのだ。
「あ、就職したのか。よく出来たね?」
「そりゃ大島さんという伝手と技術力でね」
こちらで開発した物をそのまま公開は出来なかったが、そこは大島さんのコネでつなぎを付けた。
あとはまあ、こちらで作って来たものをあちら仕様に作り直して公開し、幾つかが認められたという次第だ。手術とリハビリの間はフルタイムで働く事も出来なかったから、仕様変更のための時間もあったし、諸々うまい具合に落ち付いた。
「なるほどねえ。出勤してないけど大丈夫?」
「自宅勤務って事にしてあるから、そのへんは大丈夫」
「魔導卿がサラリーマンねえ……」
改めてそう言われると、たしかに違和感が仕事をしまくっている。
「資産はあるだろうに。換金もできるって言ってたよね?」
「それなりにルートは作ってあるから、そりゃ出来るけどね。いっぺんに換金したら税金で大半持って行かれるよ」
「なんかみみっちい話になったなあ。抜け道とかないの?」
「日本の役人はそれなりに優秀だぞ?」
特に税務署は侮れない。税務調査の素早さ完璧さはピカイチと言って良いだろう。
こちらの役人には是非、聞き及ぶ国税庁の三分の一程度は優秀になって欲しいものである。
「怪しまれない程度にしておく都合上、多少は働く必要もあるんだよ」
「なんか贅沢だなあ」
「私達の年齢なら普通考えられないくらい贅沢だぞ、これ」
私と高橋は、いわゆる失われた世代に該当する。拉致騒ぎでそれどころじゃない人生だったが、普通に日本で生きていれば我々も漏れなく、就職難その他に見舞われていただろう。
安定雇用も無くなった流動性の高い世代だからこそ、長期行方不明だったはずの私がこうして仕事していても、よくいる非正規雇用でまともな記録が残っていなかったのだろう、と思って貰えるわけだが。
「そういや、寺井は日本でどういう説明してるわけ?」
「何を?」
「こっちのことだよ」
「特に説明はして無いよ。ただ脚の怪我の事があるから、海外でヤバい仕事をしてたと思ってる人も多いかな」
勝手に誤解させておくに限るが、しかし会社の飲み会で「傭兵だったんですよね!」と聞かれた時は吹き出しそうになって噎せた。
あれはいくらなんでもファンタジーの読み過ぎだと思う。
「現実がファンタジーを越えてるだろ」
「そこはつっこまないでくれ」
「そしてファンタジーの中で現実の仕事してるこのギャップ」
「私は日本のサラリーマン、魔導卿の肩書は現在休暇中ですがなにか」
「王宮の一室で貴族のなりして、やってることが会社員」
「現実はどこまでも追いかけてくるものさ」
ウェストコートは重いしシャツの袖につけられたレースは邪魔だし(男性のシャツも袖をレースで飾るのが今の流行だそうだ)、あちらもこちらも現実はそう美しいものではない。コートはとっくに脱いでシャツとジレだけになっているが。
若手が作ったプレゼン資料にいくつか修正を入れて、バージョンを改めて保存してから回線を切断し、こちらのシステムを立ちあげた。
3Dディスプレイは半魔術式。あちらの3Dはまだヘッドマウントディスプレイが主流だから、これの方が便利だ。開発はものすごく大変だったが。
「それで、今日の用件は?」
高橋も暇じゃないだろうから、さっさと聞いておくに限る。
たとえ茶菓子をむさぼりつつ黒茶をすすって寛ぎまくっていても、高橋も高級官僚だ。けして暇ではない、はずである。
「ムンディ伯爵についてはこちらで対処する、と伝言があったよ」
「すると私の仕事は無くなったな?」
「んなわけないって。魔導卿におかれましては、召喚術の実施を試み続ける者の捕獲に御助力頂きたく、だそうだよ」
黒幕はムンディ伯爵の可能性がかなり高いが、ムンディ伯爵自身は魔術に疎く素質も無い一般人だ。そのムンディ伯爵に働きかけて、術の試行を続けるための資金と人員を確保している者がいる、と考えるのは自然な事だろう。
そしてあれだけの執拗さで試行を続ける者なら、ムンディ伯爵が使えなくなれば、別の寄生主を探してまた同じ事を続ける可能性が高い。
