勇者の物語~目の前の壁~
熱い。
目の前が赤い。
何が、どうなっているんだ?
あたり一面、赤い。赤い何かが、ゆらゆらと揺れている。
何で、何も分からないんだ?
どれだけ目を凝らしても、その、赤く熱いものが何か見えない。
赤い何かが大きく迫ってくるにつれて、僕の頭が何が何だか分からなくなってくる。
間近まで迫ってきて、ようやくそれが何かが理解できた。
――――――炎だ。僕が発生させた火の成れの果て。
募る恐怖。
口から悲鳴が溢れる。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
視界から炎が消えた。
「夢、か……」
妙に疲れていた。汗をかいていて、シャツが体に張り付いて、気持ち悪かった。
「……最悪だ……」
まだ、朝の4時だった。
シャワーを浴びに1階に降りた僕、ソウトは、珍しく起きていた父に声をかけられた。
「よぉ、ソウト。おはよう。珍しく早いなぁ」
「父さんこそ」
僕は、自分の悲鳴で父を起こしてしまったのではないかと不安に思う。
「いやぁ、実は、新しい遺跡のカギをつかんでさ。いてもたってもいられないというか……。ほら、遠足の日はわくわくして早く起きてしまうだろ?あんな感じさ」
僕の父は考古学の教授、研究者である。遺跡とかに関しては子供のように好奇心を示す。
「ふーん。それはいいけど、あんまり派手に騒いで体を壊さないでよ」
僕はシャワールームへとリビングを通り抜ける。
「ソウト。お前こそ、無理はするなよ」
僕の背に向けて、父はそう言った。
――――――無理なんか、してないよ。
心の中で、こう答えた。
朝、学校に行く前に僕は病院による。別に、僕が体のどこかが悪いというわけではない。
2週間ほど前、僕のクラスの問題児、レイが、どこかの研究所(?)の人たちに操られ、その反動で体調を崩して入院している。
僕とレイはさほど仲がいい訳ではないけど、やっぱり誰も見舞いにいかないのはかわいそうだと思う。
――――――本音を言うと、放っておくとろくなことをしないから、見に行っている。
「レイ、おはよ……っ!!」
病室に、レイの姿がない!!
ちょうどやって来た看護師さんに尋ねる。
「あの……レイは……?」
「レイさん? いると思うけど……」
看護師さんはレイのいないベッドを見て驚き、慌てた様子で連絡をしに行った。
「……脱走、か……」
僕はため息をついた。
放課後になって、僕はレイの家に行くことにした。
「ソウト! オレも行きたい!」
レイの家について何も知らないトアがついてきた。
「やめておいた方がいいと思うんだけど……」
「何で?」
「いや……あそこはかなり治安が悪いからさ……。怪我するかもしれないよ?」
トアがそれでも行くと言い張るから、つれていくことにした。
「テレポートとかで行けないの?」
「うーん……間違えたら怖いから、やめておくよ」
歩いていくにつれて、だんだんと雰囲気が悪くなる。そして、いつも通り(?)不良たちにからまれた。
「ホントだ。こりゃ酷い。よくレイはこんなところに住めるな。引っ越したくならないのかな?」
いつもの僕なら逃げるんだけど、今日はトアがいるため、トアが片っ端から電気ショックで気絶させていく。
「……ダメでしょ、それ」
「大丈夫大丈夫。正当防衛だし」
「あとからの逆襲が怖い……」
僕たちは壊れかけでボロボロのアパートに入った。
4階に着いたとき。
急に中央の部屋――――レイの家の戸が開き、人が飛び出してきた。
柵にぶつかり、激しい音が響く。
その人はフラフラと立ち上がると、よろよろと逃げていった。
「「……」」
トアよりも酷い人が存在した。
開けっぱなしのドアから僕たちは中を覗きこむ。
「……こりゃまた、大変だな……」
部屋の中はかなり荒れていた。物が壊れていたり、スプレーで落書きされていたり……
「ソウト、トア、おはよー。ってか、もうこんにちはの時間か。時計もねぇから何時かよく分っかんねぇな」
ソファの上でレイは寝っ転がっていた。
「もうすぐこんばんはの時間だよ、レイ……」
脱走した挙げ句に寝ぼけていて、もう呆れるしかない。
「そうか。確かにもう夕方みてぇだな」
レイが起き上がった。
「で、こんな時間に何しに来たんだ?」
「お見舞い~」
トアが気軽に言う。
「あぁ、そいつはどーも。なんももてなしできなくて悪いな」
そして僕たちの横を通り抜け、靴を履く。
「レイ、どこ行くの?」
「どこって、コンビニかなぁ。お腹すいたし」
そして鍵もかけずに出て行こうとする。
「ちょっと、鍵は!? ってか、僕たちどうするの?」
「ん? あぁ、そこにいたけりゃそこにいていいぜ。何もないけどな」
「せめて鍵ぐらいかけようよ。また荒らされるよ?」
「あぁ、その点は大丈夫。盗まれるもんは何もないし、大事なもんにはちゃんと難易度高い鍵をかけてあるから。それに、オレはもうすぐここ出てかなきゃいけないみたいだし」
