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忠誠(その二)

土方は、山崎の報告を聞いて、眉をひそめた。


「安西と中條だと?」


山崎がうなずいた。


「二人にどういういきさつがあったのかはわかりませんが、いつも一緒に行動し、町中を歩き回っているというんです。ある者は、討幕派が集まる旅館に入って行ったところを見たとか…。」

「それは確かか?」

「いえ、まだはっきりしたことはわかりません。今、他の者に探りをいれさせています。」

「確かな情報が入ったら、すぐに報告してくれ。…そして、総司には知られないようにな。」


山崎は、きょとんとした表情をした。


「沖田さんにですか?…また…何故?」

「あいつは自分の組子を…それも特に中條をかわいがっている。もし、それが本当だったら…どんな行動を取るかわからんからな。」

「…はい。わかりました。」


山崎は頭を下げ、部屋を出て行った。


……


沖田は気を紛らわすために、外へ出ようとしていた。

そして、同じように外へ出ようとしている土方と廊下の真中でバッタリと出くわしてしまった。


「…おお…総司か。」

「…土方さんも…お出かけですか?」


二人とも何かぎくしゃくした様子である。


「いや…ぶらっと…な。総司はどこへ行く?」

「…私は…その…」


沖田は必死に考えをめぐらせた。


「あっあそうだ。礼庵殿のところへ行くんですよ。」

「そうか。」


「男姿をしている女なんてろくな奴じゃない」と礼庵を毛嫌いしている土方は、いつもなら礼庵の名を聞くと眉をしかめるのだが、今回はそういうこともなく「気をつけてな。」と言って、先に出て行ってしまった。


(…土方さんらしくないなぁ…。)


沖田は、自分のことを棚にあげてそう思ったと同時に、ほっと息をついた。


……


沖田は診療所の門前で、礼庵が不安そうな表情で遠く一点を見つめている姿を見た。


「礼庵殿!」


沖田は思わず、礼庵に駆け寄った。

礼庵はその声で、初めて沖田に気づいたようである。


「総司殿!!」


礼庵も沖田の方へ駆け寄ってきた。


「どうしました?」

「…今、中條さんが来られていたのですが…」

「中條君が?」


沖田はどきりとした。


「…それで?」

「つい先ほど帰って行かれました。…でも、何か様子がおかしいような気がして…」

「どれくらい、ここにいたのです?」

「半刻くらいですか。…いつもなら、みさと一刻ほど遊ぶのに、今日は随分と早く帰られたんです。」

「様子がおかしいとは?」

「はぁ…」


礼庵は、言いかけてはっとし「どうぞ中へ」と言ったが、沖田は首を振った。

それを見た礼庵はうなずいて、神妙な面持ちで答えた。


「…何か思いつめたような表情をしておられました。…私の思い違いであればいいのですが…。みさと遊びたいと言うので、みさを呼んだんですが、ちょっと遊んだだけで「今日は時間がないから」と突然帰ってしまわれたんです。」

「時間がない…?…今日、一番隊は丸一日非番なんですが…」

「丸一日?」


礼庵は驚いた目で沖田を見、やがて、中條が立ち去っていった方向を遠い目で見た。


「…何か総司殿にも私にも言えないことがあるのかな…。みさも…中條さんの様子がおかしかったというんですよ。いつものようににこにこと微笑んではいるんですが、何か寂しげな顔をしていたって…。」


