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忠誠(その一)

沖田は、討幕派の残党を追って、狭い路地を足早に歩いていた。

残党は、どこへ潜んでいるかわからない。沖田は、刀を手に警戒をしながら歩いていた。


「沖田先生!」


背中からそう呼ばれ、沖田は振り返った。


中條である。険しい表情で駆け寄ってきた。


「…逃げられましたか。」


中條は息を切らしながら、頭を下げた。


「申し訳ありません。」

「仕方がないでしょう。あんな風に散り散りに逃げられてしまうと、こちらもどうしようもない。」


沖田は、そう苦笑しながら言った。

中條とは反対の路地から、山野も険しい表情で駆け寄ってきた。その表情から、沖田はすべてを察した。


「今日は、あきらめましょう。いずれまた、襲ってくる連中です。」


山野が黙って頭を下げた。


三人は、狭い路地を抜けた。

抜ける時に、中條がさっと沖田の前に立った。そしていち早く路地を出て、危険がないことを確かめると、沖田と山野に「大丈夫です」と言った。


「ありがとう。」


沖田は苦笑してそう言った。


(死番役でもないのに…)


中條はいつもこうなのである。山野も苦笑している。

沖田は呼子を吹き、隊士達を集めた。


……


沖田は、土方へ巡察の報告をしていた。

土方は黙って聞いていたが、報告が終わると同時にため息をついた。


「…少々やっかいだな…」


沖田はうなずくようにして下を向いた。

今日襲ってきた集団は、いつも一番隊の巡察にだけ襲ってくるのである。

沖田を狙っているのか、一番隊士の誰かを狙っているのかはわからない。


「あのあと三番隊が出たが、何もなかったと斎藤が言っていた。そろそろ監察に動いてもらわねばならんな。」

「…はい。」


沖田は、自分が狙われているのではないかと思っていた。別に思い当たる節は特にない。…が、これまで何度か襲われたことを考えると、そう思わざるを得なかった。


(私のために…皆に迷惑をかけているのではないだろうか…)


今のところ、死者も怪我人も出ていない。しかし、相手は日を追うごとに増えていた。このまま増えていくと、いつかはさすがの一番隊でも手におえなくなる日が来るのではないか…と沖田は不安を募らせていた。


……


沖田は夜道を一人で歩いていた。

特に行くあてがあるわけでない。ただ、黙って歩いている。


(私が狙われているのならば…一人の方が襲いやすいはずだ。それも…夜の方が…)


沖田は、一度にけりをつけたいと思っていた。

…が、この時、ある人物が沖田の計画を崩した。


内科医の礼庵である。男姿をしてはいるが、女性である事は沖田も知っている。だが、礼庵はそれを言わないし、総司も聞かない。その方が、お互いにいい関係を続けられると思っているからである。

その礼庵が、薬箱を持ってこちらに向かってきている。


沖田は一瞬、たじろいだ。

声をかければ、礼庵に迷惑をかけるかもしれない。そう思い、礼庵に見つからぬよう道を変えようとした。

…が、ふと足が止まった。

礼庵の表情に疲労の色がはっきりと見えたのである。

沖田は、しばらく足踏みをするように迷っていたが「だめだ」と呟くと、礼庵に向かって歩き出した。


「!総司殿!」


沖田の姿を見て、礼庵の表情が少し明るくなった。


「礼庵殿…。また急患ですか?」

「ええ。子どもは夜に熱を出すのが仕事のようなものでね。」


礼庵が苦笑しながら答える。


「しかし、こんなことを続けていては、いつかはあなたが倒れてしまいますよ。」

「総司殿は、どうしてこんな時間に?」


礼庵は、沖田の説教を避けるようにして尋ねた。

沖田は黙り込んだ。…襲われるためだなんて、答えられるはずもない。礼庵はそんな沖田の様子に、ふと眉を寄せた。


「何か訳がありそうですね。…でも、聞かないことにしましょう。」


その礼庵の言葉に、沖田は一層とまどった。このまま礼庵を診療所まで送ってやりたいとは思っているが、今誰かが自分をけているかもしれない…と思うと、うかつに動けなかった。。


