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正義の果て

中條ちゅうじょう英次郎は、夕暮れの町を足早に歩いていた。

門限が近い。一般隊士は暮六つの門限に遅れれば切腹である。

中條は近道を選び、民家のひしめく辻へ入って行った。

…やがて、はたと立ち止まった。何か殺気が漂っている。殺気は背後から感じた。振り返ると、民家の軒下にいくつかの黒い影がうごめいていた。


「…私に用でしょうか?」


中條はそっと刀に触れながら、その影に向かって尋ねた。


「…新選組の沖田総司か…?」

「は?」

「沖田総司かと聞いている。」


中條は笑った。


「沖田先生は、もっといい男です。」


殺気が薄らいだのを中條は感じた。


「…先生と呼ぶところを見ると…おぬし、新選組だな?」

「ええ、そうですが。」

「…この際…新選組なら誰でもいい…血祭りにあげてやる!」


再び殺気が充満し、それぞれの影が刀をすらりと抜いた。


「一人に対して、大掛かりですね。」

「うるさいっ!」


一つの影が動いた。中條はすばやくこいくちをきり、抜き打ちにその影を斬った。どおっと音を立てて影が落ちる。中條は刀を振り上げたまま言った。


「見くびらないで下さい。沖田先生に間違われたとなれば、簡単にやられたりしませんよ。」


中條は、死ぬわけにはいかない…と思った。いつもなら峰打ちで済ませるところだが、ここで一人でも逃したら、いつか沖田を襲うに違いない。

影を見る限り、敵は五人。全員を斬り倒す自信はなかった。

が、中條は江戸から京へ上がる時に、何度か人を斬った経験がある。その経験が中條の胆を座らせていた。

型を考える間もなく、中條は襲い掛かってくる影を避けては斬った。


(…一人!…)


どおっと倒れる音を耳でとらえながら、数をよんだ。二人、三人と倒れていく。どうも、腕は大したことがないらしい。中條は確実に相手を倒しながらも、腕に痺れを感じはじめていた。刀に脂が回って斬れにくくなっている。


