リウ 中
「リウ!」
結界の外からルークスは叫んだ。
自分の主が黒い霧に覆われて見えなくなっていく。
あの黒い霧が蠱毒の器のようなものだとしたら。そして、その黒い霧に呪術師の全てがあるのだとしたら。
呪術師が入っていた器が崩折れた。
リウは今すぐ結界を解いてリウのもとへと駆けつけたかったが、あの黒い霧を逃がすわけにはいかず、その場で歯噛みする。
「リウ!」
再度、結界の外から大声で叫ぶ。
黒い霧が次第に薄くなっていくと同時に、リウの焦燥感は募るばかりだった。
そうして黒い霧が完全にリウの体の中に入り消えていくと、リウの両肩が小刻みに揺れているのに気づく。
「くっくっく。……あはは、あーっははは!」
それは笑いを抑えてたようで、耐え切れなくなったのか、リウが不気味な笑みを浮かべ笑っていた。
「くそっ」
ルークスはリウが呪術師に取り込まれたと感じる。主従関係の繋がりがあるため、主がどういった状況なのか、わかるのだ。
今、リウは呪術師に体を乗っ取られていた。ルークスは耐え切れずに結界を解くと、急いでリウの下へと駆けつける。
「ふふ」
だが、あともう少しというところで、呪術師はルークスに向かって手を上げると、ごうっと音と共に火球を投げつけてきた。リウの意識までも黒く染まっていくのがわかり、ルークスはただただ、小さな子供のように不安に駆られて涙を流し、リウのもとへと向かうことしかできなかった。
「リウ!」
「うるさいな」
煩わしそうに呪術師はそう言うと、ルークスに衝撃波を当ててあの場に足止めをすると、リウの体を闇に溶け込ませる。
このまま行かせてはだめだ。ルークスは主を取り戻すため、捨て身でリウ目掛けて突進していく。だが、消えていくリウの体にあと少しで触れられる、という時。リウの体は完全に闇に溶けていなくなった。
「リウ……っ」
ルークスは、置いてかれた子供だった。伸ばした手は下ろされその場で呆然と佇むのみ。何が起きたのか理解したくなかったし、リウの意識がなくなるのを認めたくなかったのだ。できるのはリウの名前を呼ぶことのみ。そのうち人の体を保てなくなるほど憔悴したのか、ルークスは猫の姿に戻ってしまう。
その日から、リウの姿を見ることはなくなった。
◇
「ここは……。なに」
私は一人、暗闇の中にいた。三六〇度どこをみても真っ暗で、重力もなく自分が今どこにいてなにを見ているのかさえ怪しかった。
しばらくぼーっとしていると、小さな小さな明かりが前方にちらと見えるのに気が付く。その明かりは注視していないとすぐに消えてなくなってしまうような。心細く頼りないものだった。
いったいなにが起きて私はここにいるんだっけ。そう思いながらも、頼りない光に縋りつきたくて、私は前へ前へ行こうと暗闇の中でもがく。
「待って、消えないで」
光が消えそうになって、私は泣きそうになる。なんでこんなところに私はいるの? さっきまでは、そう、さっきまで私は呪術師と戦って……。
「呪術師!」
そうだ。私、あの呪術師の黒い霧に。
そうか、あの黒い霧自体があいつ自身だったんだ。
前に討伐した時は、翁が本体だと思ってた。だから、少しだけ黒い霧の残滓が残っていても大して気にしてなかった記憶がある。
完全に私の失態。迂闊だわ。
私は今、あいつに取り込まれてるのね。だけど、私をどうこうしようなんて、それこそどうしてくれようか。
「ふふん」
私は不敵に笑みを浮かべる。
油断したけど、もうそれもないわ。さあ、姿を見せなさい。この私の中で、今度こそ完全に消去してあげるわ!
「呪術師! いるんでしょ。さっさと姿を見せなさいな」
「ほほほ。お目覚めになったようですな。ご機嫌はいかかでしょう」
「最悪ね。あんたが私の中にいるなんて、虫唾が走るわ」
「今はわたくしが貴女なのですよ。ひょほっ」
呪術師は気持ちの悪い笑い声を上げて、私の周りを小馬鹿にしたようにくるくる回る。
ああもう。その笑い声やめて。我慢できなくなる。でも今は駄目。
「今回はあんたの勝ちってわけね。それは素直に認めるわ」
もう少し。もう少し引きつけないとだめだわ。だから諦めたように私は俯いてみせる。すると呪術師はもう少しだけ近寄ろうと思ったのか、すすと私の方へと飛んできた。
「ほほう。貴女も随分と丸くなられたようですね。どうでしょう。このままわたくしと共存するというのは。このまま貴女が消え行くのも悲しいですからね。貴女の持つ知識はとても魅力的だ」
もう少し、もう少し。呪術師は私との距離が一メートルくらいの所まで来た。
今ね!
「あんたと共存? はん、馬鹿いってんじゃないわよ。あんたみたいな下種に私の体を渡すわけ、ないでしょ!」
私はそう言うと、呪術師を掴んで巴投をした。呪術師は突然のことにそのまま投げ飛ばされる。だけど、精神体のせいか、有効打にはならないみたい。めんどくさいわね。
私は舌打ちをして、まずはこいつを体の外へと出す方法を考える。……そうね、あれなら。
「どうやら貴女にはその気はないようですねえ。残念ですが仕方ありません。ここで消えていただきましょう!」
「消えるのはあんたよ!」
ごうっと突風が吹くようにして私へと迫る呪術師。さあ、来なさい。今度こそあんたを冥土に送ってあげるわ!
呪術師の攻撃を私はあえて受け止めた。目を見開く呪術師。急いで退こうとするが、私は間髪入れずに呪術師の精神体を私の精神で逃す事無く包み込む。呪術師が何かを叫んでいたが、気にする必要性は感じないわ。
そうして私は呪術師と一緒に、一気に体の外へと飛び出した。
「さあ、消えなさい。呪術師!」
包み込んでいた精神を、これでもかとぎゅうぎゅう押し込んで小さく小さく丸め込む。呪術師の精神は米粒程に凝縮されていく。なんとか逃げようと必死に暴れているけど、逃さないわよ。
冷たい目で呪術師を見れば、びくっとなりその場で固まる。私は、私も呪術師と一緒に密度を上げて、精神体を縮小させていく。こんなことをすれば私もただじゃ済まないかも。だけど、ここでこいつを逃がすよりはずっとまし。
「途中までは付いてってあげるわ。だからもう、逝きなさい」
怖いくらい優しい声色で私は私の中にいる呪術師に語りかける。
だけど、もう返事もできないくらい、呪術師は小さくなっていた。埃よりも小さく、原子よりも小さく。そうしてその存在をパンっと消し去った。
「おやすみ」
空には眩い星空は瞬いていて、私は下を見下ろした。ちょっと無茶しちゃったから、あの体にはもう戻れないかもしれない。
私が地球に存在していた証の体は、使い魔で相棒のルーが掻き抱いていた。それを見て私は苦笑いをする。もう少し親離れしたほうがいいかもしれない。
だって、これから先はルー一人で生きていかなくちゃならないのだから。体がないし、これはもう神様代行じゃなくて、神様に昇進かな。いやな昇進だわ。
小さくなりすぎた私はもう、先に逝った呪術師の後を追うようにして次第に点滅し、消えかけていく。
ああ、もうこれで消えるんだ。ここで終わり。どっちの世界でも短い人生だったなあ、と私はそっと目を閉じて、その死を受け入れた。