「…じゃぁ…また…診療所へ参ります。」

「ええ。」


沖田の言葉に、礼庵は悪びれる様子もなくそう言うと、片手を挙げて立ち去っていった。沖田の思っていることがわかったのかもしれない。

沖田は、ただ礼庵の後姿を見送ることしかできなかった。


…結局、沖田はそのまま屯所へと何事もなく戻った。


(私が狙われていると思ったのは、早合点だったのかな。)


そう思った。いや思ったというより、そう思う方が気が楽だった。

どうしても、礼庵のことが気にかかる。


翌朝、沖田は中條に礼庵の様子を見にいくよう頼んだ。

中條は何かを悟ったのか、神妙な表情をして沖田に頭を下げると、屯所を飛び出していった。


(取り越し苦労であればいいが…)


沖田は、中條が帰ってくるのを待った。


……


中條が出て行ってから、もはや一刻が経とうとしている。しかし、中條は戻ってこない。巡察の時刻も、刻々と近づいてきていた。

そしてとうとう巡察の時刻を迎えた沖田は、一番隊を引き連れて屯所を出るしかなかった。


(どうしたんだろう…)


沖田は、京の町中を歩いている間も、心配で仕方がなかった。

そんな沖田の傍に、山野が近づいてきた。


「先生…。私が礼庵先生のところへ行って来ましょうか?」


沖田は、うなずいた。


「頼む。」


山野は頭を下げて、隊列からはずれ、走り去って行った。


……


沖田は巡察を滞りなく終え、屯所に戻ってきていた。

中條も山野も戻ってきていないことを知ると、隊服を脱ぎ捨てて、再び外へ飛び出した。


……


「礼庵殿!!」


沖田は、いきなり診療所の戸を開いて叫んだ。

すると、玄関の敷居にゆったりと腰を下ろしている礼庵の姿が目に飛び込んできた。


「総司殿」


礼庵がにっこりと微笑んでこちらを見ている。その礼庵の傍には、中條と、隊服を着たままの山野がいた。礼庵の無事な姿を見た沖田は、ほっとする反面、何か腹立たしさを感じた。


「中條君!どうして戻ってこなかったのですかっ!?」


思わずそう中條にどなりつけた時、礼庵があわてて立ち上がった。


「総司殿、違うんです!…私のせいなんです。」


そう言って手を合わせる礼庵に、沖田は驚いた目を向けた。


……


沖田は、険しい表情で中條の報告を聞いていた。中條の横には山野もいる。

礼庵はやはり、往診中に誰かに尾けられていたらしい。


礼庵が最後の往診を終え、自分の診療所へ帰ろうとしていたとき、何か視線を感じたのだそうだ。「尾けられているのではないか」と思ったのは、診療所の近くまできた時だったようである。

そこで礼庵は診療所の場所を知られるのを恐れ、また町中へ戻り、あてもなく歩き回ったのだそうだ。


中條は、そんな礼庵の事情を知らないまま、礼庵の診療所で礼庵の帰りを待っていたのである。

しかし、診療所で賄いをしているばばの「帰りが遅すぎる」という言葉に、中條は町中へ礼庵を探しに出た。

その時間は、もう巡察の時刻を過ぎていたが、中條はそんなことをすっかり忘れて礼庵を探し回った。礼庵は結局一刻近く、町中を歩き回っていた。そこで中條がやっと礼庵を見つけたのだという。

礼庵は往診で歩くことに慣れているとはいえ、意味もなく町中を一刻近くも歩き回っていたので、精神的に疲れ果てていたらしい。中條が自分に駆け寄ってくる姿を見て、思わずその場に座り込んだという。