沖田は「まさか…」と思わず呟いた。その呟きを聞いた礼庵は


「まさか…何です?」


と沖田に尋ねた。


「何か独りでやろうとしている…。それも命をかけて…。」

「!!」


沖田は、驚く礼庵に頭を下げて、その場を走り去った。


……


中條は、討幕派の屋敷の中にいる。

そして、隣にいる安西と一人の人物を待っていた。

刀は鞘ごと抜いて、右側の手元におかれている。それは、相手に敵意がないことを暗にあらわしていた。

監察方の安西も中條と同じようにしてはいるが、そわそわと落ち着かない。

それも仕方がないことである。

今、二人の前に現れるはずの人物は、あの「桂小五郎」なのである。「逃げの小五郎」と異名を持つその男は、ほとんど顔を知られていない。

無論、平隊士でしかない中條も安西もその顔を見たことがないのである。


「…遅いですね…どうしたんでしょう?」


いつも中條にばかにしたような口をきく安西だが、その時ばかりは、震える声で隣の中條に尋ねた。

対して中條は、落ち着いた様子で微動だにしない。


「お偉い方は、いつも遅れてくるものです。」


中條はそう言って、安西に微笑んで見せた。


……


沖田は山野を部屋へ呼び、中條が前に安西と一緒に入っていったという討幕派の巣窟となっている場所を尋ねた。


「一番隊を連れて行くんですね!?」


山野は思わず腰を上げながら言った。しかし沖田は首を振った。


「隊を引き連れていくと、出動扱いになります。となると所司代の許可を取らねばなりません。…山野君は案内してくれるだけで構いません。」

「独りで討ち入られると言うのですか?!」

「もう中條君は行ってしまっています。時間がありません。…それに、向こうが狙っているのは、私なんです。私一人でなんとか収めたい。」


それを聞いた山野は、上げていた腰を下ろして、静かに言った。


「それならば私は、案内もお断りします。」


沖田は目を見開いた。


「山野君…!」

「私も先生と一緒に最後まで参ります。…中條さんに危険が及んでいるのならばなおのことです。」

「……」


沖田はしばし言葉を失った。…が、やがて震える声で答えた。


「…わかりました…。では…二人だけで参りましょう。」

「はい!」


山野は沖田よりも先に片膝を立て、立ち上がった。


……


「桂です。」


中條と安西の前に座った男はそう名乗り、軽く頭を下げた。

安西は、頭を地に打つ勢いで頭を下げた。

対して中條は、落ち着いた様子だが、きちんと両手をつき、深々と頭を下げた。


「新選組の、それも優秀な人材が我々の仲間になってくれることを心強く思っています。以後よろしく。」


安西は頭を下げたまま、体を震わせていた。感動のあまり泣いているらしい。


「安西君は、監察というところにいるそうだね。君には、新選組の情報網をかく乱する役目を負ってもらうことになります。頼りにしていますよ。」

「はっはいっ!!」


安西は素っ頓狂な声をあげ、返事をした。


「…そして、君は中條君といったね。君の腕は沖田総司にも認められているほど優れているそうだね。いつか、その腕を見せていただく日が来るでしょう。楽しみにしています。」


