同志の死
巡察から帰ってきた沖田は、着替えを済ませると、すぐにごろりと横になった。
しばらく目を閉じて休んでいると、部屋の外に人の気配がした。が、入ってこようとしない。
沖田は寝転んだまま、ふすまを見た。気配をはっきりと感じる。一人ではないこともわかる。
しかし、ふすまは開く様子がないし、誰かが呼びかける気配もない。
殺気を感じないので、刺客ではないことはわかっているが、いったい何をしているのか…?
「…?」
沖田は、四つん這いになってふすままで近づき、そっとふすまに耳を当てた。
すると、複数の人間がこそこそと何かを話している声が聞こえた。
「…ねぇ…だから開けてみましょうよ。」
「だって…開けてもし、先生がいらっしゃったら何を言えばいいんですか?」
「…だから…とりあえずは…いいお天気ですね…とか…」
「そんなの変ですよ…!」
「しーーーーっ!!」
沖田は思わず口に手を当てて笑いそうになるのをこらえた。
そして、そのままゆっくり立ち上がると、息を一つついてから、がっ!とふすまを開けた。
すると「わーーーっ」という声とともに、四人の男が倒れ掛かってきた。
「!!!」
沖田は体を避けて、男達がその場に崩れて積みあがっているのを見下ろしていた。
一番下敷きになっているのは、山野だった。
「中條さん、重いですよーーー!」
「だって、僕の上には、畑野さんが…」
「私の上には、木田さんが…」
「ぼっ僕の上には…沖田先生が…!」
「ええーっ!?」
沖田はおもしろがって、一番上に乗りかかったのだった。
……
沖田はうなだれて正座している四人を前に、まだ笑っていた。
「…で?…いったい何の御用ですか?」
そう笑いながら尋ねた。
「…最近、先生のお元気がなかったので…ご様子を見に…」
「…それだけ?」
「…はぁ。」
沖田はおもしろがったことを後悔した。
「心配して来てくださったんですか。…それは申し訳なかった。」
沖田がそう頭を下げると、4人は慌てて首を振った。
この4人の中の、木田、畑野は最近入ってきた隊士である。特に、土方に気に入られて入った2人であった。
2人とも一番隊ではないが、山野や中條と同い年だということで気が合うらしい。
「君達は疲れていないのかい?」
「えっ?」という顔を4人ともした。巡察から帰って、まだ半刻ほどである。それでも、皆疲れた様子がない。
(…うらやましいな…)
そう思った。歳は5つも離れていないのに、自分がまるで年寄りのように感じる。
「疲れていないなら、もう一度、巡察に行きましょうか。」
今度は「げっ」というような表情が4つならんだ。沖田はくすくすと笑った。
「甘味屋までですけどね。心配をかけたお詫びです。」
そう沖田が付け加えると、皆一様にうれしそうな顔になった。
……
翌日、平隊士の間で、中條は縁側でぼんやりとしていた。今日は、畑野と木田のいる三番隊は巡察、山野は近藤の用事で外へ出ている。
突然、平隊士の一人が何かを叫びながら飛び込んできた。
談笑していた隊士達は何事かと驚いて、その隊士を見た。
「大変なんだ!畑野がやられた!!」
息を切らしながら隊士がそう言った。中條はぎくりとして、立ち上がった。
「畑野さんが!?」
中條は思わず、その隊士のそばへ駆け寄った。
「巡察中にまた襲撃があって、やられたらしいんだ。」
「今、どこです!?」
「治療部屋だよ。…今、医者が来るのを待っているようだ。」
中條は、それを聞き終わらないうちに、治療部屋へと走った。
……
治療部屋の前の廊下では、三番隊の平隊士達が沈鬱な表情で座り込んでいた。その中に木田の姿もあった。
「木田さんっ!!」
「!!中條さんっ!!」
木田は立ち上がって、中條に飛びついた。
「畑野さんが…畑野さんが…」
それ以上は言葉にならない。中條は木田の背中をやさしく叩いた。
「しっかりしてください…。どんな様子なんですか?」