「おぶっていこうと思ったのですが「目立つから」と言われ、近くの茶店に入り休んでいただきました。そこに山野さんが来られて、初めて巡察の時間が過ぎていたことを知りました…。申し訳ありません!」


中條はそう言い、沖田の前にひれ伏した。もちろん、沖田がそんなことで怒る理由はない。


「…また礼庵殿に、迷惑をかけてしまったな…。やはり、私が狙われていたのか。」


沖田はそう呟いた。


「最近、一番隊だけが狙われている…ということですか?」


山野のその言葉に沖田はうなずいた。


「…私のせいで…申し訳ないことをした。…すまぬ。」


沖田は中條と山野に向かって頭を下げた。

中條と山野は慌てた。


「私は、迷惑とは思いません!!そういうことならば、沖田先生を狙っているという人物を、必ず見つけてみせます!」

「私も中條さんと同じです!…そして一番隊の皆も…きっと同じ思いでいるでしょう。」


沖田は、うつむいた。どう感謝の意を示していいのかわからなかったのだ。


「ただ…心配なのは、礼庵先生です。」


その中條の言葉に、沖田は思わず顔を上げた。中條は、体を乗り出すようにして言った。


「僕に、礼庵先生の警護をさせてください。礼庵先生のことですから、きっと明日も危険を承知で往診に出られるかと…」

「ありがとう、中條君。…君に任せるよ。…礼庵殿のことを頼みます。」


中條は「はっ」と答え、頭を下げると、急ぐように部屋を出て行った。

そして、沖田は山野に言った。


「私のことは、監察の山崎さん達が調べてくれています。…だから、君たちはできるだけ外へ出ないようにしてください。私のために、狙われるといけないから…」

「…先生にも同じ言葉を返してよろしいでしょうか?」


沖田は山野に驚いた眼を向けた。

山野は真剣な表情で、沖田を見つめている。


「先生も、お一人で外へお出にならないでください。勝手に出られとしても、必ず私が後ろにいることをお忘れなく。」

「…山野君…」


沖田は、深いため息をついた。そして、必死に涙を堪えるような表情をしてから言った。


「…わかりました…。」


山野は安心したように微笑むと、頭を下げて部屋を出て行った。

沖田は、再び深いため息をついた。自分が狙われているのに、どうすることもできないでいる自分が腹立たしい。が、自分を案ずる隊士達の厚意をはねのけるほどの勇気はなかった。