中條は頭を下げたまま「はっ」と答えた。


「二人とも、そのままじゃ頭に血がのぼってしまう。顔を上げてください。」


二人は頭を上げた。安西は目を真っ赤にしているが、中條は冷静に桂の目を見据えている。


「…君はいつも、そんな人を射るような目をしているのかい?」


桂は穏やかにそう中條に尋ねた。


「はい…よく言われます。」

「…危険な目だ。…正直すぎるよ。」


安西が不思議そうに中條を見、中條は少しどきりとした表情をした。

桂は「ふふふ」と笑って、隣に控えている男に「酒を」と言った。男は頭を下げ、部屋を出て行った。


「契りのしるしに飲もう。…どうだ?」


安西は困ったような表情をした。まだ昼間である。酒を飲んで、屯所に戻るわけにはいかなかった。

しかし、中條は「はい」と答えた。


「!…中條さん!」


安西は中條の袖を引き「まずいですよ!」と囁いた。

桂はそんな安西の様子を見、くすっと笑った。


「私の誘いを断るつもりかい?」

「!…いえ…しかし…」


安西は困ったように中條を見た。

中條はじっと桂を見据えたまま、黙って座っている。


…ほどなく、酒が用意された。

中條は、桂に勧められるまま、猪口の酒を飲んだ。

肴も何もない。酒しかないのである。

安西も、もちろん薦められるまま飲んでいるが、やがてその場に崩れ、いびきをかいて眠り始めた。


「顔色すら、変わらないとは。…中條君は本当に強いんだね。」

「桂殿こそ。」


中條はそう言って、猪口の酒をあおった。


「これくらいのことで…」


桂はそう言って、いびきをかいて寝ている安西に向かって、くいっと顎をしゃくった。


「彼のように寝入ってしまうようなことでは、いざという時、逃げられないからね。」

「…逃げの小五郎…」


中條はそう呟いた。

桂の横にいた男が、思わず刀に手を当て、腰を浮かせた。


「いいから、いいから。」


桂はその男をなだめ、中條に向いて微笑んだ。


「私は、そう呼ばれているようだね。」

「嫌ではないですか?」

「別に」


桂はそう言って猪口の酒をあおり、自分で猪口に酒を注いだ。


「…何といわれようとも…私は逃げるよ。」

「「逃げるが勝ち」…ですか。」

「いや…「生きるが勝ち」だよ。」


中條は目を見開いた。

桂はそんな中條に酒を勧めながらくすくすっと笑った。


「…君は、短命だな。…逃げることはひきょうだと思っているだろう。」

「…!…」

「その素直な目が…そう言っている。」


…その時、階下がざわめきだった。そのざわめきの中から「新選組」という言葉が二人の耳に届いた。


「君を迎えに来たらしい。」


桂がそう言ったと同時に中條は腰を浮かせ、刀を鞘ごと取り上げて左手で刀を抜くと、その抜き打ちに桂を切ろうとした。

…しかし桂はあやういところで、中條の刀を自分の刀鍔で受けていた。

受けていなければ、桂は自分のこめかみを凪ぎ斬られているところである。


「…左利きだったのか。…うまくやりましたね。」


桂は、歯をぎりぎりと食いしばっている中條に言った。

中條は、そのまま桂の刀を押し払った。そして左手で刀を持ったまま、桂に向かって上段から斬りかかった。桂は、さっとその中條の刀を避け、そのまま後ろの窓から飛び降りた。


