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山野と中條

「とんだ『棒振り坊や』だよ。」


新しい屯所の大部屋で、一人の隊士が回りにいる隊士達に言った。


「入隊試験でさ…沖田先生とやりあったのを見ていたんだが、勢いばっかりで、剣の振り方がめちゃくちゃなんだ。」


傍で話を聞いていた一人の隊士が話に割り込んできた。


「そんな奴が一番隊に入るのか?」

「ああ…えらく沖田先生が気に入ったようだよ。…どういう訳か…」

「…いったい何を考えているんだろうなぁ…先生は」

「副長も首をひねってたさ…」


その時、周囲がとたんに静かになった。

一番隊組長、沖田総司が入ってきたのである。


「…皆さん、くつろいでいるところを申し訳ない。」


新選組一の剣豪と言われた沖田総司は、優しい顔立ちをした男だった。最初は皆、そのみかけに騙され、稽古で痛い目に合っている。


「今日から一番隊に配属になる、中條ちゅうじょう英次郎君です。」


さっき、噂になっていた『棒振り坊や』である。紹介された中條が頭を下げた。背の高さは沖田とほぼ変わらないが、体つきががっしりしていて、沖田よりも一回りくらい大きく見える。


「中條英次郎です。よろしくお願いいたします。」


沖田の手前、隊士達は中條に丁寧に頭を下げたが、皆、どこか冷ややかな目で中條を見ていた。

中條は、もちろん陰で「棒振り坊や」と呼ばれていることなどしらない。

沖田が去った後、中條は自分はどこに座ればいいのか悩んだ。それほど、大部屋はごったがえしていた。

その時、外から一人の隊士が帰ってきた。


「おお、山野…今日もいい人のところへいったのかい?」


一人の隊士が声をかけた。皆がやんやとやじる。山野と呼ばれた隊士は、にこにこして適当に答えている。その時、立ったままの中條に気づいた。


「…?…」


初めて見る顔に山野はしばし沈黙したが、やがて白い歯を見せて、にっこりと笑った。


「…ああ、今日配属になられた方ですね。」


中條はあわてて山野に頭を下げた。山野は丁寧に返礼した。


「山野 八十八やそはちです。同じ一番隊の者です。どうぞよろしく。」

「…中條英次郎です。よろしくお願いします。」

「良かったら、僕の横へどうぞ。ほとんど隙間もないけれど…」


山野はそう言って、自分の場所へ中條を誘った。中條は恐縮しながらも、山野の横へと座った。


「…沖田先生からお聞きしています。僕と同い年だそうですね。」

「…そうなんですか…」


中條は驚いていた。


「困ったことがあったら、何でも言ってください。力になれるかどうかわからないけれど…」


中條が頭を下げた。その二人の姿を、回りの隊士達はやはり、何か冷ややかな目で見ていた。


「ああ、そうだ。今からいっしょに剣の稽古でもしませんか?」


山野が思いついたように言った。


「はぁ…」


中條が自信なげに答えた。山野は中條が「棒振り坊や」と呼ばれていることをしらない。ただ、一度剣を合わせてみたいと思ったのだ。

周囲からくすくすという笑いが漏れた。山野は不思議そうな目で、周囲を見渡したが、中條に向かって言った。


「…どうします?」

「…一緒に…参ります。」


中條が意を決したように答えた。


……


二人は胴だけをつけて、竹刀をかまえていた。

稽古場の端には、何人かの隊士がその二人を外から覗いている。


「棒振り芸が見られるぞ。」


皆、そう囁き合いながら笑っていた。

とうとう二人が竹刀を重ねた。何合か重なり合ううちに、外から失笑が漏れるのが聞こえた。中條を笑っているのである。

中條の動きは、まるで飛び交うはえを振り払っているかのような格好だった。その分無駄な動きが多く、山野から一本も取れない。

しかし山野は、中條と竹刀が重なるたびに「くっ」と堪える様子を見せた。


(…打ちが強すぎる…気を抜くと、竹刀を叩き落されてしまう…)