「…駄目です…。袈裟がけに斬られて…。左腕が…」
「!!左腕が…?」
「…ばっさりと斬りおとされてしまったんです!」
「!!!」
中條は愕然とした。
畑野の剣の腕はよかった。土方が自分の小姓に使うほど、腕を見込まれていた。しかし、斬りおとされたのが左腕だったとはいえ、その後の務めはどうなるのか…。
中條は木田を慰めながらも、絶望感を感じていた。
……
中條と木田は、診療部屋の前で、畑野の治療が終わるのを待っていた。
他の隊士達は、後を二人に任せ部屋へ戻っている。
その時、沖田が血相を変えて走りこんできた。
「畑野君はっ!?」
さっきまで外へ出ていたらしく、今初めて畑野の事を聞いたようである。
中條と木田は、力なく首を振った。二人とも、もう泣く力もなかった。
「…医者が来ていると聞いたが…」
「はい…でも、なかなか出てこられなくて…」
中條がそう言ったとき、中から人を呼ぶ声がした。
中條ははっとして、返事をした。
「入って来ていいよ。」
疲れたようなその医者の声に、中條と木田は思わず顔をあわせた。
……
中には、苦しい息をついている畑野の姿があった。斬られた腕は縛られており、布が被されている。
「…出血がともかくひどい。なんとか血は止められたが…目を覚ますかどうかは…」
医者が辛そうに首を振った。
中條と木田は畑野の傍にそっと寄った。沖田はだまって二人の後ろに座った。
「畑野さん…目を覚ましてください。」
「畑野さん…」
二人は恐る恐る声をかけていた。突然、医者が口を開いた。
「…おい…この畑野とかいう男…女はいるのか?」
沖田をはじめ、中條と木田は驚いた表情で医者を見た。
そして、木田が答えた。
「今出川…だったと思いますが、想う人はいたようです。」
「片腕しかなくても、好いてくれそうか?」
その医者の言葉に皆ぎくりとした表情をした。
「こいつが武士だというだけで好いているような女でないといいけどな。」
「落とされたのは、左腕です!!利き腕が残っていれば、新選組に残っていられるはずです!!」
木田は医者に食ってかかった。医者は、ため息をつきながら首を振った。
「俺がいいたいのは、新選組に残っていても残っていられなくても、ずっとこの男についてきてくれるような相手なのかということだ。片腕がなくなっても、生きていればなんとかなる。…武士でなくなってもな。しかし、それを相手がどう思うかだよ。」
「……」
木田は黙り込んだ。中條も何も言わず黙り込んでいる。
……
沖田は一旦診療所へ帰るという医者を追って、外へ出た。
「東さん、そこまでお送りしましょう。」
「…ええ…」
医者は嫌がる風もなく、自分の診療所への道を歩き始めた。この東という医者は、親子とも外科医で、数少ない新選組びいきの若い医者であった。そのため、時々、討幕派の浪人から襲われることもあった。
沖田はためらいがちに尋ねた。
「…畑野君は…助かりそうですか…?」
「……」
東は黙って歩いていたが、やがてため息をついて答えた。
「…五分五分というところですね。…どちらともいえません。」
沖田は「そうですか」と声を落とした。
「…ねぇ、沖田さん…。武士っていいもんですか?」
「…え?」
「…私が屯所へ行く時は、怪我人を治療に来る時ばかりなので、そう思うのかもしれませんが…。なんだかね…屯所にいる人達の表情が…我々庶民と違うなって…」
沖田は驚いた表情で東を見た。
「…時折、隊士さん達が談笑しながら歩いているのを見たりもするんですけどね…なんだか…目が笑っていないように見えるんです。」
「…目が笑っていない?」
「…逆に恐怖を感じるくらい…目だけが…鋭いんですよ。」
沖田は東の言いたいことがおぼろげにわかった。
「…いつも気を張っている様に見えるってことですね。」
東は頭を掻いた。
「その通りです。…考えすぎなのかもしれません。でも…ちっとも楽しそうじゃないんですよ。」