「!!」


ここは二階である。中條が思わず窓から乗り出すと、桂の姿はもはやなく、川の流れだけが中條の目にうつった。


「…逃げられた…」


そう呟いた時、背中から殺気を感じ、振り向きざまに左手のままで刀を振るった。中條に襲い掛かろうとしていた男は見事に逆袈裟に斬られ、斃れた。


「中條君!!」


中條の耳に沖田の声が届いた。


「!!」

「中條君!!無事ですか!?」


沖田は目の前に立ちはだかる浪人を斬り倒し、中條に走り寄ってきた。


「…先生…」


中條の目に何故だか涙が溢れた。沖田は中條の傍に駆け寄った。


「よかった…無事で。」

「…ここに…桂小五郎がいたんです。」

「!?…桂が!?」

「でも…逃げてしまいました…もう少しだったのですが…」


沖田は中條が目を赤くしているのは、桂を逃がしたくやしさからだと思った。


「そんなことは気にしないでいい…。とにかく無事でよかった。」

「…先生…僕は…」


沖田は何も言わず、中條の顔を優しく見ている。


「…僕は…先生を裏切ってしまいました…」


沖田は首を振った。


「裏切られたとは思っていません。でも…あまり心配させないで下さい。」

「…はい…申し訳…あ…」


言い終わらないうちに中條の体がぐらりと揺れ、沖田に覆い被さってきた。


「!?…中條君…!」


沖田は思わず中條の体を抱きとめ、膝をついた。


「!!…」


沖田はとっさに顔をしかめた。その時、階下から上がってきた山野が、中條を抱きとめている沖田に駆け寄ってきた。


「先生、大丈夫ですかっ!?…!?…中條さんっ!!」


山野が思わず、中條の体を上げようとしたとき、沖田と同じように顔をしかめ、鼻に手を当てた。


「うわ…酒くさ…」


沖田は中條の体を抱きしめたまま、苦笑した。


「酒をかなり飲まされたらしい。…よく、動けたものです。」


沖田はそう言って、自分の肩の上でいびきをかいている中條を見た。

その中條の顔は、親の腕の中で安心しきって眠っている子どものようだった。


……


中條は目を覚ました。そして、がばっと飛び起きた。


「!!中條さんっ!!」


その声に、中條ははっと横を見た。すると同時に、安西が中條の体に飛びついてきていた。


「…よかった…中條さん、もう…目を覚まさないかと思った…!」


中條も思わず、その安西を抱きしめている。


「安西さんも無事でよかった…。桂に刀を振ったとき…安西さんが逃げたのは見えていたんですが…」


二人は、お互いの体を叩きあいながら体を離した。安西は、涙を拳でぬぐっている。


「中條さん…桂に勧められるまま、酒を飲んじゃうんだもの…。寝ている振りをしながら…心配だったんです。」

「酒には強いつもりでしたが…さすがに今回は参りました。」

「中條さん独りで、一升あけたんですよ。あの時…。」


中條は目を見開いた。


「えっ!?…だって、あの時、桂も一緒に…」

「飲んでいる二人を薄目をあけて見ていたんですが…桂が飲んでいたのは、水です。…だって、中條さんにすすめる時の銚子と、自分が飲む時の銚子が違っていたんですから…」

「!そうだったんですか!」

「中條さんの戦意を喪失させようとしていたのか…中條さんの本音を聞きだそうとしていたのか、わかりませんが…。桂が逃げる時のあの敏捷さは、あれだけ酒を飲んだ後では無理だと思うんです。」

「……」


中條はしばらく考える風を見せたが、やがて「あいたっ!」と言って、頭を抱えた。


「中條さん!大丈夫ですかっ!?」

「すいません…大丈夫です。…どうも、二日酔いらしい…。頭ががんがんして…」

「そりゃぁ…あれだけ飲んだら…。僕は、すぐに酔ったふりして寝転んで見せたけど…。…あなたとの打ち合わせどおりにしたものの…本当に心配していたんですよ…。」

「面目ない…。もうしばらくしたら…酒も抜けるでしょう。」


中條はそう言ってから、はっとした表情をした。


「あの…今日一番隊は…」

「今、巡察中です。ついさっき、出られたところですよ。」

「いけない!行かなきゃ!!」


中條はそう言ってあわてて立ち上がったが「あたっ!」と言って頭をかかえ、思わずその場にうずくまった。


「無理ですよ!!…沖田先生がゆっくり休むようにおっしゃっていましたから…。」

「!…でも…」

「沖田先生…巡察前まで、中條さんが目を覚まされるのを待っておられたんです。とても心配しておられました。」

「そうですか…。」


中條は申し訳なさに、胸を締め付けられていた。自分の勝手な行動でこうなったのに、それでも心配してくれたなんて…と。

そもそも、沖田が自分を助けに来るなんてことは考えていなかった。


「もう少し、寝られていた方がいいですよ。…後で、副長の部屋へ…行かなきゃならないですから…。」

「!!…そうですか……」


安西の言葉に、中條はうつむいた。


「そりゃ…そう…ですよね。」

「私は覚悟が出来ています。」


にこにこしてそう言う安西を、中條は驚いた目で見た。…平隊士が副長の部屋に呼ばれるのは、切腹を言い渡されるときだけなのである。


「安西さんは死なせませんよ!…そもそも…この計画を立てたのは僕だし…絶対に安西さんを死なせたりしません!!」


安西は首を振った。


「…私だって…中條さんを死なせたくないです。」


中條は何も言葉が継げずに、下を向き拳を握り締めた。


……


沖田は巡察から帰るとすぐに、土方の部屋へと向かった。

中條のことも気になっていたが、先に言っておきたいことがあったのだ。


「…そうら、来た。」


土方は沖田が入ってきたのを見て、片頬をいがませて呟いた。もちろんその呟きは、ちゃんと沖田の耳に届いている。


「…私が来ることをわかっていたのでしたら…」


沖田は苦笑して、土方の前に座りながら言った。


「私が言いたいこともわかっているのでしょうね。」

「もちろんだ。…中條のことだろう。」

「そうです。」


沖田は表情を引き締めて言った。


「まさか…中條君と安西君を罰しようだなんて思っていないでしょうね。」

「…思っていたら…どうする?」

「!!」


沖田は、眉をしかめた。土方が腕を組みながら言った。


「何もなかったとはいえ、勝手なことをしたんだぞ。このまま奴らを許したら、他に示しがつかんだろう。」

「……」

「それも、のこのこと顔を出した桂を逃がしたそうじゃないか。厳しく罰する他ないだろう。」


沖田はどう反論していいか、わからなかった。土方は厳しい表情で、沖田を睨みつけている。

その時、障子に大きな影が映った。


「歳さん。入るぞ。」


局長である近藤の声である。沖田は一層緊張し、その場に固まった。

近藤は、にこにこと微笑んで入ってきた。


「総司。久しぶりだな。元気か?」

「はっはい!」


このところ、近藤は二条城などへ呼ばれることが多く忙しい。


「歳さん、あまり総司をいじめるな。」


土方は、いつの間にか下を向いて肩で笑っていた。


「!…土方さんっ!!ひどいじゃないですか!!」


近藤が「まぁまぁ」と、腰を上げた沖田の肩を叩いた。


「歳さんは、最初は本気であの二人を罰するつもりだったらしい。しかし、勝手なことをしたとはいえ、討幕派はあれからおとなしくなっているし、総司だけの隊が襲われることもなくなった。今回は許してやれと、私から頼んだんだ。」