……


「ねぇ、中條さん。」


礼庵が縁側で厳しい表情をして座っている中條に、後ろから声をかけた。


「わっ!!…えっ?な、なんです?礼庵先生。」


驚く中條に、礼庵は思わず吹き出した。


「私の気配も感じないほど、かちかちになられているようじゃ駄目ではないですか。」

「はっ!…はい…申し訳ありません。」


中條は頭を掻いた。確かにそうである。気持ちばかりが焦ってしまっているのは確かだった。


「総司殿は…とても辛い思いをされているでしょうね。」

「はぁ…。夜も寝られないご様子です。」

「中條さん、何か、勘違いをされていませんか?」

「…?…は?」


中條は驚いて、礼庵に向いた。

礼庵は優しい表情で中條を見ている。


「総司殿が辛いのは、自分自身が狙われているからではありません。」

「え?…」


中條は礼庵の言っている意味がわからない。


「総司殿は、自分が狙われていることによって、周囲の人に迷惑をかけていることが辛いんですよ。」


中條はしばらく黙り込んでいたが、やがて「はっ」とした表情になった。

礼庵が続けた。


「忠誠心と言うものは、自分自身の心に納めておくものです。口に出さずにね。…総司殿は護られれば護られるほど、自分を追い込んでしまうような方なんです。」

「しかし…!…どうすれば…」


中條は、礼庵の言いたいことが理解はできたのだが、かといってどうすればいいのかわからない。


「わかりませんか?…総司殿のことが心配ならば、私を護るよりも先にすることがあるでしょう?」


中條は、再び驚いた目で礼庵を見た。そして、しばらく黙り込んで悩んでいたが、突然、礼庵に体を向けた。礼庵は、驚いて身を引いた。


「僕は…沖田先生と「礼庵先生を護る」と約束したんです!絶対に礼庵先生から離れたりしません!」

「…!…」


礼庵は中條の真剣な表情に、目を見張っていた。


「…本当は僕だって…沖田先生を狙っている人を捕まえたいけれど…。…でも…。」


中條はそう言うと、再び中庭に向いて座り、下を向いた。


「沖田先生が一番心配されているのは、礼庵先生のことなんです。」

「!」

「そして…礼庵先生をお守りできるのは…僕しかいないんです。」

「中條さん…。」


礼庵は、中條の肩に優しく手を乗せた。


「ありがとう。中條さん…。」


礼庵を女性と知っている中條は、自然と顔が赤くなるのを感じた。


「でもね、中條さん。総司殿が私のことを一番に心配してくださっているかどうかは別として…総司殿は、自分のせいで誰も傷ついて欲しくないと思っていると…私は思うのです。」

「…?…」


中條は意味がわからず礼庵を見た。


「…誰も傷つけたくない…。中條さんがそう思う時…ご自分ならどうされますか?」

「僕なら…?」


礼庵はうなずいた。

中條は一瞬考える風を見せたが、すぐに「あっ!」と声を上げて立ち上がった。


「…僕なら…誰にも迷惑をかけないように、自分独りで相手を捕まえようと思います!…だから…」

「そう。だから総司殿も、きっと独りで何らかの行動を起こすでしょう。」


礼庵は昨夜、沖田が独りで夜道を歩いていた意味を、既に悟っていたのだった。


「…でも、それはきっと山野さん達だってわかっているはずだから…」


中條は中庭に降り、うろうろとしはじめた。


「さて、私は往診に出ようかな。」


礼庵の呑気なその声に中條は驚いて、礼庵の顔を見た。


「どうします?ついてきますか?それとも、ここでずっと悩んでおられますか?」


中條は礼庵を見た。すると礼庵が何か覚悟を決めたような表情をしていることに気がついた。


「礼庵先生…先生はまさか…」

「ぐずぐずしていると先に行きますよ。」


礼庵はそう言い捨てると、往診の準備をするため部屋へと入っていった。


「行きます!お供します!!」


中條は叫ぶように言った。


……


礼庵が、京の町中を独りで歩いていた。その後を、何人かの浪人がこっそりついてきている。

やはり、礼庵は尾けられていた。


礼庵は薬箱を持ってはいるが、どこの家にも入ろうとはせず、さっきから人通りの多いところばかりを歩いている。そのため、逆に尾けている方も、人ごみに紛れやすく、仕事がしやすいようだ。


浪人たちは、ばらばらに歩いてはいるが、時々、目で合図をしながら、礼庵との距離を測りながら歩いていた。

やがて、人気ひとけが切れた時、突然礼庵が走り出した。

浪人たちは驚いて、礼庵を追う。

男姿をしているとはいえ、礼庵は女である。浪人たちの足に勝てるはずはなかった。

礼庵は川の流れを前に、立ち止まった。浪人たちも、礼庵の後ろで立ち止まり、それぞれ刀を抜いた。

礼庵が振り返った。


「抵抗せねば、何もせぬ。我々についてきてもらおうか。」


浪人の独りが静かに言った。


「医者一人捕まえるのに、五人がかりとはね。私も捨てたものじゃないらしい。」


その礼庵の言葉に、浪人たちが一様に目を見開き、怒りを露にした。

そして全員が礼庵に向かって一歩踏み出した時、突然一人の男が、礼庵と浪人との間に割り込んできた。

中條である。

同時に、浪人達に刀を向けている。


浪人たちは一瞬ひるんだが、声を上げて中條に切りかかっていった。

礼庵は、すでにその場を離れ木の陰に隠れている。すべて中條との打ち合わせどおりであった。


(案外、人数が多かったな…。)


