濡れ衣
このところ、新選組と討幕派浪人達との小競り合いが増えていた。その日も一番隊の巡察中に、討幕派浪人達が襲いかかってきた。それも中條と年が同じくらいの若い浪士達だった。
しかし沖田に鍛え上げられている一番隊にかなうはずもなく、皆ばたばたと倒れていく。
やがて剣の重なる音がなくなり、うめき声だけとなった。
「よし…息があるものを担いで、奉行所までつれていくんだ。」
沖田が言った。
中條はうめいている浪人の一人を肩に担いだ。若い浪人だった。
「…大丈夫ですか?」
「…うるせえや…」
浪人は顔をいがめながら、そう答えた。中條が微笑みながら言った。
「…好いている人がいるでしょうに…その人を悲しませちゃいけませんよ。」
浪人は驚いて中條の顔を見た。
「…自分の思想を貫こうと言うのなら、もっと他に方法があるでしょう。…命を捨てて新選組を倒したところで、何も変わりはしません。」
「……」
中條は浪人を支えなおして歩き出した。浪人は素直に中條に従った。そしておもむろに言った。
「おめえ…新選組なんて似合わねえぜ。」
中條は驚いた表情で浪人を見たが、やがて微笑んだ。
「…ご忠告、ありがとうございます。」
二人は笑いながら歩いた。
……
翌非番の日、中條は清水寺に向かっていた。休みの日も、体がなまらないように歩くようにしていた。どちらにしても一人で歩き回ることしかすることがなかったのである。
ふと清水寺近くの茶屋の台に座っている男を見た。新選組の人間だった。
「あれ?狩野伍長さんだ。こんなところで会うなんて…」
三番隊の伍長、狩野正平だった。中條が茶屋に近づこうとした時、狩野に背中あわせで座っていた男が、そっと狩野の腰元に何かを滑らせた。狩野はさっとそれを取り、袂にさし入れた。中條はぎくりとした。
「!?」
ふと近づくのをやめて見つめていると、狩野が立ち上がって、こちらに向かって歩いてきた。そして中條に気づいた。
「!?…」
狩野は中條の様子に気づき、あわてて踵を返して逆方向に足早に去ってしまった。
「…お金の包みのようだったな…」
中條は思わず呟いた。
……
翌日、中條は狩野に川辺へ呼び出された。狩野は何かおどおどした様子で、中條に昨日何を見たか尋ねた。
「狩野さんが、何かの小さな包みを受け取った所を見ただけです。」
中條ははっきりと答えた。
「何かって、わかってるんだろう?」
「…お金ですね。…相手は討幕派ですか」
狩野の手元でこいくちを切る音がした。中條はそれに気づくが身じろぎもしなかった。
次の瞬間、狩野が刀を振り上げ斬りかかってきたが、中條はすばやい動きでそれをかわした。
「抜け!」
狩野が言った。
「……」
「何故抜かない!」
「…斬りあったところで、何もならないですから。」
その中條の言葉に、狩野は刀を上段に構えたまま固まった。その手がぶるぶると震えだし、やがて、地面にへたり込んだ。
「中條君頼む!昨日のことは誰にも言わないでくれ!」
「……」
「…もうすぐ私の妻には子供ができるんだ!死ぬわけにはいかないんだ!」
中條は驚いて言葉を失った。
「金をやる!だから黙っていてくれ!」
中條はその狩野の言葉に首を振った。
「お金なんていりませんよ。それよりも、もう討幕派からお金をもらうようなことはやめて欲しいのです。」
「!?」
「…もう二度としないとおっしゃるのなら、誰にも言いません。」
狩野の顔に赤みがさした。
「…わかった…約束する…」
中條はその言葉を聞くと、黙って踵を返し去っていった。
狩野はほーっと大きくため息をついた。
……
中條はその足で京の町中へでた。
(子供か…僕にもそんな日が来るのかなぁ…)
そう思いながら中條が歩いていると、突然はっとして立ち止まった。
「…あの人…あの時の浪人だ…」
浪人の方も中條に気づいた。そして、笑って近づいてきた。中條は頭を下げた。
「やぁ、先日はどうも。」
浪人が人懐こい顔をして中條に話しかけてきた。中條も微笑んだ。
「こちらこそ。…牢から出てこられたのですね。」
浪人は頭を掻いた。
「あれは、金をもらってやったことなんだ。元々俺には思想も何もなかった。」
中條はそれを聞いて、何かほっとした。
「そうでしたか。」
「金のためでも、ああいうのはやめにするよ。今は用心棒の口を探しているんだ。」
中條が笑った。
「そっちの方が、堅そうですね。」
「…まあな。」
浪人も笑った。その時、浪人の目がふと中條の後ろで釘付けになった。中條が振りかえってみると、女性がこちらを向いて立っていた。