「私もですか?」
「…!…」
東は目を見開いて沖田を見た。
「…正直に言っていいですか…?」
「どうぞ。」
「…沖田さんは…違います。それだけに恐ろしい…」
「…え?」
「…一度、沖田さんが巡察中に襲撃を受けて、討幕派の浪人達を相手にしていたのを見たことがあるんですが…その時のあなたは…まるで鬼のように険しい表情でした。…でも、普段の沖田さんは…その時のことを忘れさせるほど、おだやかなんですよ。」
「…!!…」
沖田は一瞬言葉がでなかった。
「…その違いが…私には逆に恐ろしいんです。」
沖田は自嘲気味に笑った。
「…そう思われても仕方がないのかもしれません。…務めでない時は、やはり務めでの辛いことを忘れたいですからね。」
「………」
東は一瞬黙り込んでから言った。
「…私は…武士にはなりたくないな…。」
沖田は微笑んで東を見た。
「そうですね…できることなら私も…」
東は驚いた表情で沖田を見た。
「…驚かないで下さい。」
沖田はそう言って笑った。
……
沖田は、東を送った後、急いで屯所へと戻った。
そして、すぐに診療部屋へと向かった。
しかし…部屋の前へついた時に、畑野が死んだことを悟った。
木田の号泣する声が聞こえたからである。
沖田はそっとふすまを開き中へ入った。
畑野の顔に白布がかぶせてあり、その横で木田が大声で泣いていた。中條は唇をかみしめて、必死に涙を堪えている。
「…遅かったか…」
沖田はそう言って、畑野の傍に座り、手を合わせた。
そして泣いている木田を見、必死に涙を堪えている中條を見た。
「中條君…こういう時は泣いていいんだよ。」
その言葉を聞いた中條は、唇をかみしめたまま、涙をぽろぽろとこぼした。
そして、やっと嗚咽をもらしはじめた。
(…畑野君…成仏してください。)
沖田はそっと白布をはずし、畑野の穏やか過ぎるほどの死顔に呟いた。
……
畑野の初七日を過ぎた頃、中條は屯所前で木田を待っていた。
木田は、畑野の想い人に会いに行ったのである。
せめて畑野の遺品を渡したいと思い、ずっと畑野が持っていた守護札を持っていったのだった。 生前、その想い人と一緒に買ったのだと聞いていたからである。
門番をしている山野も何か落ち着かない様子で、木田の帰りを待っていた。
山野は畑野が死んだ日、たまたま、近藤の用事で外へ出ていたので、夕方に屯所に戻るまで、畑野が斬られたことも死んだことも全く何も知らずにいた。死んだことを聞かされた時は、にわかには信じられなかったが、夜、寝る時になって、涙が止まらなくなった。いつも山野の隣で寝ている中條も、その堪えた嗚咽を聞いていた。
山野と中條は黙ったまま、木田を待っていた。
やがて木田が戻ってきた。
二人は思わず、木田に走り寄っていた。
「どうでしたか?…想い人さんはなんとおっしゃっていましたか?」
思わず急き込んで言う中條に、木田は肩を落として、ただ首を振った。
そして、袂からすっと、畑野がずっと持っていた守護札を差し出した。
「…!?…」
中條と山野は訳がわからず、顔を見あせた。
「…ご本人に会わせてもらえなかったんです。…母親らしき人が出てきて…「元々、関わりなかった人だ」と言われました。」
中條と山野は目を見開いた。
木田は涙をぽろぽろとこぼした。これまで必死に堪えてきた涙だった。
なんとか、畑野の想い人本人に合わせて欲しいと頼んだが、最後には塩をまかれて追い出されたのだと言う。
「…こんな、辱めを受けたのは初めてです…まるで…物乞いを追い返すような口調で罵られて…」
中條と山野は黙り込んだ。…畑野の想い人の親は、新選組との関わりを恐れたのかも知れないと悟ったからである。
もしかすると、畑野とその想い人は、親に隠れて逢瀬を続けていたのかも知れなかった。
…どちらにしても、想い人本人に会えなければ、本当のことはわからない。
木田を始め、中條、山野も何も言わず、ただうなだれていた。