しかし、中條の腕を信じている礼庵は不安も感じずに、黙って斬りあう姿を見ていた。


(中條さんも…型が堂々としてきたなぁ…。自信がついてきたのかな。)


そんなことを考える余裕すらでるほど、中條の動きには無駄がなかった。

あえなく浪人たちはその場に倒されていったが、皆、斬られた痕がない。中條は峰うちにしただけであった。しかし、峰うちは斬るよりも力がいる。それも、相手の戦闘能力を失わせなければならないとなると、倍以上の力が必要である。

…五人が起き上がれないのを見て、中條は肩で息をしながら、


「終わりました。」


と礼庵に言った。

それを聞いた礼庵は、中條の傍へと駆け寄ると「大丈夫?」と尋ねた。


「はい。」


中條は額に汗をにじませながらも、にっこりと微笑んで見せた。


「でも、先生も無謀ですよ。相手を怒らせてどうするんです。」

「人間ってね、感情的になると案外、体が思うように動かなくなるものなんです。」

「そうでしょうか?」


中條は、半ばあきれたように苦笑した。


……


中條は、沖田の前にひれ伏していた。

そして沖田は、そんな中條を睨むように見つめている。


「…自分のしたことがどういうことか…わかっていますか?」

「わかっております。」

「わかっているなら…何故、礼庵殿にそのような危険なことをさせたのですか。」


中條は伏したまま黙っていた。が、やがて顔を上げていった。


「赦されることとは思っていません。どのような罰も覚悟しております。」


沖田はため息をついた。


「実は礼庵殿から…あなたを罰するなと言われています。…中條君を罰するならば、自分も同じ罰を受けると。」


中條は驚いた表情で沖田を見た。


「それに…あなたを罰したところで、私の気持ちがすむわけでもありません。…ただ、礼庵殿が無事だったからよかったものの…もし、あの人の体に少しの傷でもついたらと思うと…いたたまれないのです。」

「…申し訳ありません。」

「もう…勝手な行動は取らないで下さい。」

「…はい…。」


中條は涙声で答えた。


「もういいですよ。…部屋へ戻りなさい。」

「…はっ…。」


中條はもう一度頭を下げると、顔を上げずに部屋を出て行こうとした。


「中條君。」


沖田に突然呼びかけられ、うつむいたままふすまを閉じようとしていた中條は「はい」と驚いて目を上げ、答えた。


「…礼庵殿が…あなたのことをとても誉めておられました。あなたに…安心して、命を預けることができたと…。」

「!!」


中條は驚いて、沖田に振り返った。すると、今度は沖田の方が背を向けていた。


「…君にも…何もなくてよかった…。…ありがとう。」

「…!…いえ…!…あの…」


中條は何を言えばいいのかわからず、とまどったように目を泳がせた。。


「早く、部屋へ戻りなさい。」

「あっ…はっはい!」


沖田に怒られるようにして、中條はあわててふすまを閉じた。

中條の心に、暖かいものが流れていた。


……


事件は解決したように見えたが、中條が礼庵の協力を得て捕まえた浪人達は、主犯格ではないことが監察の調べでわかった。そのため、捕まえられた浪人達を一人一人取り調べをし、主犯格をつきとめようとするが浪人たちの口は固かった。


沖田は今、土方の部屋にいる。

じっと目を閉じて、腕を組んだまま座って動かない土方を前に、沖田はただ黙って座っていた。土方は考え込むと、目を閉じ、まるで眠っているかのように動かなくなってしまうのだ。

