リウ 下
最終話です。
「リウ!」
なのに。
どうして。
声がして目を開けばそこにはルー。しかもこんな至近距離で見つめ合うなんて、いったいどうしたのかしら。これは夢? 夢なら随分と意地悪な夢ね。
「馬鹿リウ!」
「リウ! 気がついた」
滂沱の涙を流しながら、リウは私を抱きしめた。そう、私を。その感触を確かめて、私はこれが夢じゃないことと知る。ルーの隣にいたアラリスは床にへたりこんだ。
「なんで? ここは、私の部屋?」
ルーとアラリスに聞くけれど、泣きながら抱きつくルーは私の質問に答える余裕がないようだ。こら、いい加減離しなさい。どこを触っているの、こら!
ごん。
私は耐え切れずにルーの脳天を拳を作って強打した。
「あう!」
「あう、じゃない! さっさと離れなさい、ルー!」
「りっ、リウ! 止めて、痛い。痛いって」
それでもぎゅうっとしがみついているルーに、私は容赦なくごんごんと強打し続ける。それでようやく離れたルーにどうして私はここにいるのかを、改めて問うのだった。
「ずっと待ってたんだ。ずっと、ずっと。消えかけているリウを俺の精神を少し切り離して、包み込んで、リウの体の中に入れた。そうして少しずつ元に戻っていくのを見守ってた」
「なんでそんな危ないことを!」
「やり方は僕が教えた。じゃないとリウが消えてしまうから。神である僕にはできないことだから。体を一から創るのも大変だしね」
「教えたって! そんなこと……。それに体を創るって」
じゃあ、今のこの体は。
「責めは受けるよ。だけど、僕とルークスにとってはやらなければならないことだったんだ」
「ああ。俺にとってはそんなことじゃなかったんだ。主を失ったら俺は……。違う。リウだから、俺のリウだからこそ、失いたくなかったんだ」
真剣な眼差しでルーが私を見る。その目には間抜けな顔をしている私が映っていた。
「言ってる意味、わかるか?」
「わからないなんて言わないよね?」
私の額にルーの額がこつんと当たる。
そんなの、わからないよ。だって、そんな。そんなことあるわけ……。だけど今のルーの顔、間違いない。男の顔なんだもの! 熱にうかされたような目で私を見ないでっ。
なんでそんな今まで見せなかった顔をしているの。色気ありすぎでしょう! 私の心臓はなぜか沸騰したお湯のようにばくばくいってた。
「わ、わか」
「わからないなら、わからせるまでだぞ」
「わわ、わかった! わかったからその、もう離れてっ」
げ、限界! いつもは心配性な執事みたいなくせに。なんで今日はそんなに……。
「一〇〇年」
「え?」
「一〇〇年も眠ったままだったんだ、リウ」
「え、そんなに?」
「もう起きないかと思ってた」
なにそれ、精神体を元に戻すのってそんなに時間がかかるの。それじゃ、それだけの間、私はずっと待たせてたの……。なんだかものすごく悪いことをした。曇った私の顔を見て、ルーとアラリスはくすっと笑った。
「まるで眠り姫のようだったぞ」
「ね、眠り姫って……。まさかなにもしてない、よね」
「なにもって、たとえば、どんな?」
ルーがまたこつんと額を当ててくる。
な、なんだかルーが意地悪になってる。月日はこんなにも人格を、いや、猫格を変えてしまうものなのか。
「あの、ごめんね? 長い間、起きなくてさ。悪いと思ってる。ごめんなさい」
私は気持ちを籠めてルーとアラリスに謝罪する。許してもらえるかしら。涙目で窺うように上目遣いをすると、ルーは片手で顔を覆い、そっぽを向いてしまった。アラリスはにこにこしてる。あれ、ルー、だめだったかな。怒ってる? あ、でも……。
「耳が赤い」
「うるさい」
ルーが空いているもう片方の手で私の顔を覆って見えなくする。なんで。ルーが照れてるなんて貴重なもの、見なくちゃ損じゃない。
私は両手でルーの片手を掴むと下ろさせる。ほら、見せてごらんなさいよ。私はいたずらっ子のような心境になる。見られたくないものを見るって、なんかどきどきしない?
ルーは恥ずかしいのか、自分を覆っていた片手を使ってまた私の顔を覆う。ちょっと、見れないじゃないの。おじさ、いや、おばさんに見せてごらん! げっへっへ。気分はなんだかセクハラ親父のようだ。
私は両手で押さえていたのを片手に変更し、私の顔を覆っているルーの手を掴むと顔から外させる。これでもう隠せるものはなくなったわ。どうするのかしらね、ルー?