「!先生…!」

「あの二人におまえから、副長の部屋には来んでいいと言ってやれ。」

「…はい!」


沖田は嬉しそうに立ち上がると、急ぐように部屋を出て行った。

土方は腕を組み、苦笑しながら近藤に言った。


「…本当に近藤さんは、総司には甘いな…。」

「いいじゃないか。…総司の笑顔を見るのが、私の楽しみなんだ。…しばらく会えなかったこともあるが…最近の総司は、なんだか元気がないような気がしてな。」

「……」


二人はそのまま、しばらく黙っていた。


……


中條と安西は、真剣に話し合っていた。


「えっ!?切腹…というのは、名誉なことなんですか!」

「はい…。私もよくは知らないんですが、同じ罰でも切腹はいい方だそうです。」

「…じゃぁ、私たちはどうなるんでしょう…。」

「…たぶん、斬首ではないかと思うんです。」

「!!なるほど、斬首ですか!」


安西は、何か感心している。


「そうでしょうねぇ…勝手な事をして、何も成果があがらなかったというのに、我々は生きて帰って来たんですからね。」


中條がうなずいた。安西は頭をかきながら言った。


「なんだか安心しましたよ。」

「え?」

「だって、私は元々武士じゃないでしょう?切腹しろって言われても、どうすればいいのかわからないし。」


中條がそれを聞いて笑った。


「それは私もです。切腹にも段取りがあるそうなんですが、どうすればいいのか…なんて、誰にも聞けませんしね。」

「…それに、斬首なら、きっと痛みも一瞬で終わるでしょうし…。」

「安西さんは、介錯して欲しい人はいますか?」


安西は「え?」と中條の顔を見た。そして、首を傾げた。


「そうですねぇ…。特にないですが、介錯に慣れた人がいいな…。中條さんは?」

「叶うならば…沖田先生に…。」

「……」


安西は、ふっと優しい表情をした。


「本当に…沖田先生が好きなんですね。」

「え?…」


中條は照れくさそうに肩をすくめた。


「はぁ…。」

「叶うといいですね。」


中條は首を振った。


「前に言われたんです。…自分の隊の人間の介錯はしないって…剣がにぶるからと。」

「!!…そうなんですか…。」

「もし、沖田先生が無理なら…山野さんにお願いしようかな…って思っているんですけど…。」

「…いいなぁ…」


中條は不思議そうな表情をして、安西を見た。


「いいなぁ…って…何をです?」

「…だって、私は入ったばかりだもの…。誰に介錯されたい…とか…思いつかないですよ。」


中條はぎくりとした表情をした。そして、うつむいた。

入隊して間もない安西の命が奪われるのは、あまりにも酷である。なんとか、安西だけでも助けてやれないかと、中條は本気で考えていた。


……


沖田は、目を見張っている中條と安西を見て、驚いていた。


「…どうしました?…」

「…先生…あの…我々は本当に…副長の部屋へ行かなくてもいいのですか?」

「ええ。今、そう言ったつもりですが…?」


沖田は真面目な表情で答えた。心底では、この二人がどうしてこんなに驚いているのかはわかっている。

…が、沖田も土方同様、少し意地の悪い性格を持ち合わせていた。


「…っ…」


安西が突然胸を抑えて、前にのめった。中條と沖田は驚いて、思わず腰を上げた。


「安西さん!?どうされたんですっ!?」

「…胸が…痛い…」


沖田はとたんに顔色をかえた。


「大変だ…!中條君!…誰か…礼庵殿か誰か呼んできて!」

「はいっ!!」


中條が立ち上がったが、安西が胸を抑えたまま、中條の足にすがりついた。


「大丈夫です!…大丈夫ですから…!」

「!?安西さん、でも…!」


安西は、胸を抑えながら、沖田に向いて頭を下げた。


「…沖田先生も申し訳ありません!違うんです。…死を覚悟していたものですから…赦されたと思った途端…気が緩んで…」

「…ごめんよ…。私も意地が悪すぎた。…君たちがそこまで考えているだなんて思っていなかったから…。」

「…安西さん…本当に大丈夫ですか?」


