幼き遊女
中條は月を見ようと、そっと屯所を抜け出した。
…実は常習犯である。元々、眠りが浅い中條は、夜中に目が覚めることが多々ある。
その度に、屯所をそっと抜け出すのだ。これまでは誰にも見つからずにいたのだが…。
「中條君」
ぞぞっと中條の背に何かが走った。思わず立ち止まった中條の肩に背中から手を掛けられた。
「今からどこにいくんだ?ええ?平隊士がこんな時間に外へ出ていいのかなぁ???」
中條は、そっと振り返って見た。それは三番隊組長の斎藤だった。不気味な笑みを浮かべている。
「…そ、それは…」
中條は口篭った。もちろん、いいわけはない。本来ならば切腹である。
斎藤は、青くなっている中條の顔を覗き込んで言った。
「切腹になりたくなかったら、島原に付き合えよ。俺が責任持つから…」
他の男ならば、小躍りして喜ぶ言葉だろう。局中法度を見逃してくれる上に、島原へ連れて行ってくれるというのだから…。しかし、そういった遊びに興味のない中條は、とっさに首を振っていた。
斎藤は、にやりと笑って言った。
「お前、こういうこと経験ないんだろ?」
「は?」
言葉の意味がわからない様子の中條に、斎藤は大声で笑ってその腕をつかんだ。
「お前の組長には、もう手を出さないって約束したけどなぁ…。まぁ約束ってのは、破るためにあるもんだ。」
「はっ!?」
「まぁいいから…行こう行こう!」
「えっえっ…ちょっと斎藤先生!だめですっ!」
斎藤の笑い声と、中條の悲鳴が、屯所から遠ざかって行った。
……
中條は結局、島原の遊郭の一室にいた。
斎藤は、まだお気に入りの遊女を相手に飲んでいるようだが「おまえの年に合う子を紹介してやる」と言って、別の部屋に中條を押しこんだのだ。斎藤は中條を男にしてやろうという、善意のつもりらしかった。
中條はがちがちに固まったまま、部屋で正座していた。
(…どうしよう…)
どう考えても、うまく逃げられる方法が浮かばない。このまま立ち去れば、呼ばれた遊女に失礼ではないだろうか?…にしても、遊女を抱く気は中條にはまったくなかった。
(…抱かなければ、それも失礼になるのかな…)
中條が途方に暮れるうち、ふすまの外から声がした。
「しつれいします。」
ふすまが開き、中條の体の半分しかない幼い遊女がひれ伏すように、頭を下げていた。
「「あい」と申します。どうぞよろしゅう。」
中條はいっそう固まっていた。斎藤が言うには「あい」という遊女は十六だと言っていたが、どうみても、十をやっと越えたくらいにしか見えなかった。
「……」
中條が一層固まっていると、あいは銚子と猪口がのった盆を中條の前に差しだした。
「飲みはりますか?」
「え、ええ…」
中條はとにかく飲むことにした。酔いつぶれて寝てしまえば、なんとかこの遊女を抱かずに済むのではないかと思った。斎藤の「責任は俺がとる」なんて言葉を、中條は最初から信用していなかった。さっさと遊女を抱いて、すぐに帰ればなんとかなるかもしれないが、そんなことをするくらいなら、遊女をほっといて逃げ出したほうがましだと思った。が…中條にはそれすらできない。中條はもはや、切腹を覚悟していた。
中條は足をくずし、注がれた猪口の酒を飲み干した。そしてまた差し出した。あいは、だまって注いだ。しかし、中條はすぐに飲み干してしまう。そしてとうとう、あいの持っている銚子をつかむと、そのまま飲み干してしまった。
中條は驚くあいを見ながら、
「酒瓶のままでいいから、お酒を持ってきてください。それと湯のみも。」
と頼んだ。明日は切腹させられる身だ。思いっきり酔いつぶれてしまおう。中條はそう思っていた。代は斎藤が払うだろう。
あいは言われるまま、酒瓶と湯のみを持って来た。中條は自分で注ぐからといい、酒瓶を自分の体の傍に寄せて、湯のみに注いだ。そして飲み干す。
「…お侍はん…つよおすな。」
「まあね。」
そう答えて、中條はまた自分で注いで、飲み干した。