……
それから、十日が過ぎた。
沖田は、今日も組んだ手を頭の下にして、寝ていた。
「…畑野君…成仏できるかなぁ…」
沖田は思わず呟いた。
畑野の想い人に聞かなければわからないが、あまりにも畑野の死が無意味に思えてならないのである。
しかしそれは、これまで死んだ隊士たちにも、思ったことだった。
(…私が、選ばなければ…)
何度、そう思ったことだろう。
入隊試験の時、畑野の相手をしたのは沖田だった。
その畑野の剣の腕は、土方や近藤も目を見張ったほどであった。
だから、沖田が何も言わなくても、新選組に入ったかもしれない。
しかしその畑野が、まさか浪人に腕を斬りおとされて死ぬとは…。
…誰も考えなかったことだった。
ふすまの外から、遠慮がちな声がした。
山野の声だった。
「…先生…今、よろしいでしょうか?」
沖田は半身を上げて「どうぞ」と答えた。
すると、ふすまが開き、山野とその後ろに、中條、木田が頭を下げている姿が見えた。
「…三人揃って…どうしたんだい?」
沖田はそう言って体をおこしたが、畑野の話であることはわかっていた。
先頭に座っている山野が頭を上げた。
「…ご両親が畑野さんのお骨を引き取って行かれました。」
「…そう…それはよかった…」
死んだ隊士の中には、親でさえ迎えに来ないものもいる。 畑野も心配したが、ちゃんと親が来てくれたと知り、沖田はほっとした。
「…畑野さんの想い人さんからは…まだ何も?」
山野が沈鬱な表情でうなずいた。中條と木田は下を向いて座っている。
「…辛いけれど…想い人さんの立場を考えてあげるしかないですね…。」
三人は、ただうなだれている。死んでも、好いた人に線香もあげてもらえないのは、あまりに哀しいことだった。
……
数日後-
木田は土蔵前に座り、ぼんやり空を見上げていた。
そこへ中條がゆっくりと近づいてきた。
「…中條さん…」
木田はそう言って立ち上がろうとした。中條は「そのままで」と言い、土蔵の中に誰もいないことを確認してから、隣に座った。
この土蔵は、ほとんどが処刑前の隊士が監禁されるために、使われるところなのである。
「どうしてこんなところに…」
中條がそう言うと、木田は苦笑しながら言った。
「僕と畑野さんは、よくここでいろんな話をしたんです。」
「そうですか…思い出の場所なんですね。」
木田はうなずいた。
「さすがに土蔵に誰かがいる時は、遠慮しましたが…。…でも、よく二人でここへ待ち合わせては、お互いの将来の話をしました…」
中條は胸が痛んだ。…畑野の描いた将来とはどんなものだったのだろう…。
木田が口を開いた。
「…最初は、この世の中の悪いところは何か…なんて、えらそうな話をしたものでしたが、畑野さんに好きな人が出来てからは、その人の話ばかりになってきて…」
「……。」
木田には、まだ好きな人がいないらしい。それだけに、辛かっただろうと思う。
「僕には、畑野さんが浮わついているように見えました。…「人を好きになることは別に悪くはないけれど、その人のことばかりを思うのはどうかと思う…」なんて、よく言ったものです。でも、畑野さんには馬の耳に念仏だったようです。」
木田はそう言って苦笑した。
中條も苦笑した。畑野の気持ちもわかるからである。
「畑野さんが死んだ今…、もっと、その畑野さんに好きなことをさせてあげたかったなぁ…って思うんです。…こんなに早く死んでしまうことがわかっていたなら…」
「…そうですね…」
中條はため息をついた。
木田は急に明るい口調で言った。
「畑野さんは、いつ祝言を挙げるのがいいのか…とか…そんな話をよくしていました。本気だったんです、その人とのこと…。それなのに…向こうは…」
「木田さん…」
木田は涙を流している姿を見て、中條は木田がいかに優しい人間かを悟らずにはいられなかった。
それだけに、木田が新選組にいることが、残酷な気がした。