…が、沖田もやがてしびれを切らした。


「起きてくださいよ。土方さん。…いったい何の御用です?」

「ばか。寝てるわけじゃない。」


土方が苦笑して目を開いた。が、すぐに表情を固くして言った。


「中條があの浪人たちを捕まえてから、動きが止まってしまったそうだ。」

「?なんのです?」

「あっちのだ。…あの浪人たちが捕まるまでは、山崎達が目を付けていた奴らの動きが結構激しかったらしい。それが、ぴたりと動かなくなってしまったんだそうだ。」

「…警戒していると言うことですか。」

「そうだ。…今はおとなしいもので、山崎達が地団太を踏んでいる。」


沖田は、少し口元をひきしめてから言った。


「…中條君のしたことは…よけいなことだと言いたいわけですか?」

「……」


土方は再び目を閉じた。


「土方さん!」

「…その通りだ。…結果論だが、あの浪人達をもうしばらく泳がせておいた方が、主犯格が見つかっていたのかも知れん。」


沖田は唇を噛んだ。


「私のことはともかく…礼庵殿が…一般の人が命を狙われていても…ですか?」

「…ほら…おまえの悪い癖だ。…むきになるな。」

「むきになってなんか…。」


土方は、沖田の言葉をさえぎるように言った。


「今となっては、あの浪人達が口を割るのを待つしかない。…中條にも、今後は単独行動は取るなと注意しておけ。」


沖田は何も言葉が継げず、黙り込んだ。


……


中條が、緊張した面持ちで沖田の前に座っていた。

沖田は突然、自室に中條が来たので驚いている。

もちろん、中條には土方に言われたことはまだ話していないし、話すつもりもなかったのだが…。


「どうしたの?中條君。」


沖田は微笑んで尋ねた。


「…先生…僕のしたことが、かえって…監察方の方々にご迷惑をかけてしまったんですね…」

「!…誰がそんなことを?」

「監察方の方に言われました。」

「…監察の誰に?山崎さん?」

「いえ…最近入ってこられた方で名前はわかりませんが…「えらいことをしてくれたな」と言われました。」


沖田は、憤りを感じて、膝に乗せた両手を握り締めた。

しかし、穏やかに中條に言った。


「気にすることはありません。あのままだったら私はともかく、礼庵殿がどうなっていたかわからないのですから…。」

「ですが…」

「監察だって、こんなことは初めてではない。もう、他の手を打っているでしょう。」

「……」


沖田は、じっとうなだれている中條を前に、どうしたらいいのかわからなかった。


……


「それは申し訳ない…」


監察方の山崎が、沖田に頭を下げた。


「…たぶん、そんなことを言うのは、新人の安西でしょう。私や島田さんなどは、こういうことに慣れていますが、…彼は、初仕事だったので、とても張り切っていたんです。今回は許してやってください。私からも、注意いたしますので。」

「ありがとうございます。…しかし、どんな様子ですか?何か掴めそうですか?」

「…正直、難しいですね。一応、目星はついていますが、今は向こうが動いてくれないので、なんともしようがありません。」

「そうですか…。何か手伝えることがあったら、言ってください。」

「ええ。ありがとうございます。」


山崎は、沖田に頭を下げた。


その後、一番隊だけが狙われるというようなこともなくなった。

…が、すべてが解決したわけではないことは、沖田にも山崎にも、そして中條にもわかっていた。


……


中條は、黙って歩く、監察方の新人隊士「安西」を追うようにして歩いていた。


「安西さん…私にできることでしたら、お手伝いします。…少しでも手がかりがあるのであれば、教えてもらえませんか?」


安西は、困り果てていた。まさか、中條がここまで真剣に考えているとは思わなかったのである。


「教えられませんよ。…新選組の人間にも教えるなと、山崎さんから言われているんです。前に私があなたに言ったことは、取り消します。だから、勘弁してください。」

「いえ…僕のせいで、ご迷惑をおかけしたとなれば、このままでいられません。今度はご迷惑をおかけしませんから…!」


安西は、ため息をついた。


「中條さん、そうやって私の後ろを歩いていることが、そもそも迷惑なんです。…私たち監察は、人目につくことを許されない任務を負っています。…申し訳ないけれど、あなたのように体の大きな人がついて歩くことすら、目立つんですよ。」