「…お侍はん…あいを抱くのいやどすか?」
「え?」
中條はぎくりとした。自分の目論見がばれているようだ。
「…わかるんどす。お嫌やから、飲みはるんどすやろ。」
「いや…その…」
「それとも、お侍はん、初めてどすか?」
「…初めてでは、ないけれど…」
「じゃぁ、なんでどすか?」
「…困ったなぁ…」
中條は頭を掻いた。
「…僕は、遊びでもこういうこと嫌なんだよ。」
子供に言い聞かせるような口調で、あいに言った。あいは困ったように言った。
「…うち、ちゃんと仕事せな怒られます。形だけでも結構どす。抱いておくれやす。」
「…じゃぁ、君が店の主人にうそをつけばいい。」
中條が言った。
「僕は…あなたをどうしても抱けないんだ。」
あいは心底困ったような顔をした。中條と同様、うそがつけない質らしい。中條も閉口して酒をあおった。江戸で別れた妹が、もう十になるころだろう。その妹と、そう年が変わらないように見えるあいを、中條はどうしても抱けない。
中條はしばらく考えて、あいに手招きをした。あいが少しうれしそうな顔をして、中條に近づいてきた。中條は子供を抱くように、体の小さなあいを膝の上に乗せ、腕を回した。
「これでも、抱いたことになるだろ?」
「これだけどすか?」
「そうだよ。これだけ…。」
あいは、ほっとしたような顔をした。中條はその顔を見て、あいがこの仕事に合っていないという事を悟った。
…二人は何かぎこちない体勢で抱き合ったまま、黙りこんでいた。
「…初めてじゃない…いうてはりましたなぁ…」
「……」
「初めて抱いたのはどんな人どすか?」
「…そんなことを聞いてどうするの?」
「ただ、聞きたいだけどす。」
「誰にも言わない?」
「言いまへん。約束します。」
中條は微笑んで答えた。
「…君と同じ遊女だよ。」
「そうどすか…。」
「でも、君よりずっと年は上だった…僕よりも…」
「男の人は、初めての人を忘れられへんもんどすか?」
「さぁ…他の人はどうかわからないけど…でも、僕の場合は…ちょっとあってね…」
「何があったんどす?」
「…その人…死んだんだ。」
「!?なんでどす!?」
「その遊女さんね。ほんとは夫がいたんだ。でも、ご主人は体が弱くて、生活するのもままならなかったらしい。それで、どうしようもなくてこの仕事を選んだんだって。」
「……」
「僕は…今日みたいに無理やり連れていかれたから、その人を抱けなかった。何しろそんな経験もないし、どうすればいいかもわからないし…それでも、その人は僕に抱くように言ったんだ…今の君のように店の人に怒られるって言ってね。」
「……」
「僕は、わけもわからずその人を抱いた。…いや、抱いたというより抱かれたという方が正しいのかな…。僕がその遊郭に入ったのは後にも先にもその日だけだった。…でも、どれくらいしてからかなぁ…。…噂で、その人がご主人と心中したって聞いたんだ。」
「!?心中?」
「心中したというより、ご主人に殺されたのだろうね。その人は天神にまでなったんだけど…ご主人は…つらかったんじゃないかな。」
「…ひどい話どすな。」
「君はどうして、こんな仕事を?」
「家が貧しいから…うちがここで働いて仕送りしてるんどす。」
中條の胸が痛んだ。そしてあまり詳しくは聞かないほうがいいと思った。
「そうか…。花代はちゃんと払っておくから、今夜のことは気にしなくてもいいよ。」
「おおきに…」
あいは、中條の胸に頬をよせた。
「…うち…お侍はんのような人なら、抱かれたいどす。」
「!?…」
「お侍はんみたいな人…初めてどす…」
「…僕は、抱けないよ。」
「…そうどすか…」
あいは少し寂しそうな顔をした。が、やがて微笑んだ。
「でも…こうしているだけでも、うれしおす。うち…親にも、こんな風にじっと抱きしめてもらったことあらしまへんのどす。」
「…そう…」
中條はあいを抱きしめた。
「…じゃぁ…朝までこうしていてあげるよ。」
