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私と騎士。

キャロラインが懐かしい思い出に身を委ねていた間に、人々の歓声は消え、すっかりと窓から差し込む光もなくなっていた。

ボーッと椅子に腰掛けていたキャロラインから望めるのは、街灯りに照らされて黒くも青くも見える夜空に瞬く星が少しだけ。

何処かから立ち上り、窓から侵入してきた美味しそうな夕食の匂いが、キャロラインのお腹を鳴らす。


死を覚悟していても、お腹は正直なのね。


キャロラインは声を上げて笑ってしまった。

お淑やかに!上品に!大きな声を上げて笑うなんて!!

侍女から王太子の寵妃、そして近々神の許しを得て正式な妻となる筈だったキャロラインには、侍女頭や先王の側妃達からの貴婦人教育が連日連夜、徹底的に施された。

それもまた、今となっては大切な思い出だ。

何度も何度も逃げ出したいと思う程に恐ろしく、嫌で仕方無かった時間だったが、物覚えの悪いキャロラインに根気良く教えを授けてくれた侍女頭や、先王の側妃達の優しさや厳しさが懐かしく思える。

王宮の奥深くで怯え続け、気づいた時には塔の中にいたキャロラインには彼女達がどうなったのか知る術はない。でも、何処かで無事で居て欲しいと、何食わぬ顔をして帝国の民となって幸せになって欲しいと願うことだけは忘れない。


「ご飯、遅いわね。」


もう、こうなってしまったのなら、ただのキャロラインに戻っても大丈夫だろう。

キャロラインは、処刑のその日まで素の自分に戻ってしまおうと考えた。

「あぁ、もう!処刑が決まったからって、お腹は減るんだから。明後日の一番大事なところでお腹が鳴ったりしたら、恥ずかしいのは私じゃない!」


民衆に囲まれた処刑台の上に立つキャロライン。

皇帝も、その隣にリリスを伴って処刑の様子を見ているだろう。

処刑の口上を読み上げる執行人のその横で、グ~という音をお腹から鳴らす。

沸き起こるのは、失笑か、笑い声か、居た堪れない空気か。


「あぁ、絶対に嫌!そんな恥ずかしい姿を後世にまで残すかも知れないなんて!」


頬を自分の両手で包み込み、ブンブンと頭を勢いよく振ることで、想像してしまった最悪の光景を必死に追い出そうと頑張った。


カツンッ


「ご飯ね!」

扉の向こうから、まだとても小さいものだが、足音が聞こえた。

頭を振り乱すことを止めたキャロラインは、乱れた髪を手櫛で整え、身に纏っている服の皺などに目を走らせて簡単に手で払って直していった。

何時も食事を運んでくる監視の兵とは扉越し、声を交わすことも無いのだが、それでも身嗜みに気を使ってしまうのは、地獄のように厳しく教え込まれた教育の賜物だった。

カツッ カツッ

「あれ?人、多くない?」

差し込み口から食事が入ってきたら、すぐに受け取ろう。まだか、まだか、と扉の前に立って待っていたキャロラインは、段々と大きくなって響く足音が多いことに気がついた。

一人、二人、三人?

反響によって聞き取り辛いが、耳を澄ませて集中したキャロラインは、その足音が三人分であると感じた。


「まさか…まさか…?」


可笑しなことを考えた人間が?