政争はこちらの人間に丸投げするが、さすがに魔術師の事は手を貸しておいた方が良いだろう。
「使い捨てる魔術師の数を確保できる相手だ、というのも厄介なところだな」
自動妨害装置の作動歴は10を越える。つまり、一連の試行で魔術師が10人以上死んでいる。
召喚術そのものが簡単ではなく、ある程度の熟練と才能が必要である事を考えれば、10人以上のそれなりの魔術師を使い捨てにしてなお諦めていない見えざる『敵』は、金なり人脈なりに恵まれた人物だろう。
「どこかの貴族だろうねえ」
「問題はそれが誰か、なんだが……面倒だからって私に押し付ける腹だろ、これ」
「魔導卿の役割を考えればねえ、おまえなら断罪するだけの立場だし?」
後がどうあれ、召喚術を試みる者を罰するだけ。国としても諸々の柵を気にせず処罰できる人物に任せた方がありがたいのだろう。
なんだか天災にでもなったような気分だが、役回りとしてはまあ間違ってない。
「責任者を吊るし上げたあとの面倒は、丸ごとプレゼントするからな?」
「貸し出した若手に丸投げで良いよ」
「責任者が尻を拭うべきじゃないのか、そこは」
「獅子は子を千尋の谷に突き落とす、てやつ?」
「首を傾げるところじゃないだろ」
物理的に丸みを増した童顔の高橋が笑いながら首をかしげると、どう見ても大黒天にしか見えなくなる。打ち出の小槌と頭陀袋を持たせたらそっくりだろう。
中身は鬼だが。
「ああそうだ、一つ資料が欲しいんだが」
「私で何とかなる範囲なら」
「軍の補給に関する資料が必要になりそうだ」
「それ、サウードに聞いた方が早いと思う」
あいにく、サウードは視察で首都を離れている。彼もかなり忙しい立場だ。
「陸軍も当たらせるけど、中央官庁でどう把握してるかも気になるんだよな」
もちろん、私自身で聞きに行く気はさらさら無い。私の肩書を聞いた瞬間に硬直する役人の口は、開かせるだけで大変だ。
若手二名にやらせれば良いだろう。
「ふむ。すると財務省かな」
「そこまで聞きに行くかどうかは知らんけど、若いのが手古摺るようだったら頼むと思う」
「判った、この後も進捗は教えてくれるとありがたいなあ」
「了解」
頷くと、高橋は一見すると邪気のない笑顔になった。
「話は変わるけど、この菓子どこで調達した?」
「日本から持ってきた」
まさかずっとこちらにいるわけもない。ハードウェアの調達その他諸々もあるし、今はあちらとこちらを行き来している状態だ。
なにより会社のミーティングというものがあるので、たまには帰らざるを得ない。
「そっか……うちの奥さんが好きそうなんだけどなあ」
言うと思った。
「安心しろよ、ティファちゃんと子供達の分ならあるから」
高橋のところは実年齢差40歳という年の差夫婦で、奥方の事なら子供の頃から私も知っている。
どこが良いのか判らないが高橋に懐き、大人になると肉食系の本領を発揮して、高橋との結婚をもぎ取った子だ。高橋と並ぶとさながら、美女とスライム(例のゲームに出てくる目玉と口のついたぷよぷよしたアレ)である。
本来ならあちらの物品をこちらの人間に渡すのは厳禁だが、高橋家の場合は「高橋が所属する文化を家族に伝えるため」という口実が使えるので問題ない。立場とは便利なものだ。
「え、私の分は?」
「今食ったろ」
「ええ~、それひどいよ」
「太るぞ」
「今さらだから気にしない」
軽口をたたきながらベルを鳴らして従僕を呼び、準備してあった紙袋(ああは言ったが高橋の分も入っている)を渡すと、高橋はニコニコしながら戻って行った。
日本の税務調査官はたいへん優秀でして、もはや感心する以外にないのですよね。
寺井を吹き出させた若手の様子はこちら(異世界召喚被害者の会。閑話集「そのいち:魔導卿のサラリーマン生活。」https://ncode.syosetu.com/n9074fa/1/ をご参照ください)