あいはうれしそうに、中條の胸で目を閉じた。やがて、子供のように寝息をたてて眠ってしまった。
(…あどけない顔をして…)
中條は、何かやりきれなさを感じていた。
……
中條は無事、夜中のうちに誰にも知られずに屯所に戻ることができた。もちろん、斎藤は遊郭に残したままである。あいはほんの一刻寝ただけで、中條を帰してくれた。
帰り際、あいは「また来て欲しい」と中條に言った。
「来ても…抱かないよ。今日のように抱きしめるだけならいいけど。」
中條はそう答えた。あいは、
「それでもええどす。来てくれはるだけでもええんどす。」
と言った。
「本当にそれでいいのなら、また来るよ。」
中條はそう言って、遊郭を離れた。
……
しかし、中條はあいに会うことはなかった。あいは田舎へ帰ったらしい。
斎藤のお気に入りの遊女「美輝」が、それを中條に屯所まで伝えに来てくれた。斎藤に見つかると何を言われるかわからないので、中條は美輝と川辺まで行った。
「…あいちゃん、中條はんに会いたい言うてましたけど…でも、親御はんは何か誤解しはったんどすやろなぁ…。あいちゃんを引きずるようにして、帰って行きはりましたわ。…だけど勝手な親どすなぁ…。食べられへんからいうて、あいちゃんにつらい思いさせて、生活が楽になったら、身請け代払うて連れてかえりはるんどす。ほんまのこというて二回目なんどす。」
中條は、それを聞いて目を見張った。美輝はその中條の表情を見て、微笑んだ。
「…もし、あいちゃんが、また店に帰ってきたら会ってあげておくれやす。」
中條は首を振った。
「…二度と会えないことを祈ります。」
中條の本心だった。
…その中條の祈りは通じたらしい。何ヶ月かしてから、あいから中條に手紙が来た。結婚するという手紙だった。その一つ一つの言葉に、幸せが満ち溢れていた。中條は、川辺でその手紙を読んでいた。
「好きな人と所帯を持てるのか…。良かった。」
中條はそう手紙につぶやいて微笑むと、その手紙を破った。破られた手紙はそれぞれ弧をかいて、川に落ちた。そして、川にすいこまれていった。
「…もう二度と…会えないのだな…。」
中條は川面に呟いた。
……
それから一ヵ月後-
中條は険しい形相で、島原へ向かっていた。斎藤から、あいが遊郭へ帰ってきたことを聞いたからである。
(なぜ?…結婚するんじゃなかったのか?)
中條が遊郭に近づくと、客引きをしていた美輝が、中條の傍へあわてて駆け寄ってきた。
「中條はん!よう来てくれました!」
「あいは!?」
「中どす…今日は花代はいりまへん。とにかく、あいちゃんをなぐさめてやっておくれやす。口もきかへんのどす。」
中條はうなずいて、美輝に案内されるままに部屋の前まで来た。
「あいちゃん、中條はんどす。来てくれはったんえ…。」
返事がない。
中條に悪い予感がして、美輝をおしのけるようにして障子をあらあらしく開けると、あいが短刀を手にもち、目を見張ってこちらを見ていた。
「あい!」
中條があわてて、あいの手を殴りつけた。短刀が飛ばされ、畳に突き立った。
「あいちゃんっ!なんてこと…」
美輝が思わず叫んだ。中條はそのまま、あいを抱きしめた。
「胸騒ぎがしたんだ…。ばかなことを…」
中條がうめくように言った。あいは、中條の胸の中で声をあげて泣いた。
……
中條は、じっとあいを抱きしめたまま、泣き止むのを待っていた。美輝は中條に「たのんます」と言って、部屋を出ていった。あいは、中條が胸に冷たさを感じるほど泣きつづけていた。何があったのかは容易に想像がつく。たぶん結婚するはずだった相手に、遊女の仕事をしていたことを知られ、断られたのだろう。
やがて、あいの様子が落ちついてきた。
「…大丈夫?」
中條が話しかけた。
「…すんまへん…大丈夫どす…」
あいは、まだしゃくりあげながら答えた。
「中條はん…うちのこと忘れてなかったんどすな。うれしおす。」
あいが濡れた顔のまま、中條の顔を見上げて言った。