中條は、その時初めてはっとした表情をした。


「あなたに恨みはありません…。だから、もう監察に関わらないで下さい。」

「わかりました。…申し訳ありませんでした。」


中條はそう言って、安西に頭を下げると、背を向けて立ち去っていった。

安西は、やっと安堵のため息をついた。


……


中條は、自己嫌悪に陥っていた。

自分のすることが、すべて隊の迷惑になってしまっている…。


中條は、ぼんやり歩いているうちに、川辺にたどり着いていた。


(…単独行動はできないけれど…でも…このままではいられない…)


その中條の後ろに、人影が立った。中條は何かを感じて、振り返った。


「不器用なところは…おまえの隊の組長のせいかな?」


中條は、その人影の主に驚いて目を見張った。


「斎藤先生!」


三番隊組長の斎藤だった。斎藤は笑いながら、中條の横へ立った。


「おまえんとこの組長もお人よしだが、隊士までもとはね。」


中條はうなだれながら呟いた。


「お人よし…でしょうか?」

「お人よしじゃなかったら、どうなんだよ。いちいちこんなことで悩んでちゃ、体が持たんぞ。」


中條は、そう言いながら笑う斎藤を、目を見開いて見ていた。


「…おまえ…沖田を狙う奴らを捕まえたいか?」

「はい!」

「…ならば、一つ方法がある。」


中條は思わず、斎藤の足元に片膝を立てて座った。


「どんな方法ですかっ!?なんでもやります!」


斎藤は笑わずに、神妙な面持ちをしている。


「…なんでもやります…てのは、言うのはたやすいが、実行するのは困難だぞ。」

「はい!!生半可な気持ちで言っているつもりはありません!!教えてください!」


中條は、懇願するように斎藤に言った。斎藤は、なおも笑わずに言った。


「では、俺の真似をせい。」

「…?…」


中條は斎藤の言う意味がわからず、返答に困った。


「俺の真似をすれば…解決の糸口が見つかる可能性がある。」

「斎藤先生の真似…ですか?」


斎藤はうなずいた。


……


沖田は、前に座っている山野と一緒に首をかしげていた。中條は、斎藤に個人的な稽古を毎日のように受けているのである。


「山野君も聞いていないのですか。」

「はい。おかしいな…とは思っていたのですが。中條さんにそのことを尋ねても、困ったように笑って「いずれ話します。」としか言ってくれませんし。」

「悪いことではないけれど…。また単独行動をしないかどうか心配だな。」


沖田の言葉に、山野がうなずいた。


「もう、次は許されないでしょう。本人もわかっているとは思うのですが…。」

「しかし…彼のことだ。…わかっていて、何かをやらかすんじゃないかと気が気じゃないんだ。」

「わかりました。できるだけ、中條さんの行動を監視するようにいたします。」


沖田が頼まないうちに、山野はそう言って頭を下げ、部屋を出て行った。


……


その日の巡察。

中條は沖田や山野の心配をよそに、いつもと変わらない様子で隊尾を歩いていた。そして、山野もいつものように、中條の隣を歩いている。


「ねぇ、中條さん。今日もこの後、斎藤先生の稽古を受けられるんですか?」


中條はぎくりとした表情をして、山野を見た。

根が正直だけに、何でも顔にでてしまう。


「は、はぁ…。」

「斎藤先生は左利きじゃないですか。中條さんは右利きでしょう?」

「え、ええ、まぁ…。」

「沖田先生の稽古だけじゃ物足りないんですか?」

「そうじゃありません!!」


中條は思わず声を上げた。

前を歩いていた隊士が、思わず振り返っている。


「あ、す、すいません。」

「…いずれ話してくださるとは思いますが、沖田先生が、あなたがまた勝手な行動をされるのではないかと心配なさっています。先生のお気持ちも考えてください。」