……
翌日-
沖田は巡察前の準備をしていた。着替えを済ませ、刀の具合を見ていると、ばたばたとあわただしい足音がふすまの外から聞こえた。
「先生!沖田先生!」
中條の声である。沖田は刀を納めながら「入りなさい」と落ち着いた声で言った。
ふすまが開き、息をはずませながら、立ったまま頭を下げている中條と山野の姿が見えた。
「どうしました?出動ですか?」
沖田は少しげんなりとしながら答えた。
「…木田さんが…脱走しました…」
「!!…なんだって!?」
沖田の顔から血が引いた。
そして、何かを言おうとしたが、ふと声を落としていった。
「…入って、ふすまを閉めなさい。」
中條と山野は不思議そうな表情をしたが、沖田は険しい表情で「早く!」と声をひそめたまま命じた。
その沖田の普通でない様子に、中條と山野はあわてて中に入り、ふすまをしめた。
「このことを、土方さんは?」
「…たぶん、それはまだ…。今、近藤先生と一緒に外へ出られているとのことで…」
「木田君は三番隊だったね。」
「はい…。」
「山野君、斎藤さんを呼んで。」
山野は意を決した様子で返事をすると、部屋を出て行った。
「…土方さんが帰ってくる前に、木田君を見つけなければ。」
「先生…」
中條は目を見張って沖田を見た。
「…畑野君の死で、何もかもが嫌になっただけだと思うんです。…なんとか思いなおさせて、彼の命を救わなければ。」
沖田は中條に厳しい表情で言った。自分にも言い聞かせているような口調だった。
……
斎藤が三番隊を率い、巡察に出ようとしていた。
その時、山野が走りこんできたのを見て、斎藤は隊士達に手をかざし、動きを止めた。
「…どうした?」
山野は頭を下げてから、斎藤に耳打ちした。
それを聞いた斎藤は眉を寄せた。
「…木田はちゃんといる。」
「!!…でも…!」
「うるさいっ!いるったらいるんだ!」
山野は驚いて、三番隊の隊士達を見渡した。…が、その中に木田の姿はなかった。
困惑した表情の山野に、斎藤は面倒臭そうに言った。
「沖田に言え。…「尋ね人」の捜索を頼まれて困っているから、そっちからも何人か出せってな。」
「!!…」
山野はすべてを悟り「はい!」と答えた。
斎藤は「頼んだぞ」と山野に言い残して、三番隊を率いて、屯所を出て行った。
山野は、急いで沖田の元へと走った。
……
沖田は山野から斎藤の言ったことを聞いて、苦笑した。
「斎藤さんらしいですね…」
そう呟いた後、山野と中條に言った。
「二人は、「尋ね人」の捜索にあたっていただきます。…「その人」の行きそうなところを探してください。」
中條と山野は、厳しい表情のまま「はい」と返事をした。
「今日、一番隊が巡察する道はわかっていますね?…「その人」が見つかったら、少しでも早く報告してください。」
二人は沖田のその言葉にうなずくと、いてもたってもいられない様子で、部屋を出て行った。
沖田も、その後すぐに立ち上がった。
(…木田君…どうか思い直してください。…斎藤さんの厚意を無駄にしないで…)
沖田は心の中で、木田に訴えていた。
……
山野と中條は、お互い分かれて、木田を探していた。
山野は、壬生寺の方向、中條は清水寺の方向へ。どちらも、木田がよく行った場所だったのである。
山野は、まず壬生寺の近くにある八木邸へ足を運んだ。
八木邸は新選組が結成されたころ、屯所代わりに使われていた所である。 木田は最近入った隊士だったが、先輩隊士に連れられて、よく畑野と遊びに行っていたことを聞いていた。
八木邸の主人はとても気のいい人物で、屯所が移った後、新選組隊士達が大勢で来ても嫌な顔をせず、彼らの話し相手をよくしてくれたのだった。
山野が行くと、八木邸の主人は嬉しそうな顔をした。
「山野はん。お久しぶりどすなぁ。お元気どしたか?」
その主人の顔を見て、山野は木田が来ていないことを察した。