「忘れたりしないよ。」
中條が答えた。あいはうれしそうな顔をして、中條の胸に頬をよせた。
「うち、中條はんのこと好きどす。中條はんがうちのこと好きでのうても構いまへん。うちを抱いておくれやす。」
「……」
「中條はんの好きな人の名前を呼びながらでも構いまへん。抱かれたいどす。」
「ばかなことを言うんじゃない!」
中條が思わず怒鳴った。
「…あいは僕のことを好きなんじゃない。心に迷いができてるんだ。…いつかあいにも、本当の恋をすることがある。その時のためにちゃんと心を取っておくんだ。体は奪われても、心だけしっかり持っていれば大丈夫。それをわかってくれる人もきっといる。一時の迷いで、心も体も好きでもない男に捧げちゃいけない。いいね。」
「うち、中條はんの言わはること…わかりまへん。」
あいの言葉に、中條が微笑んだ。
「いつかわかるときが来る。本当の恋をした時にね。…今はわからなくても、きっと来るから。」
「中條はん…」
「僕にとって、あいは大事な妹なんだ。だから抱くことはできない。わかってくれるね。」
「妹?」
「そうだよ。」
あいは、うれしそうな表情でこくんとうなずいた。中條はやっとほっとした。
「…兄さまって呼んでもええどすか?」
「…いいよ。」
「うれしおす。うちに兄さまができたんどすなぁ。」
中條は微笑んで、あいの体を抱きしめた。
しばらく二人は、じっと抱き合ったまま黙っていた。やがてあいが口を開いた。
「今度はいつ来てくれはるんどす?」
「そうだなぁ…お手当てをもらう日に来るよ。今日みたいに美輝さんに甘えるわけにはいかないから…」
「それ、いつどすか?」
「今日から、二十日くらい過ぎた頃だよ。」
「…そんなに先どすかぁ?」
あいはつまらなそうに、中條の胸に指で円を描いている。
「がまんするんだ」
中條がそう言うと、あいはぷっとふくれて見せてから、くすくすっと笑った。
……
あいと約束した日が来た。
「今夜行くんだろ?あいちゃんのところに…」
屯所をそっと抜け出したとき、斎藤が中條を追いかけてきて言った。中條はぎくりとして「はあ…」と答えた。
「おれも一緒に行こう。その方がいいだろ?」
「先生は、美輝さんに会いたいんでしょう?」
そう中條が言い返すと、斎藤はにやりと笑って「まあな」と言った。二人は島原に向かって歩き始めた。
「…斎藤先生…美輝さんが言ってましたけど…いつも酔いつぶれて寝てしまわれるんですか?」
「え?」
斎藤が咳払いした。
「ま、まあな。」
「何もしないんですか?」
「しないというか…できないというか…」
「いったい何しに行ってるんです?」
「おめえに、言われたくないなぁ。」
中條は苦笑した。斎藤が腕組をしながら言った。
「男はよ。…本当に惚れた女には、そうそう手が出せないものさ。お前だってそうなんだろ?」
「…あいは違います!…妹みたいだから…」
中條は慌てるように言った。斎藤が笑った。
……
「…あいちゃんどすか。先客どすわ。」
美輝が中條に向いて、申し訳なさそうに言った。
「ついさっき入ったところどす。あいちゃんも、中條はんが来るのは今日や言うて、待っとったんどすけどなぁ…だけど、なんかそのお客はん、様子が…」
「様子?」
中條が不安げに聞き返した。
「へえ…なんか大荷物さげて、興奮気味に入ってきはって…あいちゃんのことを知っている感じどした。あいちゃんもびっくりした顔をしてましたわ。」
「もしかして、あいちゃんを振った男じゃねえか?」
斎藤が中條に向いて言った。中條がどきりとした表情をした。
「ですが、振った男がどうしてここへ?」
「だよなぁ…。」
「……」
その時、あいの悲鳴が聞こえた。斎藤と中條は思わず顔を見合わせて、遊郭の中へ突進した。
あいの悲鳴が再び遊郭を貫く。その声のした方へ二人は走った。斎藤がいち早く部屋の障子を開くと、血のついた短刀を振り上げた格好のままで、男がはっとこちらを見た。うつぶせに倒れているあいの背中からは、おびただしい血が流れていた。