「…はい…」


中條はうなだれるように、下を向いて歩き出した。

山野はその中條の素直な反応に、思わず苦笑してしまった。


……


数日後-


相変わらず中條は、斎藤の個人稽古を受けていた。

沖田は「いずれ話すといってくれているのだから、その時を待ちましょう。」と、山野にそっとしておくように言った。


しかし、ある日山野は、たまたま町中で、監察方の安西と中條が肩を並べて歩いているのを見たのである。中條が安西に煙たがられていることは、以前中條から聞いて知っていた。


(許してもらったのかな?)


山野はそう思いその場を離れたが、二人の様子がおかしいことに後になって気づいた。


(…二人とも話してはいたけど…真剣な顔つきだったな…。かといって、言い争っているわけじゃなく…。)


山野はすぐに踵を返し、引き返した。

が、もちろん二人がその場にいるわけはない。山野は、二人が向かっていたと思われる方向へ駆け出した。


……


山野は息を切らしながら、路地に隠れていた。

前方には、安西と中條の背が見える。


(…おかしい。ここらは確か、討幕派や勤王派が根城にしているところが多い場所じゃないか…)


やがて二人は、あたりを見渡した。山野はあわてて頭を引っ込めた。

そして、再び二人のいた方を見ると、中條が安西の後に一軒の茶屋に入り、戸を後ろ手に閉じる瞬間が見えた。


(中條さんがどうしてあんなところに…!)


山野は一瞬路地から飛び出しそうになったが、はたと立ち止まった。


(…だめだ。…ここで中條さんを止めるより…沖田先生に連絡しなくちゃ。)


山野は、それでもしばらく立ちすくんでいたが、やがて屯所に向かって駆け出した。

その刻は、暮六つにはまだ遠い、昼日中であった。


……


沖田は、山野からの報告を聞く間、終始神妙な表情をしていた。

しかし山野にとっては、沖田はもっと表情を変えるものと思っていただけに意外だった。

沖田は一通り、山野の報告を聞いたあと、穏やかな口調で言った。


「山野君、ご苦労でした。中條さんが私に何も言わずにいることはとても悲しい事ですが、私は中條君を信じています。このまま、彼のしたいようにしてあげてください。それに監察方の安西君も一緒だから、大丈夫でしょう。」

「…ですが…」

「このことは、私と山野さんだけの秘密にしておいてください。私は信じていても、他に知られたら、中條君がどんな目に遭うか…。」

「わかりました。」


山野は沖田の中條への思いを感じ、胸が熱くなった。


……


一方、沖田と山野の思いをよそに、中條は今日も安西と一緒に町中にいた。


「しかし、安西さん…。こんなに頻繁に通ってもいいのでしょうか?組に知られたらえらいことですよ。」

「大丈夫ですよ。」


安西は自信ありげに、中條を見上げた。


「私は監察方の人間なんですから、討幕派の巣窟に行ったところで、疑う人などいませんよ。もし疑われても「仕事だから」と言えば、いいだけなんですから。」

「…そうでしょうか…。」


中條は不安気に安西を見た。安西は、馬鹿にしたような表情で、再び中條を見上げた。


「あなたは、体がでかい割りに臆病なんですね。…そもそも、組を抜けて討幕派に属したいから紹介してくれって言ったのは、あなたの方じゃないですか。」

「そうなんですが…。安西さんがあまりに大胆なんで…。」

「とにかく、私と一緒にいれば大丈夫です。…さ、とにかく急いで行きましょう。向こうはあなたが来るのを待っているんですから。」

「はい!」


二人はその中條の返事とともに、足早に歩きはじめた。


(続く)

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