山野はそう思った。山野はやっとのことで、中條から篭手を取った。


「…これくらいにしましょう…」


山野が、息を切らしながら言った。


「…ありがとうございました…」


中條が頭を下げた。


「こちらこそ」


山野が頭を下げ返した時、外で二人の様子を見ていた一人が「俺にもやらせてくれ」と言って入ってきた。


「山野は遠慮しすぎだ。これが一番隊の実力だと思われては困るからな。」


その隊士は中條に「棒振り坊や」と名づけた男だった。中條はその男に無言で頭を下げた。


「…吉田さん…僕は別に遠慮したわけじゃ…」


吉田という男は笑って、山野の手から竹刀を取った。

そして礼もせずに中條に竹刀を向けると、いきなり1歩を踏み出し威嚇するように竹刀を中條の額に向かって突いた。普通の人間ならば驚いて頭を引くところだが、中條はさっとかわして、いきなり竹刀を持っていない左手で、吉田の胴を突いた。次の瞬間には吉田の体が板間に叩きつけられた。


「!?」


山野をはじめ、その場にいたものが全員驚いた。吉田は背中を強く打ち、うめいている。


「吉田さん!」


山野があわてて吉田に駆け寄った。


「…すいません…突然来たものだから…つい…」


中條があわてて吉田に駆け寄って来て言った。


(…もしかすると私には遠慮していたのかもしれない…)


山野はそう思い、何かぞっとするものを感じた。


……


夜-


山野の隣で何か音がした。

山野は体を中條の方へと向けた。見ると、中條が半身を起こしている。月明かりに浮かんだその顔には脂汗が滲んでいた。


「…中條さん?…どうしました…」


山野が少し体を起こして尋ねた。

するとはっとした表情をした中條が山野に向いた。


「…あ…すいません…」

「いえ…」


山野はにっこり笑ってそう答えると、再び寝床に体を横たえた。

中條も寝るものだと思っていたら、そっと寝床を抜けて、廊下に出て行ってしまった。

山野は体を起こし、中條が行った方を見た。そしてしばらく考えてから、その後を追うことにした。


……


中條は中庭にいた。ぼんやりと月を見上げている。

まだ肌寒いのに、何も肩にかけずにじっとしていた。山野が近づくと、はっとして振りかえった。


「…山野さん…」

「…どうしたのです…?夢でも見ましたか…?」

「…はい…」

「差し支えなければ…教えてもらえますか?」

「…山野さんにお話するほどのものじゃ…」


山野は縁側に座って、月を見上げた。


「…座りませんか?」

「…ええ…」


中條は山野に頭を軽く下げて、山野の隣に座った。


「…新選組に入る前は、何をなさっておられたのですか?」

「…旅篭はたごの…下働きをしていました。」

「へえ…じゃぁ、刀を持ったことがなかったのですか?」

「いえ…」


と言ってから、中條ははっとした表情を山野にみせて口をつぐんだ。


「…ねぇ…中條さん…あなたと出会えたのも何かの縁だと思います。あなたが何故新選組に入られたのかはわからないけれど、入ってしまった以上、もう局を脱することはできません。…つまり、私達はこれから死ぬまでずっと一緒だということです。」


中條は驚いた表情を山野に向けた。山野が微笑んだ。


「…私達はもう同士なんです。お互い、気を遣うのはやめにしませんか?」

「……」

「…あなたは江戸の出だそうですね。どうして江戸から出てこられたのです?」

「…家を追い出されたんです…」

「!?…」

「…僕は飯の準備や、畑を耕したり、弟と妹の面倒を見るのが仕事でした。」

「…何歳の頃から?」

「…物心ついたころには、そうなっていました。」

「……」

「兄には武士になってもらうため、そして姉にはいい武家に嫁へ行ってもらうために、稽古代とかお金がかかったんです。それで、親は二人とも朝早くから夜遅くまで働いていていました…だから僕が家のことをやるしかなかったんです。」