安西は体を起こして「大丈夫です。」と微笑んだ。


「…赦されるだなんて思ってもいなかったものですから…。」


中條は尚も心配そうな表情で安西を見ている。

沖田も同じ表情である。

その時、安西が二人の顔をふと見比べたかと思うと、くすくすっと笑った。


「…中條さんが、沖田先生を好きなのがわかったような気がします。」

「!?…え?…」

「いえ、なんでも。」


安西は突然とぼけた。そして、うつむき加減に言った。


「…いいなぁ…。」


中條と沖田はお互い顔を見合わせ、そして安西を見た。

安西の真意がわからなかった。


……


沖田は、近藤と土方に中條と安西から聞いた話を報告していた。


「一番隊だけが襲撃されたのは、やはり私の命を狙っていたからだそうです。」


近藤と土方は、二人とも腕組みをして黙っている。


「剣の達人といえば、永倉さんや斎藤さんもそうなんですが、私に何かあれば、近藤さんや土方さんがじっとしていないだろう…というのが、向こうの狙いだったようです。」

「!…私と歳さんを怒らせて、新選組を動かそうとした…というわけか?」

「はい。…」

「…ガキか。全く…。」


土方はそう呟いてから、沖田に尋ねた。


「それは、桂の案なのか?」

「そうではなかったようです。桂という人は、自分からなんらかの案を講じる…という人ではないようです。」

「しかし、思うんだが…」


近藤が腕を組みなおしながら言った。


「中條たちが会ったのは、本当に桂小五郎だったのか?」

「そう…。私もそれが信じられんのだ。桂が、新選組でも平隊士の…それも安西は最近、入ったばかりの隊士だぞ。…そんな二人にわざわざ顔を見せるとは思えんがな。」

「……。」


沖田は黙っていた。沖田自身、近藤と同じように思っていたからである。

しかし、中條達の話を信じていない…という訳ではないが、確実な証拠がないのである。


「…それで、二人はどうしている?」

「中條君たちですか?」

「そうだ。」

「二人とも切腹か斬首になると覚悟していたそうなので「咎めなし」と聞いて驚いていました。今夜はよく寝られるでしょう。」

「そうか…それはよかった。」


近藤はにこにことして、うなずきながら、そう言った。

対して土方は、まだ桂のことが気にかかっているようである。独り、腕を組んだまま下を向いて何かを考え込んでいた。


……


夜中-


中條が、大部屋の前の縁側に座っていた。他の隊士達は、中でぐっすりと寝入っている。

残念ながら、沖田が近藤に言ったように「今夜はよく眠れる」ことはなかった。


(まさか…今夜、月を見ることができるなんて思わなかった…。)


中條は煌々と輝く月を見上げながらそう思っていた。

つい数刻前まで、死を覚悟していたことが嘘のようである。


「中條さんも眠れないんですね。」


そっと障子が開き、安西が四つん這いになって出てきた。

中條は苦笑した。


「やっぱり…安西さんもですか…。もう胸の方は大丈夫ですか?」

「いやだな。あれは一時のことです。大丈夫です。」


安西は、中條の横に座った。そして、月を見上げた。


「こんな風に月を見られるなんて思わなかった。」

「僕も…そう思っていたところです。」


中條はそう言って、安西と一緒に月を見上げた。

二人はしばらく黙って、月を見上げていた。


「…土蔵って…行ったことがありますか?」


安西が突然そう言った。中條は驚いて、安西を見た。


「…処刑前に入れられる…あの土蔵のことですか?」

「ええ。…入隊して間もない時に、庭で迷ってしまって…土蔵のところに行ってしまった事があったんです。…その時、僕は何故か「いつか入るんだろうなぁ…」なんて思ったんですよ。」

「!どうしてそんなことを!?」

「わかりません。…生きて新選組を出ることはないんだな…と、思っていたからでしょうね。入ってから今日まで、まだ二ヶ月も経っていないのに、切腹や斬首で一人一人、人数が減っていくのを見て、いつか僕もきっと…って。」