浪人が顔を赤くして「…じゃぁ、ちょっと用があるんで。」と言った。中條ははっとして「ああ…ではこれで。」と言った。浪人はうれしそうに女性の傍に走りよった。女性が中條に頭を下げ、中條も返礼した。浪人と女性は楽しそうに人ごみの中に去っていった。
中條は、微笑んで見送った。
(あの時…あの人が死ななくてよかった…)
そう思った。
その中條の姿をじっと見つめている男がいた。監察の新人隊士だった。
……
「中條君が情報を漏らしている?」
沖田は、監察の新人隊士からそれを聞いて驚いていた。今、山崎と島田は他の役目で大坂へ行ってしまっていた。新人隊士は頬を紅潮させて、興奮気味に言った。
「ええ。最近、土方さんや幹部の人間がつけねらわれて、襲われる事件が頻発していまして。沖田先生も何度かありましたでしょう?」
沖田は苦笑した。この新人が山崎と島田がいない間に、何か手柄を立てたいのだということが見え見えだったのだ。
「ええ…でも、いつものことですよ。あんなの。」
沖田がそう言うと、新人隊士はむっとしたように言った。。
「いえ、それが私が仕入れた情報によると、新選組の中に情報を流している人物がいるそうなんです。」
「…それが中條君なんですか?証拠は?」
「最近、中條さんは独りで出歩くことが多くなっているんで、昨日つけていたんです。そしたら、前に一番隊を襲った浪人団の一人と談笑していたんです。」
「…それだけのことで、疑うというのも…。」
「それだけじゃありません。」
新人隊士は自信ありげである。
「三番隊の狩野伍長から中條さんがあやしいんじゃないかと話がありまして…」
「狩野さんが?」
「狩野伍長は、中條さんが最近、討幕派がよく集まる料亭に出入りしているのを見たと…」
沖田は新人隊士の言葉をさえぎった。
「信じられないですね…話だけでは。まさか土方さんには報告していないでしょうね。」
新人隊士はぎくりとした表情をした。沖田は、その新人の表情をよんだ。
「…言ったんですか!?」
「え、ええ。で、土方副長から、中條さんを監禁することを沖田さんに報告せよと言われまして。」
「監禁!?」
沖田の顔から、生気が失せた。
……
「土方さん、ひどいですよ!あんな情報だけで、彼を監禁するだなんて!」
沖田が土方につっかかっていた。土方はいつものように、平然とした表情をしている。
「念のためだ。ちゃんと中條が間者でないという証拠さえ出れば、すぐに出してやる。」
「彼は間者ではありません!」
「自分の組子を信じることも必要だが、はっきりしたことがわからない限りはこうするしかない。それに、本人がはっきり否定せんのだ。」
沖田は驚いた。
「!?中條君が?」
「「覚悟はできています」と、それだけしか言わん。」
沖田は黙りこんだ。中條が何かを隠しているには違いないと思った。しかし、本人にそれを尋ねたところで答えないだろうこともわかっていた。
沖田は黙って土方の部屋を出た。何か策を講じるしかないと思っていた。
……
土蔵の中に監禁されている中條は、じっと断首の日が決まるのを待っていた。いくら自分が弁解したところで、疑いが晴れることはないと思っていたのである。
『…もうすぐ私の妻には子供ができるんだ!死ぬわけにはいかないんだ!』
狩野の言葉が思い出された。
(あの人には、守るべき家族がある…。そして僕には…何も…)
中條は正座をしたまま、土蔵の扉にある小窓から外を見上げた。今度ここを出る時は、死ぬ時なのだな、と思った。
……
時が流れていくが、中條の疑いが晴れるようなものはでてこなかった。土方は、沖田に明日朝、中條の断首を遂行するよう言った。
沖田は黙って部屋に戻った。しばらくして山野が走りこんできた。
沖田が山野に座るように言った。山野は頬を紅潮させて従った。
「中條さんは何かを隠しているんです!あの人が情報を漏らすなんてことするわけがない!…先生だって、わかっておられるはずです!」
沖田は黙って、山野を見つめていた。
「…どうか、副長に断首の日を延ばすようにお願いしてください!…できるだけ早く証拠を掴みます。」
「どうやって?」
「……」
「監察があれだけ動いても、見つけられなかったんですよ。どうやって中條君の潔白を証明しようというのです?」
山野は沖田の冷静な態度が許せなかった。
「どうして先生までそんな風におっしゃるのですか!?」
「……」
「…先生まで中條さんを見捨てるのですか!?」
「……」
山野はそれ以上何も言わずにたちあがり、部屋を出ていった。
沖田は大きくため息をついた。
……
山野は重い足取りで、中條の監禁されている土蔵に近づいた。
「…中條さん…」
呼びかけると、中から明るい中條の声が返ってきた。
「山野さん。…断首の日は決まりましたか?」