「…四人…!」


その四人目の()(さば)いた首から噴き出した血しぶきが、中條の目に入った。


「!?」


思わず視界を奪われ、うずくまりかけた中條の前方から、五人目の刀が振り下ろされた。斬られると観念したその時、その五人目の男が悲鳴を上げた。


「?」


中條がようやく片目を開くと、その五人目の男が地面に仰向けになって痙攣していた。その倒れた男の先に、刀を鞘に納める見知らぬ浪人の姿があった。


「沖田総司に間違われた割には、ひでえ剣の使い方だな。」


浪人が中條に言った。中條はなんとか両目を開き、立ちあがった。


「おかげで命拾いをしました。」

「新選組のぼうやか」

「はい!中條と申します。」


中條は頭を下げた。


「ちゅうじょう…か」

「お名前をお聞かせ願いますか。」


その男はふと黙ったが、


「…土井…土井鉄蔵だ…」


とぶっきらぼうに言った。中條は土井に近づきながら言った。


「何かお礼がしたいのですが…」

「…そんなもんはいらん。また京のどこかで会えるさ。」


土井という男は、急ぐように背を向け、足早に去って行った。

中條は、ふと足元に転がっている死骸を見渡した。

あの浪人が助けてくれなければ、自分もこの中にいたかと思うとぞっとした。


……


体中、血にまみれた姿で門限に遅れて帰ってきた中條を、土方が呼びつけた。中條は着替える間もなく土方の部屋へ入った。

土方は、中條が沖田と間違われて襲われたことを聞いて顔色を変えたが、


月代さかやきのないおまえを総司と間違えるくらいなら、大したやつらじゃないな。」


と笑った。門限に遅れたことについては赦された。

土方に解放された中條は、まだひんやりと寒さの残る外へでた。そして、井戸端で血に汚れた顔を洗っていると、背中に人の気配を感じた。沖田だった。


「…中條君」


中條はあわてて立ちあがり、濡れた顔のまま沖田に頭を下げた。


「…顔を拭いてください。」


沖田がそう言って手ぬぐいを差し出した。中條は少し躊躇したが「恐れ入ります」と言って、その手ぬぐいを受け取り、顔を拭った。


「…私に間違われたそうですね。…その為にあなたを危険にさらしてしまって、申し訳ない…。」

「とんでもありません!…先生に間違われて光栄です!」


沖田は中條のその言葉に思わず吹き出したが、すぐに真顔になった。


「…怪我はないのですか?目が赤いけど…どうしました?」

「あ、斬った相手の返り血が入ったんです。大丈夫です。」

「…それならいいけれど…。相手は大勢だったそうですね。…もし私だったら…やられていたかもしれないな。」


弱気な沖田の言葉に、中條は首を振った。


「助けてくださった方がいたのです。…その方がいなかったら、やられていました。」

「…そうでしたか…。とにかく怪我もなくてよかった。…あなたには借りが出来ましたね。」

「そんな…」


中條は、沖田が自分のような新人隊士に、礼を言いに来てくれた事がうれしかった。


……


翌日-


土井鉄蔵は、家でぼんやりと天井を見つめながら寝転んでいた。

この土井という男は、武市たけち瑞山(ずいざん)率いる土佐勤王党の一人として、前年まで京を震撼させていた暗殺者だった。しかしその姿はもうなく、今は女の家に居候する素浪人に落ちぶれている。

身につけていたものも必要なもの以外は売り払った。そして、あれだけ人の血を吸った刀も売り、今は安刀を差している。その刀で時々人を脅しては金を奪い、なんとか食べ暮らしていた。一緒に住んでいる女は昨日から家に戻ってこない。

土井は昨夜助けた中條のことを思い出していた。


「ばかなことをしたもんだ。新選組のガキを助けちまった。」


そう、ちっと舌を鳴らして呟いた。


『沖田先生に間違われたとなれば、簡単にやられたりしませんよ。』


若いその新選組隊士の目は鈍い輝きを増し、沖田のために自分の命を捨てようとしていたように見えた。その姿が、主人に心酔していた頃の自分と重なり、思わず中條を助けていた。中條の乱暴な剣の振り方も、武市の道場に飛び込んだ頃の自分と同じだった。

その土井に剣術を教え、暗殺を指示した武市は投獄された。それまで人を斬ることにためらうことがなかった土井も、主人が捕まってから人を斬る気が失せてしまった。

そして不思議なことに、主人が投獄されたと聞いてもなんとも思わなかった。前の土井なら、命を捨ててでも助け出そうとしたかもしれない。主人が、無学で乱暴な剣の使い方をする土井を忌み嫌っていることは、少しずつ感じてはいた。それでも主人についていった。主人を信じていた。

その主人への思いがいつ途切れたのか…土井にもよくわからなかった。


ふいに戸を叩く音がした。女が戻ってきたかと思った土井は、はっと体を起こした。


「土井さん!いらっしゃいますか?」


男の声である。土井はがっくりしながらも、ゆっくりと立ちあがって戸の前に立ち、


「…誰だ?」


と声を低くして尋ねた。


「中條ですよ!ほら、昨夜助けていただいた…」

「!?…中條!?」


土井はしばし呆然とした。(何故、ここがわかったのだろう)と思った。


「早く開けてくださいよ。酒を持ってきたんです。」

「!?…あ、ああ…すまん。今開ける…」


土井は木錠をはずし、戸を開けた。目の前には日の光をさえぎるような、大きな男が立っていた。


(…こいつ…こんなにでかかったのか…)


今になってそう思った。ふと腰元を見ると、武士ともあろうものが刀を差していない。土井はそれを咎めようとしたが、その大男がにこにこと微笑んで「これ、お礼です」と酒瓶を土井に差し出したので、思わず気が緩んでどうでもよくなってしまった。