「安西さん…」


中條は不安げに、安西に尋ねた。


「安西さん…新選組に入ったことを後悔していらっしゃるんですか?」

「!!…」


安西はあきらかにぎくりとした表情をした。


「そうなんですね…。」


安西は戸惑った表情で、下を向いた。


「僕もそうでした…。でも、沖田先生の下で務めを果たす日を過ごす時間が増えれば増えるほど、そんな気持ちはなくなっていきました。…安西さんもきっといつかそうなると思います。」

「…そうかなぁ…」

「そうですよ。きっと…。」


「そうなるといいね。」


その声に中條と安西は驚いて、おもわず声のした方向を見た。

沖田が、にこにこと微笑んで二人に近づいてきていた。

中條と安西は慌てて正座をし、手をついて沖田に頭を下げた。


「気にしないで…。さっきのままで。」


沖田は慌ててそう言うが、二人はそういうわけにはいかない。

困惑したように顔を見合わせている。


「…二人とも眠れないんですね。…気の毒なことをした…。」


沖田はそう言いながら、二人の傍に座り、自分も月を見上げた。


「安西君…君は、旅芸人だったそうだね。それも名役者だったとか…。」


安西は、驚いた表情で沖田を見た。


「山崎さんから聞いたんです。あなたの演技力を見て、監察に引き入れたって。」

「そうだったんですか!…確かに桂の前での演技は見事なものでした!」


安西は真っ赤になっている。


「…でも、新選組に入ったことを後悔しているのなら…申し訳ないな。」

「!…先生…」

「今のうちなら、安西君が局中法度に触れずに組から離れることができるよう、土方さんに頼めますよ。」


中條は少し嬉しそうな顔をし、安西を見た。安西はただ驚いた表情で沖田を見ている。

…が、やがて安西は、困ったように下を向いた。

沖田と中條はじっと安西を見て、答えを待っていた。


「…僕は…中條さんのように、心から信頼できる人を見つけてみたい…。」


中條が目を見張った。


「ずっと旅芸人一家で育った僕には…人に愛着を持つ…ということができなかったんです。友達ができても、次の日には他の場所へ移動しなくちゃならなかった。…人を信頼しても悲しいだけなんだと思ってきました。」


安西は月を見上げた。


「でも…新選組に来て、そんなことはないんだな…って思うようになりました。まだ中條さんのように、心から信頼できる人はいないけれど…いつかきっと…そんな人が現れるんじゃないかと…今なら、そう思えるんです。」


沖田と中條はただ黙って、安西を見ていた。


……


翌朝-


沖田は、斎藤を探していた。が、部屋にも道場にもいない。


(今日、三番隊は非番だったはずだけど…?外へ出たのかな?)