しかし一応聞いてみると、やはり「今日は来てまへんなぁ。」と首を傾げた。
山野は、八木主人への気安さから、つい「脱走したかも知れない」ことを告げた。
「ええっ!?あの木田はんがどすか!?」
八木主人の顔から、色が失せた。
「申し訳ありませんが、木田さんがここへ来たら、すぐに屯所へ戻るように言って欲しいのです。今日中に戻れば、なんとか局中法度に触れずに済むと言ってやってください。このまま帰らなければ、斎藤先生にも、沖田先生にも迷惑をかけることになると。」
「心得ました。任せておくれやす。」
八木主人はうなずいて言った。山野は何か安心感を覚え、礼を言って外へ出た。
そして、そのまま壬生寺へと向かった。
……
壬生寺はひっそりとしていた。
子どももいない。
山野は何か懐かしさにつられ、ゆっくり本堂へと歩いていった。
その時、本堂の中で手を合わせている男の姿を見た。刀を差している。
「!!木田さんっ!!」
山野は思わず叫んで、走り寄った。
手を合わせていた男が、驚いたように振り返った。
「!!山野さん…!!」
木田は思わず本堂から走り降り、すぐに刀を抜いた。自分を捕まえに来たのだと思ったのだろう。頬が紅潮し、ぎりぎりと歯軋りしている。
山野は、条件反射でつい刀に手を当てたが、はっとして抜かずに止めた。
「木田さん…今なら、脱走とは知られません。どうか私と一緒に屯所へ戻ってください!」
「嫌だ!!」
「木田さんっ!!」
木田は刀を構えたまま、ぽろぽろと涙を流した。
「新選組ってなんです!?幕府を守り、京を守る英雄じゃなかったんですかっ!?なんのために僕たちは…京の町を守っているんですかっ!?…死んでも…好いた人すら悲しんでくれないなんて…どんなにがんばっても…誰も認めてくれないなんて…そんなの生きている意味がないじゃありませんか!!畑野さんだって…なんのために死んだんですっ!?何のために生きてきたんですかっ!」
「…木田さん…」
山野は何も言い返せなかった。
木田は歯をくいしばったまま、刀を構え、山野を睨みつけている。
山野は木田を牽制しながらも、刀を抜かぬまま立ちつくしていた。
木田はじっと刀を構えたままである。頬に流れる涙が、ぽとりぽとりと地面に落ちていた。
「木田はん!!やめておくれやす!!」
山野が驚いて振り返った。木田もその声に思わず向いた。
八木主人が必死の形相で走り寄ってきている。
「…ご主人…」
木田は思わず、刀を握る手を緩めた。
八木主人は、はぁはぁと息をつきながら、木田の前へ立った。
「…木田はんのおっしゃることはわかります。気持ちもよおわかります。…でも、木田はんは…英雄になりとうて、新選組に入ったんどすか?」
「!!」
木田はその場に固まった。山野も驚いた表情で、八木主人を見ていた。
「うちに来て、よぉ話してはりましたなぁ。これから、どうすれば世の中が落ち着くのか。どうすれば、皆が平和に暮らせるようになるのか…て。…私は木田はんの言葉、おぼえてます。「とにかく今は、京を守り抜くことが先決」やて言うてはりました。「英雄になりたい」なんて、ひとことも言うてはりませんでした。…今もそうどすやろ?」
「…ご主人…」
木田は一層涙をこぼして、刀を持った手をだらりとおろした。
山野は身動きもせず、じっと木田を見ていた。八木主人は続けた。
「なぁ…木田はん…このまま屯所へ帰っておくれやす。…山野はんがな、このまま帰らんかったら、斎藤はんや沖田はんにまで迷惑をかけるて、言うてはりましたで。」
木田が驚いた目で山野を見た。山野はうなずいて言った。
「斎藤先生も沖田先生も、木田さんが脱走したことを、知らぬ振りで巡察に出ておられます。…隊の人達も皆、同じようにしてくれています。…今なら、脱走したことを局長にも副長にも知られずにすみます。…どうか、私と一緒に戻ってください。」
木田はじっと唇をかんだまま黙っていた。
八木主人は祈るような目で、じっと木田を見つめていた。