扉にはしっかりと鍵が掛けられている。だが、それは外側からのものだ。もしも、鍵を持つものが居るのならばキャロラインに逃げ場は無い。

皇帝自らが大々的に処刑すると宣言した者をどうにかしようと考えるだろうか、と考えることも出来たが、それでも此処は帝国になった間もない、元ローラン王国の地。

戦争を引き起こし、多くの人々に悲劇をもたらしたキャロラインを直接、害したいと願い強行する者も全く居ないとは限らない。

一応、扉からは出来るだけ離れておこう。

キャロラインは足音を立てないように摺足で、扉と向かい合ったまま部屋の奥へと下がってみた。

死ぬことに恐怖は感じないが、キャロラインの死は処刑台の上であるべきだという考えが、キャロラインに逃げろと言っていた。


カチャッ


扉の向こう側で、鍵が開く音が響いた。

この場所で気がついた時から、開いている姿を見た事のない扉が開く。

「キャロライン様!」

「キャシー!」


「シルビア?アルフォンス様?」


扉が開くと同時に部屋に転げ入るような勢いで入ってきたのは、キャロラインの友人達の姿だった。

キャロラインの護衛役をまかされていた女騎士シルビア。

宰相の息子で、ラシドの乳兄弟のアルフォンス。

あの頃では考えられない汚れの目立つ、服の乱れも気にする様子もない二人は、その顔に喜びと悲しみを滲ませてキャロラインに抱きついてきた。


そして、二人が勢いよく入ってきた扉の所に立って、階段の下へと目を光らせている一つの青年の後姿を、キャロラインは二人に苦しい程に抱き締められながら確認した。

それは、懐かしい幼馴染、アーサーのものだとすぐに分かった。


「よ、良かった。生きていてくれたのね。」

シルビアやアルフォンスは、キャロラインの中に残っている記憶では最後まで王宮に、キャロラインの目に届く場所に居たとある。軍に属していたアーサーは、帝国軍と直接対峙した戦場に向かい、王宮で怯え続けていたキャロラインもずっと、気に掛けていたのだ。

捕まったとも、死んだとも、耳には入ってこなかった。だから、自分を説得するように「大丈夫だ」とずっと言い聞かせていた。

こうして無事であった姿を確認し、その温かな体温を感じることが出来て、キャロラインは嬉しさに涙を流した。

「なんとか…ではありますが。貴女が処刑されると聞いて駆けつけて参りました。」

「陛下を御助けすることは間に合わなかった。ですが、ですから、何とか貴女だけでも…。きっと、ラシドもそれを望んでいる。」


「二人とも…」


「それにしても、貴女をこんな場所に閉じ込めているなんて!いくら敗戦国とはいえ、実質王妃の地位にあった者にこのような待遇。」

「キャロライン様。助けが遅くなりまして、申し訳御座いません。ですが、ご安心下さい。帝国の非道を許せぬと、王国の民であった誇りを失うことのない多くの者達が、反旗の時を今か今かと窺っているのです。キャロライン様の存在は、皆を喜ばせ奮起させましょう」


キャロラインに触れる手を決して離す事なく、二人は涙を滲ませながらキャロラインに言い募る。

「反旗…。」

「えぇ、この街に居るような帝国の支配に簡単に屈してしまう愚か者達ばかりではないのです。どうか、キャロライン様。我らが王妃よ。私達と共に、王国を取り戻す為に、皆を率いて下さい。」

それはキャロラインに協力を乞う言葉だったが、その声と二人の目には拒否するなど微塵も思ってもいないという光が宿っていた。


「私は…」


「お早く。あまり長くは留まれませんよ。」


階下の様子を窺ったままのアーサーが、キャロラインの返事を急かす。

アルフォンスとシルビアの二人などは、キャロラインの返事を待つこともせずに連れて行こうと動き出していた。


「私は、行けないわ。」

「何を!!?」

此処に残れば命は無い。

だから、迎えに来た三人と共に行く以外の返事があるとは思っても見なかった。シルビアとアルフォンスの顔にはありありと、信じられないという驚きが浮かんでいた。

「何を言っているのですか!貴女には王妃として、民を導く…」

キャロラインの肩を手で掴み、骨の軋む音が聞こえてきそうな程の強さで荒れ果てた手で力を加えたアルフォンスは、キャロラインに顔を近づける。

「アルフレッド様。」

キャロラインはそんなアルフォンスの両頬を、両手で包み込んだ。

そして、ジッと逸らされる事がないように目を合わせる。


「現実から逃げてはいけないわ。帝国に勝つ勝算など、砂の一粒ほども無いではありませんか。無闇に人が傷つくだけ。ねぇ、アルフォンス様。リリス様…リリアーナ様は貴方の従妹でもあるのです。あの方は民を思いやれるお優しい方。誠意を込めて許しを請えば、きっと許して下さいます。王国の民を護る為にも…ねぇ?」