「大事なものって、なになに?」
トアが興味津々だ。
「トアには微妙かもしれないなぁ」
そう言って土足のまま中に入り、ソファをひっくり返した。さらに、下にひいてある絨毯をどける。
床下収納らしい。鍵は十桁の数字錠のようだ。
「これ、数字錠に見えるけど、ベースエネルギーの鍵なんだ。世界でただひとつの鍵、開け方はオレしか知らない」
レイの手が数字錠に触れる。すると電子音がして、ふたがスライドし、階段が現れた。
「……これ、レイが作ったのか?」
「さぁね」
レイは下に降りていった。
灯りが自動でついた。
大量の本。
レイはその中から無造作に一冊引き抜き、僕に投げ渡した。
「見ても……いいのかい?」
表紙には『原典神話 第三章』と書かれていた。
「そのために渡したんだろーが。そいつは本物のレプリカだ。文章もそのままのせてある」
「そのままって……かなり危ないだろ!?」
『原典神話』の本物は、文字列自体がスキルになっていて、触れた相手のベースエネルギーを使い、実力のない者に開かせないような仕掛けがあるらしい。
「んなもんここに置くわけねぇだろ。ちゃんと封印(エネルギーの流れから強制的に干渉を絶ち切る処理)してあるわ」
僕は恐る恐る表紙をめくる。中から文字列と挿し絵が現れる。
僕の家にも、父さんの仕事上、『原典神話』のレプリカは置いてある。でも、文字列までそのままの物はない。
見慣れている文章なのに、初めて見るような感覚がする。手が、震えていた。
「どこに置いたか……あ、あったあった」
さらに二冊の本を取りだし、僕に渡す。
「宿題だ。全部読んでこい。出来れば、教科書の解釈と比べてこい」
二冊の本はそれぞれ『原典神話 第三章』の訳と、解釈書だった。
「あ、こいつもだ」
さらにもう一冊。これも解釈書だ。
「いや、こんな大事なもの借りるわけには――――――」
「いいんだよ。役に立てばそんなもの、なくたって構わない」
一体、レイは僕に何させるつもり何だろう?
「レイ、何でこんなにたくさん本があるわけ?」
トアが呆れたように聞く。
「さぁな。気がついたらこうなってた」
返事を聞いてさらに呆れる。
「気がついたらって……何してんの?」
「翻訳と解釈。個人的趣味でやってんだ。そうだ、こいつも一回整理しないとな。出てかなきゃ行けねぇからな」
「で、オレに宿題はないの?」
「ない。もう出るぞ」
そして、部屋の外に出た。
「ソウト、少し言いたいことがある」
レイがトアには聞こえないよう僕にささやく。
「トア、一人で帰れるか?」
「え? 何で?」
「オレ、ソウトにまだ用事あるから」
「え~。オレだけはばちかよ」
「悪いな」
ウダウダ言うトアをレイは追い出すように帰した。
「ソウト、お前、無理しすぎだ」
その言葉に、僕は内心、ドキッとする。
「そんなこと、ないよ」
「嘘つき」
レイが僕を鋭い目で見る。
「あの時――――オレが操られていたときも無理して戦っていたくせに。あの時は全力じゃなかったからまともに相手にできていたわけで、もしあれが、暴走したオレだったらどうなってたんだよ!? 怪我とかそういう問題じゃねぇ。下手すれば、お前は死んでいたのかも知れねぇんだよ!」
思わず後退りしてしまう。
「ただでさえお前はスキルの使用に抵抗があるんだろ? だったら下手に戦わず逃げればよかったんだよ! いつもそうだろ!? 何でオレの時は出来ねぇんだよ!」
レイがいきなり僕の胸ぐらをつかむ。その弾みで、手に持っていた本が落ちてしまう。
「答えろよ! ソウト! 何であの時、あんな危険な真似をした!? 何で一般人が、ただの学生が、あんな危険なことに首を突っ込んだ!? 何でオレを助けようとした!?」
「……っ……」
上手く、言葉にできない。
「遊び半分で、オレに関わるな! オレたちの世界に、危ない世界に半端な気持ちで足を踏み入れんじゃねぇよ!」
レイは僕から手を離し、そしてその場にへたりこみ、咳き込んだ。
「……ごめん」
僕はその場から離れた。
家から出ていく直前、突然、本が降ってきた。
「忘れ物。宿題は、ちゃんとやれ」
僕は黙って、本を持ったまま家に帰った。
「意味が、分からないよ……」
レイの言葉の意味が、分からない。
「『レイの世界』、『危ない世界』……」
口に出してみる。どこかで、誰かに言われたことがある気がする。
「あぁ、お兄ちゃんか……」
僕の兄は、僕よりも10才も年上だ。
今はもう、家にはいない。
僕が8才の時、家を出ていってしまった。
確か、そのときに言われたんだ。
『ここから先は、危ない世界だから、みんなを巻き込めない』
こっそりベッドから抜け出した僕に、兄はそう、告げた。
「なんだよ、『危ない世界』って。分かってるなら、そんなとこに行かなきゃいいのに……」
うやむやとしたまま、僕は眠りについた。