後編
「お……お前、誰だよ!?」
「そっちこそ誰だよ!?」
「それはこっちの台詞だ!」
小高い丘の上で、全く同じ姿の三人の青年が言い争いを続けていた。全員とも全く同じ服装、同じ髪型、背中には全く同じ形の剣を背負い、顔にあるほくろの位置まで同一である。三人とも、自分が神様によってこの新たな世界へと導かれ、英雄としての第一歩を踏み出そうと考えていた。だからこそ、周りにいる自分そっくりの存在を認める事は出来なかったのである。
三人寄れば文殊の知恵と言うが、ここにいる『彼』は頭の中身も全く同じであり、和解など誰も考えていなかった。しかも一人の『彼』は三人目の『彼』に転ばされた形なので、余計に苛立っていたのだ。
「いい加減にしろ!俺が本物だ!」
「ふざけんな、俺が本物に決まってるだろ!」
「早く正体見せろよ、魔物ども!」
そして、今度こそ自らの剣で決着をつけようと、一斉に『彼』らは再び背中に手を伸ばそうとしたが、すぐにそれは止まってしまった。小高い丘の上に立つ三人の『彼』の周りに、あの時の小さな光がいくつも現れ始めたのである。それらはしばらく空中で輝き続けた後、一気に大きな光となり、新たな人物の姿へと変わっていた。そう、『彼』の姿に。
しかも、今度は口論させる暇すら与えなかった。現れた光が、次々に『彼』の姿に変わり続けたからである。四人目、五人目、六人目、十人目、十五人目……三人の『彼』は、唖然としながら新たな自分が現れ続けていく様子を見つめ続けた。彼らもまた自分が本物の『彼』であると頑なに信じ、周りの人物と終わりのない口論に突入し、そしてさらに光の中から出てくる新たな自分に愕然としているようだった。
「お、おい……どうなってるんだよ……」
「し、知るかよ……!」
丘の上に立つ人物が増え続けて行く様を見ても、『彼』は自らの予感をどうしても信じる事が出来なかった。周りにいる自分と全く同じ姿、同じ顔、同じ声、そして同じ動きをする連中が、全員とも『彼』自身ではないかという事を。しかし、もはやこれは魔物が化けた姿であると言う単純な考えで片付けられる状況では無い事は、彼らも分からざるを得なかった。
だが、そのような考えをしている間にも、既に『彼』は身動きを取る事すら難しそうなほどの数にまで増殖してしまっていた。あまりに立ち位置が狭すぎて、背中の剣を出す事すらままならないほどだ。もし取り出せたとしても、周りを囲む何十、いや何百人もの『彼』も、一斉に出してしまい、殺気溢れた『彼』によって大変な事態を迎えてしまうだろう。当然、自分自身に被害が及ばない訳が無い。
「おい、どけよ!」
「ふざけるな、お前こそどっかいけ!」
「それはこっちの台詞だ!」
「何だと!」
「いい加減にしろよ!」
結局、大量の『彼』は自らの能力を活かせず、その言葉を使って戦う他に手段は無かった。
もう『彼』の周りには、大量の『彼』の姿しか見えなかった。黒系の服に黒い髪、そして背中の大きな剣、あらゆる物が全て同じ存在ばかりが取り囲む中、『彼』はとうとう限界に達した。この場所から早く逃げよう、そうすればきっとこの異常な空間は消え、何もかもが普通の状態に戻る。そう考え、大群の端にいた『彼』の一人が小高い丘を降り始めた。
しかし、駆け足で逃げ出したにも関わらず、『彼』は自分の大群から逃れる事は出来なかった。ここにいる全ての人物は服も同じなら顔も同じ、そして考えている事も同一である。すなわち、一人が動き出せばそれに応じて他の『彼』も次々に動き始める事になり……
「つ、ついてくるな!!」
「お前こそ真似すんなよ!」
「こっちこそ!」
「やめろおい!」
彼らは口々に文句を言い、やり場のない焦りや怒りをぶつけ続けたが、それでも足を止める事は無かった。いや、止める事が出来なかった。『彼』の背後や左右に現れる新しい光の輝きは、鎮まるどころかますますその勢いを増し続け、そして新しい『彼』の数も増大を続けていたからである。押し寄せる『彼』に前方の『彼』は流され続け、黒い波は丘の裾野まで埋め尽くそうとしていた。
そして、この異常な状況から逃れる事の出来ない最大の要因に、大群の端の方にいた何百人もの『彼』は気付いてしまった。
丘を降りた『彼』の目の前には、丘を取り囲むうっそうとした森が広がり、そこから第二の人生が始まるはずであった。しかし、その場所にうっそうと生い茂った……いや、大量に覆い尽していたのは……
「え、え、え、えええええ!!?」