「--------…そう、そうですね…。あぁ、そうだ。民を守らなければ…」


「アルフォンス様!?キャロライン様、一体何を!!!?」

キャロラインの願いに、アルフォンスは先ほどとはうってかわった穏やかな顔となり、そうだなと頷いている。

シルビアは、そんな大きな変化を起こしたアルフォンスと、キャロラインの顔を交互に、驚きと恐怖が交じり合う表情となって見回した。


「シルビアも。民達を守ってね。」

「キャロライン様…。」

「私はいいのよ。ちゃんと自分の罪を分かっているもの。それに、私だけ逃げてしまっては、ラシド様が寂しがるわ。」

トンッ

鍛え上げられたシルビアの体には何の衝撃も与えない、軽い突きをキャロラインはシルビアの胸元に当てた。

行って、と一言呟けば、キャロラインと目を合わせていた二人は、ヨロヨロと最初の勢いは何処に行ったのかと笑いそうになる足取りで部屋から出ていく。


「アーサー、無茶をしないでよ。」

部屋を出て行く二人を見送ったキャロラインは、扉が開いた時から全く動こうとはせずに、ずっとそのままの体勢で居たアーサーに苦笑を向ける。


「あいつらを止めるには、『傾国の魔女』の力を借りるのが一番だと思ってな。」


幼馴染であるアーサーは知っている。

アルフォンスもシルビアもラシドも、リリアーナも知らないキャロラインの力を。

だからこそ、そういうのだろうが、まさか昼間に初めて耳にして笑ってしまった名前をその口から聞くとは思っても見なかった。


「何よ、『傾国の魔女』って。」

「お前の力を知ってる奴なんて限られてるだろ?」

「……そういう事を考えそうなのって、兄様しか思いつかないんだけど。」


キャロラインは口先を尖らし、表情で不満を示す。

「『国を滅びに導いたんだ、傾国の名が相応しい。』だってよ。」

「はいはい、そうですか。兄様によろしく言っておいて。素晴らしい名前をありがとうって。」

ほら、時間は無いんでしょう?

兄への文句を漏らしながらキャロラインは、アーサーにシッシと手を振って、塔から出て行くように促した。


「何か、望みはあるか?」


「……最期になるんだから、弟や兄の顔は見ておきたいかな?」


勿論、弟に処刑の場面など見せるわけにはいかない。

ただ、この塔を出るくらいならば、顔を見る程度のことは出来るのではないだろうか。無理に近い願いだと分かっていても、ついついキャロラインは口にしていた。

「分かった。なんとかする。」

「えっ!?そんな、アー…」

バタンッ

キャロラインの望みは難しい話だ。

キャロラインが最期に会いたいのは、異母兄と異父弟。彼女にとって、はっきりと家族と言いきれる二人の顔をしっかりと刻み付けてから逝きたいという願い。

異母兄はどうにかなるかも知れないが、異父弟は難しい。何故なら、今あの子は帝国で、キャロラインのことなど忘れて生きているのだから。アーサーにどうにか出来るとは思えない。

安請け合いしたアーサーを止めようと声を掛けるが、キャロラインの制止を最後まで聞くことなくアーサーは扉を閉め、鍵をしっかりと掛け直して立ち去ってしまった。


「…なんとかするって…どうするつもりなの?」


その問い掛けに答えは返ってくることはなかった。





キャロライン・ホーグスは罪を犯して処刑される。


『傾国の魔女』という名を後世にまで残すことになる彼女の罪は、古き良き王国を滅びへと導いたこと。

彼女にかかれば、善良なる民達も、貴族達も、王族も、悉くが彼女の虜となった。

その魔性によって全てを奪われ、国を追われた姫君が居た。

姫君は家族と共に帝国へと辿り着き、若き皇帝と出会う。

皇帝の優しさに恋へと落ちた姫君は、彼の後押しを受け故郷を取り戻した。

そして、恐るべき力を持った『傾国の魔女』は捕らわれ、もう二度と惑わすことのないようにと首を落とされた。


後世において、そう描かれるキャロラインの処刑。

キャロラインが何を考え、どう思っていたかなど、後世に伝えるものは何も無い。

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