「ったく、もう……。リウが悪いんだからな!」
そうルーは言うと、私が掴んでいたのに、逆にルーが私の手をくるりと掴んできた。え、なに。なんて早業。
ルーの手を見てから何事って思い、顔を見る。
あ、これなんかやばいかもしれない。ルーの顔が近づいてくる。逃げなくちゃ。でも、逃げていいの?
そう思ってたら。
私の唇に柔らかいものが当たった。一瞬なんの感触だかわからなかった。でも、これって、これって!
目を見開いたまま至近距離のルーを見ていると。
「いつまで目、開けてるの」
「あ、うん」
そう言われ、私はそっと目を閉じた。
そうして二度目の柔らかな感触に、私は心拍数がありえないほどに上がっていくのがわかった。だけど、それと同時に心から安心していることにも気が付く。
日本からここに来て、私の帰る場所なんかもうないって思っていたのに。ああ、私は帰ってこれたのだと、そう思った。ようやくわかったよ。
私の帰る場所はここ、ルーとアラリスのそばなんだってこと。
「おはよう、ルー」
「おはよう、リウ。今日の朝食はベーコンエッグと白パンにポトフだぞ」
「わあ! 私ルーのポトフ大好きなんだよね」
「知ってる」
優しく微笑んでこちらを見ているルーに気づいて私はごほごほと咳き込む。スープが気管支に。
そんな私の口元を拭いてくれるアラリス。なんだか甲斐甲斐しいわね。ああ、もう。
なんて顔をしてるのルーとアラリスったら。朝っぱらから二人のそんな甘ったるい顔見たら、こっちまで伝染しそう。とかいいつつすでに笑ってるけども私。
「今日はどうするんだ」
「今日はアイリさん、だっけ、新しい店主さん。そこの雑貨屋に蓬の丸薬と、風邪に効く粉薬を卸に行くよ。ルーが引き継いでくれてて助かった。ありがとう。……あとはお墓参り、かな」
「カチュアとレックスのか」
「うん。昨日起きたばかりだから実感がないの。まだあの日から一日しか経ってないような気がしてさ。だからちゃんと受け止めるために、行かないと、ね」
私は今ちゃんと笑えてるだろうか。私が眠っていた間にカチュアはレックスと無事結婚して、子供も産まれて、幸せな家庭を築いたそうだ。老後は孫たちに囲まれて、なんと夫婦揃って老衰で亡くなったって。それをルーから聞いたときはロマンチックだけど、なにかの冗談だって思った。
けれど、ルーとアラリスはそんな冗談は言わない。だからきっと本当のことなんだとわかってる。でも、心がまだついてきてくれないのよ。
でも行かなくちゃね。
代々続く雑貨屋さんへ、薬を卸に行った私は、ルーとアラリスの三人でカチュアとレックスのお墓参りに来た。
「ああ、本当に、本当なんだ。カチュア、まだたくさん話たいことがあったのに、なんで待っててくれなかったの」
私はカチュアを理不尽に責めた。だけど、ごめん。私のほうこそ、今まで眠ったままになって。話、いろいろ聞いてあげられなくて。
いつか別れることがくるってこと理解してたけど、それはこんな急にじゃなくて。私も外見をカチュアの年に合うように変えていくはずだったのに。なのに。
私はカチュアとレックスのお墓に蔓薔薇の種を蒔いた。あの時の布にしていた蔓薔薇の刺繍。カチュアが無邪気でレックスが爽やか、かな。花言葉。
「喜ばないと怒るからね」
きっと喜んでくれる。
墓石に巻きついた綺麗な蔓薔薇を想像して、私は笑みを浮かべる。しゃがんでいたら、ポツポツと水滴が落ちている。ああ、泣いてるんだな、私。
アラリスがそっと肩を抱き寄せてくれた。
「二人とも、これからも一緒にいてね」
「当たり前だよ。もう離さないからね」
「ああ。リウももう、いなくならないでくれ」
「もちろんよ」
三人でそう言いあいをしていると、カチュアが「目の前でイチャついてんじゃないわよ! こっちが恥ずかしくなるじゃないの」って、頬を膨らませながら照れて言ったような気がした。
明日からも、毎日を楽しまなくちゃね。
神様代行から、神様になって、ね。
ここまで読んでくださり有難う御座いました。