「…ええ決まりました。」
「いつです?」
「…明日の朝に…」
「…わかりました。なんだかはっきりしてほっとしました。」
山野は、土蔵に背を向けて座った。
「ねぇ…中條さん、どうして何もおっしゃらないのです?」
「……」
「本当に…あなたが、情報を流したのですか?」
「……」
「未だに信じられないのです…あなたはそんなことをなさる人じゃない…」
「…山野さん…」
「…でも…もう断首が決まってしまった以上…どうしようもない…。」
山野はやりきれない思いに唇を噛んだ。
……
翌早朝-
沖田は狩野の家の前にいた。やがて狩野が現れた。狩野は沖田の姿を見て驚いていた。
「…沖田殿…」
沖田がにっこりと微笑んだ。
「…ちょっと散歩をしていたんですよ。一緒に屯所へもどりましょう。」
狩野は少しとまどった表情を見せたが「ええ…いいですよ。」と言って、沖田と肩を並べて歩いた。
しばらくして、沖田が口を開いた。
「…中條君のことですが…」
狩野はぎくりとした。
「…彼の断首は見送られました。」
「!?…な、何故!?」
「疑わしき人物が他にもいましてね…証拠が固まりましたよ。」
沖田はそう言って立ち止まり、じっと狩野の顔を見つめた。何か思わせぶりな目つきであった。
狩野は一緒に立ち止まって、必死に冷静を保とうとした。
「…それは私だと…?」
そう言って微笑もうとするが、何か頬の筋が引きつっている。沖田は尚も黙りこんで、狩野を見つめていた。
「…中條君が言ったんですか…」
思わず狩野は、そんな言葉を発した。沖田は表情もかえずに、狩野をみつめている。
狩野は観念して、苦々しい笑みを浮かべた。
「…人間とは意思が弱いのだな…口止めしただけでは…駄目だったか…」
「誰があなたを疑っているといいましたか?」
その沖田の言葉に、狩野がはっとした表情をした。
「…意志が弱いのはあなたでしたね。」
沖田がそう言ってにやりとした。狩野の唇がぶるぶるとふるえだした。その時、前方の木陰から山崎が現れた。昨夕、島田と大坂から帰ってきたところであった。そして沖田から話を聞いて、その夜のうちに狩野の身辺を探ったのである。しかし決定的な証拠となるものは出てこなかった。
沖田が狩野を見つめたまま、山崎に言った。
「聞きましたね。山崎さん。」
山崎がうなずいた。
「ええ、はっきりと。」
狩野は刀を抜こうとした。しかし、いち早く沖田が刀を振りおろしていた。
狩野は刀を抜けぬまま倒れ、息絶えた。
沖田は刀を一振りし、鞘に収めた。
沖田と山崎は、動かなくなった狩野に背を向けて立ち去った。
……
中條は、小窓から日が差しているのに気づいて「そろそろ時間だな」とつぶやいた。
やがて、あわただしい足音が聞こえ土蔵の扉が開かれた。中條は覚悟を決めて立ち上がった。
しかし、その中條の目にうつったのは、山野と一番隊士達のうれしそうな顔だった。
「…中條さん!…あなたの疑いが晴れましたよ!」
「え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「…沖田先生が、狩野さんを斬ったんです!」
「…狩野さんを…斬った…?」
中條は愕然とした。
……
中條はそのまま開放され、沖田の部屋に行くように言われた。
沖田がにこにことして、中條を出迎えた。
「…中條君。あなたのしたことは本当は罪に値するものです。情報を流していた狩野さんをかばって死のうだなんて…」
沖田には何もかもが見透かされていたようである。中條は黙りこんだ。
「情に流されてはなりません。…狩野さんは、あなたに罪をなすりつけようとしていたんですよ。」
それをはじめて知った中條は思わず顔を上げた。
「…なんとか今回は土方さんを説得することができましたが、もう二度と同じことはしないでください。」
中條は沖田に深深と頭を下げた。
「…申し訳ありませんでした。」
沖田はにっこりと微笑んだ。
「あやまるなら、山野君や一番隊の皆に。皆、あなたの潔白を信じていましたからね。ああ、それから原田さんなんかひどいことを言っていたなぁ。「あいつがそんな器用なことができるわけはない」ってね。」
中條が苦笑した。その通りだと思った。
……
中條は久しぶりに川辺を歩いていた。
頭の中は自分が助かったことではなく、狩野の妻のことだった。
(…奥さんはどうしたのだろう?お腹の中の子供はどうなるのかな…)
中條は立ち止まって空を見上げた。
「…僕って、人を信じすぎるのかなぁ…」
そう呟いた。その時、浪人に言われた言葉を思い出した。
『おめえ…新選組なんて似合わねえぜ』
「そうかもしれないな…。」
中條は独り笑った。