中條はもう片方の手に持った物を持ち上げ、


「肴にと思って鯛も買ってきたんです。ちょっと、入らせてもらいますよ。」


と言って、土井の横をすり抜けた。


「た、鯛?」


最近ろくなものを食べていない土井は一瞬、耳を疑った。

中條はいつの間にか、かまどの前まであがりこんでいる。


「おい、ちょっと待て!」

「包丁ぐらいはありますよね。」

「おい…」

「先に飲んでいてください。すぐにさばきますよ」


中條はとまどう土井にそう言いながら、たすきがけをしている。

土井は仕方なく、中條の持ってきた酒瓶を持って部屋へ戻り、湯のみを取り出した。

中條は大きな音を立てて、鯛をさばきはじめた。

土井は酒を注いで一口飲んだ。空っぽの胃の中に吸い込まれるように、酒が流れているのがわかる。


「うめえ…」


思わず呟いた。


(しかし、いいのか。…こんなことをしていて…)


今、土佐藩に追われている自分が、新選組の人間とこうして一緒にいる。何かがおかしいはずだった。


(こいつが間抜けなんだ…俺のことを知らずに…)


土井はふと笑って、酒を注いで飲んだ。

しばらくして、中條がさばいた鯛を持って来た。土井はさしだされた箸をひったくるように取り上げると、食らいつくように鯛を食べた。それを酒で飲み下す。


「…こんなうまいもんを食ったのは、久しぶりだ。」

「よかった…お口に合いましたか」


中條がにこにこと笑っている。


「…おぬしも…一緒に飲め」

「いえ、僕はこれから巡察なんですよ。これで失礼します。」

「…そうか…」


土井は「巡察」と聞いてぎくりとした。


「では、これで」


たすきをはずして頭をさげる中條に、土井は生返事をし酒を飲んだ。


「ああ、以蔵さん」


突然そう呼びかけられ、土井は「なんだ」と返事をしてから、やがてはっとした。玄関にいる中條は笑顔を崩さずに言葉を続けた。


「…今日は外へ出ないで下さいね。恩人のあなたと刀を合わせたくないから。…それに、まだ死にたくないし。」

「……」


土井は思わず箸をこぼしていた。中條は頭を下げると戸を閉めた。呆然とする土井の耳に、中條の走り去る下駄の音が響いた。


「…あやつ…知っていて無腰で来たのか…?」


土井はそう呟いてから、独り大声で笑った。

土井鉄蔵……本名、岡田以蔵。つい最近まで「人斬り以蔵」と呼ばれ、恐れられていた人物であった。


……


夕方-


一人外へ出ていた中條は屯所へ帰る道を歩いていた。夕闇がせまっているが、門限には充分間に合う時間のはずである。が、何か気が焦って小走りになっている。

突然女の悲鳴が中條の耳に届いた。中條は悲鳴のした場所へ急いで向かった。

そこには一人の若い女がへたりこんで、がたがたと震えている。


「…大丈夫ですか!?どうしました?」


中條が女にかけより尋ねた。女の顔は夕闇の中で青くなっていた。


「男に刀で脅されて…お金を奪われたんどす…」

「その男はどっちへ行きました?」


女は震える指で、一方を指し示した。


「…追いかけてみます」


そう言って駆け出そうとすると、女が中條にしがみついた。


「あれは…店のお金がすべて入ってるんどす!取りかえしておくれやす!頼んます!」

「できる限りのことはします。」


中條はそう答えて走り出した。

程なく鴨川に出た。下を見ると、包みを持って川原を走って逃げる男の姿が見えた。中條は刀を抜くと堤を走り降り、逃げる男を追いかけた。


「待てっ!止まるんだっ!」


中條が走りながらそう叫ぶと、男は立ち止まって中條に振り返った。


「!?」


中條はその男の顔を見て、息を呑んだ。


「…以蔵さん!」

「中條か」


まるで昔からの知り合いのように、お互い呼びかけている。


「…奪った金を返してください。その代わりに私の財布を持っていくといい。」


中條は刀を鞘に納めると、袂から自分の財布を取りだし、以蔵に向かって投げ渡した。


「大した額は入っていませんが…その包みを返してもらわねば、例えあなたでも番所へ差し出さねばならない。」

「…そうしたらいいじゃないか…」