沖田は、屯所を出、門番に斎藤を見なかったか尋ねてみた。

案の定、斎藤は独りでぶらりと出て行ったそうである。沖田は歩いていった方向を門番から聞き、そちらへ向かってみた。

…すると、遠くに斎藤の背が見えた。


「斎藤さん!…待ってください!」


斎藤は一瞬歩を止めたが、振り向きもせずまた歩き出した。


「?…斎藤さん?…斎藤さん、待ってくださいってば!」


斎藤の足がだんだん速くなっていく。沖田はわけもわからず、早足で追いかけた。


「斎藤さーん!私です!沖田です!待ってください!」


沖田はそう必死に叫ぶが、斎藤の足は止まらない。

そのうち、逃げるように走り出した。


「!?…」


沖田も走って追いかけた。こうなれば、意地である。必死に無視しようとする斎藤になんとか追いつこうとした。

すると斎藤は、とたんに足を止め、くるりと振り返った。


「!!」


沖田はあわてて立ち止まった。


「沖田すまん!!悪気はないんだっ!許してくれっ!!」


斎藤はいきなりそう叫び、大きく頭を下げた。


「!?…はっ?…斎藤さん?」


沖田は突然のことでわけがわからない。ゆっくり斎藤に歩み寄りながら言った。


「いったいなんのことです?…斎藤さん、何か私に隠れてやっていたんですか?」

「えっ!?」


今度は斎藤の方が驚いていた。


「…俺を怒るつもりじゃなかったのか?」

「どうして私が、斎藤さんを怒らなくちゃならないんです????」


沖田と斎藤はお互いに目を見張って、しばらく見つめ合っていた。

…斎藤は、とたんに大笑いした。沖田は、訳がわからずきょとんとしている。

斎藤は笑いながら沖田に背を向けた。


「俺があやまったのは…中條を個人指導したことだよ。」

「私は、そのことでお礼を言おうと思っていたんですが…。」


斎藤は「えっ」という表情で振り向き、また笑った。


「…沖田…。おまえは本当に「お人よし」だな。」

「??どういうことです?」

「…中條って奴は…もっと非情になれたら…凄腕の剣士になれるのによ。」

「!!」


斎藤は沖田に再び背を向けて、自嘲気味に笑った。


「おまえもそうだが…その「人のいい」性格が、腕を鈍らせてる。俺にはそう見える。」

「それで、中條君を稽古したんですか。」


斎藤はうなずいた。


「前から奴を欲しいと思っていた。俺なら、もっと腕をよくしてやれるってな。だから右利きの奴を、左でも人を斬れるほどにしてやろうと思った。あの力強さで両手が自由に使えたら…。」


沖田は黙っていた。自分にもわかってはいたことではある。斎藤が続けた。


「そして相手を騙す方法も教えておいた。刀を左に差しておけば、皆そいつが右利きだと思う。その刀を右手元において相手を油断させ、左で斬れとね。奴は、こともあろうにそれを「桂」でためしやがった。その度胸は認めるが…さすがに無理だったようだな。」

「……」

「おまえさんは、私の指導のおかげで、中條の命が救われたと思っていた。…だから、礼を言おうとしたんだろう?」

「…そうです。」

「だが本当は…奴は俺のせいで、危険を承知で敵地に挑み、命を落とすところだった。」


斎藤は沖田に振り向き、再び頭を下げた。


「すまぬ。…もうおまえんところの隊には手を出さん。許してくれ。」

「斎藤さん…。人のこと言えないじゃないですか。」

「?」


斎藤は驚いて顔をあげた。


「斎藤さんも人がよすぎます。でなかったら、私に謝ったりするものですか。」


沖田はにこにことして、そう言った。

斎藤は、沖田の言葉に苦笑した。


「…俺まで、おかしくなっちまったらしい…。」


沖田も苦笑した。


「しかし…あの中條って奴のおまえへの忠誠心は、相当なもんだな。稽古しながら思ったよ。」

「え?」

「中條が俺の稽古を受けたのは、ただ自分が強くなりたいだけじゃない。おまえを護るためなんだ。奴の真剣な顔を見ながら、それを強く感じた…。嫉妬するほどよ。」


沖田は、監察の安西が「いいなぁ」と何度も言った意味がわかったような気がした。


「…おっと…来たぜ。噂の主がよ。」

「!…」


沖田は斎藤が顎で指した方を見た。遠くに中條が少し困った様子で立っている。


「…俺とおまえが一緒にいるのを見て、困っているようだ。」


斎藤が笑いながらそう言うと、沖田の前を通り過ぎ、中條に向かって歩いた。

沖田はその場から動かず、黙って斎藤を見送る。

中條は、近寄ってきた斎藤に頭を下げた。


「…おまえの代わりに謝っておいたぞ。」


斎藤はにやりとして通り過ぎざまにそう言い、屯所に向かって去って行った。

中條は何かを言おうとしたが、その間もなかった。


「中條君。帰ろうか。」


その背から沖田が声をかけた。


「先生…あの…僕は…」


沖田は中條の言葉を遮るように言った。


「いろんな組長さんから技を学ぶことは、悪いことじゃない。…私からは学べない技を斎藤さんから習得したんだから、それをこれからの務めに生かして欲しい。…決して無駄にしないようにね。」

「…はい!」

「そしてもう1つ…。」


中條は、黙って沖田の言葉を待った。


「…自分の命を、もっと大事にして…」

「!!」

「私より先に死んだらだめですよ。」

「…先生…」


沖田は、立ち尽くす中條の横を過ぎ、屯所に向かって歩き出した。

中條があわてて後をついて歩く。

散る桜の花びらが、二人を追うように舞っていた…。

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