やがて、木田はそのまま刀を落とした。そして、その場に座り込んでしまった。
「!!」
「木田はん!!」
二人は思わず木田に駆け寄った。
木田は顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。そして「ごめんなさい」と何度も謝った。
山野が木田に諭すように言った。
「…木田さん…今はまだ、京の人達はわかってくれないかもしれない…でも、中には八木さんのような人もいるし、隊の仲間達もいます。そして、いつかきっと新選組が、英雄まではいかなくても、認めてもらえる時が来ます。…それを信じましょうよ。」
木田はうなずいた。何度もうなずいた。
……
山野と木田は、八木主人に礼を言い、屯所への道を歩き始めた。
二人きりになって、何かお互いに気恥ずかしさを感じ始め、ただ黙って歩いている。
その時、前から中條が走ってくる姿が見えた。中條は木田の姿を見て、ふと立ち止まりかけた。が、やがて嬉しそうな表情になり、再び走ってきた。
「木田さ―んっ!!山野さ―ん!!もうすぐ一番隊と三番隊が合流します!!戻ってきてくださ―い!!」
山野は「わかりました!!」と答え、木田に振り返り「走ろう」と目で伝えた。
木田は恥ずかしそうにうなずき、山野について走り出した。
中條は、木田達が近づいてきたのを見て「ほら、木田さん!!」と言い、何かを放りなげた。
木田は思わず、それを受け取り立ち止まった。そして、丸まっているその受け取ったものをゆっくりと開いた。
隊服であった。投げられた時はよくわからなかった浅葱色が木田の目に飛び込んできた時、再び涙があふれ出た。
「木田さん…着て」
前の方で立ち止まっている山野が微笑みながら言った。
木田はうなずいて、さっと隊服に手を通し、紐を組んで首の後ろへと回した。
木田が新選組隊士に戻った瞬間だった。
「二人とも早くーっ!!皆、帰っちゃいますよーーっ!!」
中條の呑気な声に二人は顔を見合わせて笑い、走り出した。
……
先頭を歩いていた沖田と斎藤は、隊の後ろが騒がしくなってことに気づいた。
二人は同時に振り向き、木田が戻ってきたことを知った。
木田が斎藤のところまで駆け寄ったが、斎藤は「来なくていい!」と怒鳴った。
木田は驚いて最後尾に戻った。何かしゅんとしている。
「…全く…あの生真面目の馬鹿が…」
そうつぶやいた斎藤に、沖田が笑って言った。
「ひどい言い方ですね。…でも、帰ってきてよかったじゃないですか。」
「あいつには「遊び」というものを教えなきゃならんな。」
「ほどほどにしてあげて下さいよ。」
沖田が苦笑しながらそう言うと、斎藤も苦笑して、ふんと鼻で笑った。
……
一番隊と三番隊が屯所へ戻ると、二番隊組長の永倉が、玄関先に立っていた。
「よお、おかえり。お疲れさん。」
そう言いながら、くいっと、あごで後ろを指した。
近藤と土方が戻ったところらしい。
沖田は「大丈夫だ」というように、永倉にうなずいてみせた。当の斎藤は答える風も見せず、面倒臭そうに隊服を脱ぐと「風呂はまだか―?」と言いながら、部屋へ入っていった。
永倉は苦笑して、沖田に肩をすくめて見せると、安心したように部屋へ戻っていった。
最近、脱走や士道不覚悟で切腹や断首が続いていたので、沖田を始め、永倉、そしてたぶん斎藤も嫌気がさしていたのだった。
沖田が部屋へ戻ろうとしたところへ、木田が後を追ってきた。沖田はそんな木田に振り返り、黙って首を振った。
「…沖田先生…あの…」
「今日は何事もなくてよかった。斎藤さんもそう言っていましたよ。」
沖田は木田の言葉を遮ってそう言い、にこりと微笑んだ。そして背を向けて部屋へ戻っていった。
木田は黙って頭を下げた。その後ろに山野と中條がほっとした表情をして立っている。…何事もなくてよかった。…その沖田の言葉は、三人の胸に温かく響いていた。