「……」

「仮にも「人斬り以蔵」と怖れられた男だぞ。生け捕りにしたら、おぬしに報奨金が出るかも知れん。」

「怖れられたのは去年までの話でしょう?…今はもう「人斬り以蔵」じゃない」


中條がそう言うと、以蔵が笑った。


「…ちがいない」


そう言って、奪った分厚い包みを中條の胸元に投げ返してきた。

中條は包みを受け取って、ほっとした。


「これも返す」


以蔵は中條の財布も同じように投げ返してきた。


「!?」


受け取った中條が、驚いた表情で以蔵を見た。


「おめえには酒と魚をご馳走になった。あれで充分だ。」


以蔵はそう言って、背を向けて歩き出した。中條が呼びかけた。


「以蔵さん、一つだけ聞きたいことがあります。」


以蔵はふと立ち止まり、振り返った。


「?なんだ?」

「…僕を新選組の人間と知っていながら、どうして助けたのですか?」


以蔵は苦笑して答えた。


「沖田総司と間違われて必死に刀を振っていたおぬしを見て、昔の俺に似ていると思ってな。思わず体が動いていた。」

「僕が似ている?」

「迷惑だろうな」


中條は苦笑した。以蔵は、流れる川に遠い目を向けた。


「俺は、武市先生に惚れていた。そして信じていた。利用されていただけかもしれん。それでも、己の惚れた主人に仕え、正義と信じる道を歩くだけしかなかった。その頃の自分を思い出したんだ。」


中條は、以蔵と並んで川を見つめながら言った。


「「人斬り以蔵」は、人を殺すことに快感を覚えていただけだと思っていました。」


以蔵がぎろりと中條の顔を見た。中條は悪びれず見返している。先に目をそらしたのは、以蔵の方だった。


「…確かに、あの時は人を斬るのを楽しんでいた。…だが武市先生が捕まり、天誅という大義名分がなくなったとたん、何故だか人を斬る気がなくなってしまった。」

「正義と信じた道が、そうじゃなかったということですか」

「そうは思わん。…今でもあれは正義だったと思っている。しかし、時代が変わってしまった。」

「……」

「新選組だって時代が変わりゃどうなるかわからないさ。正義の道など、最初からないのかもしれん。」


二人は沈黙し、流れる川を見つめていた。


「…じゃぁな。…もう会うことはないだろう。」


以蔵は中條に背を向けゆっくりと歩き出した。


「…何故…?」


以蔵の背に中條が問いかけた。以蔵は立ち止まった。


「俺はもう、この世に長くいられそうにないからな。」

「……」

「ああ、それから…」


以蔵が振り返り、にやりと笑って言った。


「もう家には来ない方がいいぞ。」


中條は笑いながら「わかりました」と答えた。


「今度はあの世にお伺いしますよ。僕もたぶん、そう長くないから…」


その中條の言葉に以蔵はあきれたように笑い、何も言わず立ち去って行った。

中條は以蔵が見えなくなるまで、じっとその背を見送っていた。


……


以蔵は中條と別れた日からまもなく、土佐藩の警吏に捕らえられ、武市と同じ牢獄に入れられた。そして拷問の末、梟刑(きゅうけい)に処された。 中條は、以蔵があっさりと武市が指示した要人暗殺の罪状を自白したことを伝え聞いた。


(…主人を裏切ったのか、それとも裏切られたのか…)


考えるが答えはでない。

中條は以蔵と対峙した川原に行った。ここで以蔵と言葉を交わしたことが、昨日のことのようによみがえる。


『…己の惚れた主人に仕え、正義と信じる道を歩くだけしかなかった』


「人斬り以蔵」は武市がいたからこそ存在した。武市に惚れ、武市を信じ、武市の為に以蔵は人を斬った。

それは、沖田総司に心酔している今の自分に通じるものがあった。以蔵が自分と似ていると言ったのは、このことかと、今になって中條は気づいた。


「…僕も正義と信じる道を歩き続けます。でも…あなたと同じ道は決して歩きませんよ…」


中條がそう呟くと、目の前の岡田以蔵の幻は、ばかにしたような笑みを見せるだけだった。


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