「あいっ!」
中條は血だらけになっているあいを抱き上げた。
「兄さま…」
弱弱しい笑みを浮かべて、あいは中條を見上げている。
「何故、こんなことをしたっ!」
斎藤が刀を振り上げて、男の前に立ちはだかった。男は短刀を放り投げて、ぶるぶると震えている。
「…あいが忘れられへんから…家を捨ててきたんやけど…「一緒に行こう」言うたら、あいが…いやや言うから…」
「…それだけのことで、こんなことをしたのかっ!」
中條があいの止血をしながら、搾り出すような声で言った。
「…せやけど…せやけど…僕…あいのために家捨ててきたのに…あいに断られたら…どうすればええんかわからんようになって…一緒に死のう思て…」
斎藤は怒りに震えたまま動かなかったが、やがて男の前で刀を一振りした。
「ぎゃっ!」
斎藤は男を峰うちし、気絶させたのだった。そして中條に振り返った。
「今、医者を呼んでくる!気を失わせるなっ!わかったな!」
斎藤が中條の背中にそう言い捨て、部屋を飛び出して行った。
短刀は、あいの背中から胸まで刺し貫かれていた。中條は背中の傷の当たりを手で押さえ、手ぬぐいを自分とあいの胸に挟み止血を試みるが、血は止まらない。みるみるうちに中條の胸元にあいの血がしみていく。
「…死ぬな…」
やっとの思いで、中條があいに言った。
「兄さま…好き…」
「しゃべるな!」
「うちが…本当に恋した人は…兄さまどした。」
「違うっ!生きていたら、本当にあいを幸せにしてくれる人がきっと現れる…だから死ぬな…!」
涙声で中條は言った。あいは両手をのばすと、中條の首に腕を回し、精一杯の力をこめて中條の唇に自分の唇を押し付けた。中條はそのままあいを受け入れ、あいを抱きしめた。
「…うれしおす…」
唇を離してからあいが言った。
「あいは幸せどした。兄さまに会えて幸せどした…」
「あい…気を抜くな…もうすぐ医者がくる。それまで気を抜くなっ!」
あいは微笑を見せ、やがて体の力が抜けた。
「あいっ!」
あいは微笑を残したまま、動かなくなっていた。
「………っ!!」
中條はあいを強く抱きしめた。そして声を押し殺して泣きつづけた。
……
店から、あいの親に、あいの死を伝える手紙を出したが、親は来る様子もなく返事も来なかった。中條はあいを、島原の近くの小さな寺に埋葬しようと考えていたが、自分の手当では墓を作れないと困り果てていた。それを知った美輝と斎藤、そして斎藤から話を聞いた沖田が金を出してくれ、墓を立てることができた。
(…何もしてやれなくて…ごめん…)
中條は、そのあいの墓に手を合わせていた。すると足音が近づいてきた。女性のようである。中條が手を下ろして振りかえると、遊女美輝が手に風呂敷包みを抱えて立っていた。
「美輝さん…」
中條は立ち上がった。
「中條はんにこんなにしてもうて、あいちゃんも喜んでるわ。」
中條は「美輝さんのおかげです。」と言って頭を下げた。美輝は首を振ると、持っていた風呂敷包みを、中條にそっと差し出した。
「…これ…あいちゃんから中條はんに…」
「!?」
中條は驚いた表情で、風呂敷包みを受け取った。美輝が微笑みながら言った。
「あいちゃんが縫った着物どす。男もんは初めてやったそうやけど、一生懸命縫ってましたえ。」
「…僕の…?」
美輝が笑った。
「そりゃそうどす。でも裾のしまつだけできんと、死んでしもたんどす。…そこはうちが整えておきました。着てあげておくれやす。」
「……」
中條の目から涙がこぼれおちて、風呂敷に染みた。
「ほらほら、男はんが泣いたら、はずかしおすえ。」
美輝も目をうるませながら、手ぬぐいを中條の頬にそっと押しつけた。
「…ええ…すいません。」
中條はそう言って微笑むと、墓に振り返った。
「ありがとう。あい…。着させてもらうよ。」
中條の耳に、あいのうれしそうな声が聞こえたような気がした。