……何百何千、いや何万もの数もいそうなほどの『彼』だった。しかも、そのまま大量の彼は一斉に丘の方へと向かい、走り続けていたのである。あんなに大量の数が押し寄せられれば、もはや逃げ場は無い。
「く、来るな!!」
「こっちに来るんじゃねー!!」
「や、やめろおお!」
しかし、目の前の『彼』の大群からの返事は、無理だ、どうしようもないと言うものばかり。しかも大量の『彼』から一斉に声が発せられるため、もはやそれらは凄まじく響く騒音となり始めていた。そして、大音響の悲鳴と共に、あっという間に丘の『彼』の逃げ場は塞がれてしまった。森があったはずの場所に大量に現れていた『彼』の大群と混ざり、もはや誰だ誰だかも判別できない状態である。
「せ、狭い……!」
「苦しい……!」
「ど、どけよ……!」
「無理だって……!」
いくら文句を言っても、動く隙間もないほどにぎゅうぎゅうに詰まった大量の『彼』は、どうする事も出来なかった。
それにしても、一体何故「森」のあった場所まで彼で埋め尽くされていたのか。丘の頂上付近にいた幾人かの『彼』がその理由を知った時、口から出たのは……
「う、うわあああああああああ!!!!」
「な、何だあああああああああ!?!?!」
今まで一度も出した事のないほどの、絶望や恐怖が入り混じった絶叫だった。
確かに『彼』はこの世界で新たな人生を送る第一歩を踏み始めた時、丘の頂上から自分が進むであろう景色を見渡していた。そこに広がっていたのは、緑が生い茂る草原や森、白い雪を抱えた山々であった。だが、今やその美しい情景は影も形も無くなっていた。丘から見える大地も、天に届きそうなほど高い山も、地面のある所の全てが「黒」で覆われていたのである。360度どこを見ても、もはやそれ以外の色は一切見当たらない。
それらは全て『彼』自身であると言う事は、嫌でも分かってしまった。受け入れるほか無かった。
黒い髪の毛や黒い服によって世界中が埋め尽くされ、そして耳に入るのはあらゆる場所から響き続ける『彼』の声しかない。山の頂上も『彼』でぎゅう詰め、雪に包まれた山肌も『彼』の髪や服の色で覆われ、『彼』によって大地も埋め尽くされ、『彼』があらゆる場所に現れ続け、『彼』の右にも『彼』が現れ、『彼』の左にも『彼』が現れ、『彼』の前にも、『彼』の後ろにも、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』が、『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』『彼』…………
「「「「「「「「「「「た、助けてくれえええええええ!!!!」」」」」」」」」」」
そして『彼』の悲鳴に合わせるかのように、数え切れないほどの『彼』の体が『彼』に覆い被さり始め……。
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「あちゃー……」
一枚の大きな地図のような形の『世界』を見ながら、神様は頭を抱えていた。
神様はずっと『彼』を生まれ変わらせる作業が全て上手くいったとばかり思っていた。最強の力を与え、望み通りの服装を授け、そして存分に能力を発揮できる舞台も製作したと言う自信もあった。だが、肝心の転生先の『世界』に大きなバグが存在していた事に、ついさっきまで一切気付かなかったのである。
その結果が、『世界』の端から端まで埋め尽くしながら黒く蠢く、数え切れないほどの存在だった。山も川も大地も海も無く、あらゆる場所が黒い色で覆い尽されていたのだ。それらを形作る物体は、全て一つの姿に統一されていた。黒い服に黒い髪、そして背中に剣を背負った、一人の青年の姿を。
「無限に増え続けちまうバグが起きてたなんて、油断してたぜ……」
大量の数を刻み続けた結果、神様の近くに置いてあったカウンターは既に計測機能を果たせなくなっており、世界の中で増え続ける『彼』の数はもはや神様でも測定が難しい状態にまで陥っていた。この状態を元に戻そうにも、『彼』を全て回収し、ちゃんとした世界に転生し直すのは非常に大変である。だがこのまま放置すれば、無限に増え続ける黒の波が他の世界にまで溢れかえり、深刻な影響を及ぼす事態にもなり兼ねない……。
しばらく悩んだ後、神様は一つの結論を出した。
こういう厄介な問題が起きた時は、それを全て無かった事にすれば解決できる、と。
「今度来た奴にはちゃんとした『異世界転生』をさせないとな」
独り言をつぶやきながら、神様は『世界』の情報を消去するためのボタンを押した。