「……」

「…とてもつらかったけど…それでも、頼りにされているのだと思っていました。僕がいなければ、幼い弟や妹の面倒をみる人がいなくなるし…家のことをやる人がいなくなる…って…。でも、ある日突然、親から「どうしてもお金がたまらない。このままじゃ皆飢えてしまうから、出ていってくれ…」と言われて、お金と着替えを持たされた時…自分は頼りにされているどころか、邪魔者だったのだとやっと気づいたんです。弟や妹と別れるのは悲しかったけど…言われるまま、家を出ました。」


山野は何も答えられず、黙って中條の次の言葉を待った。


「…僕が新選組に入ったのは…生きていても仕方がないような気がしたからなんです。」

「!!」

「…江戸から京へ出てくる間、何度も死にかけました。浪人に襲われたり、何日も食べられなかったりして…でも、何故かいつも助かってしまって…結局、1年もかかって、京に出てきてしまったんです。自分で自分の命を絶つ勇気はありませんでした。…いつも誰かに殺されることを待っていた…でも、心のどこかで生きたいと思っているのか…浪人に襲われても、気がついたら相手の命を絶っていたり、飢えで死にかけても、雨に救われたり、誰かに助けられたりして…死ねなかったのです。…京についてから、助けてもらった人の薦めで、旅篭で下働きをするようになっても…それでも死にたいと思っていました。」


(…この人が笑わないのは…こういうことだったのか…)


山野はやっと口を開いた。


「…新選組に入れば死ねると思ったのですね。」

「ええ…それだけではないのですが…」

「他に何が?」

「身分に関係なく、武士にしてくれると聞いて…」

「!!」

「同じ死ぬなら、親がこだわっていた武士で死んだ方がいいかなと思ったんです。ずっと兄の姿を見て憧れていた剣の稽古もしてもらえるし…。」

「…そうだったんですか…」

「…沖田先生には感謝しています。本当だったら…入れなかった。」

「……」


山野にはそれが本当に良かった事なのか、心の中で首を傾げていた。


「…僕は…あなたには死んで欲しくないなぁ…」


山野のその言葉に、中條は驚いた表情で山野を見た。


「…やっと、同い年の人が同士になったのに…剣の扱いだって、乱暴ですが沖田先生に師事してもらえば、いい剣士になると思いますよ。…死のうだなんて考えないで、共に生きて行くことを考えましょうよ。…そのうちに、あなたの命を大事に思ってくれる女性だって現れるはずです。」

「……」


中條が顔を赤くしていた。初めて見せた表情だった。山野にはそれがうれしかった。


……


翌日-


山野が川岸についた時は、中條が戦いの真っ最中だった。山野は刀に手を乗せたが、そこで動きがとまった。

中條の形相が稽古のときとまるで違ったのである。恐ろしいほど、目がつりあがり、まるで阿修羅のようだった。刀の振り方はやはり乱暴なのだが、あまりの殺気に襲いかかる方も及び腰である。刀の重なり会う音が、いつもより大きく響いて聞こえた。一人二人と倒れていく。助けに入る隙がないほどのすさまじさだった。

やがて最後の一人が倒れた。山野が息を切らしている中條に近寄った。


「…山野さん…」

「…私の出る幕がなかった…すまない…」


中條は首を振って刀をさやに納めた。山野が倒れた浪人達を見てはっとした。誰一人として斬られていないのである。全員が気絶していた。


「…峰うち…?」

「はあ…」


これだけの人数を峰うちだけで、気を失わせるにはかなりの力がいる。正直、斬ってしまった方が楽なのである。それを、中條は皆一撃で気絶させていた。倒れている浪人はぴくりと動かない。

中條が頭を掻いた。


「…人を斬るの…嫌だったから…」

「この人たちを逃がしたら切腹ですよ!このままだと皆、目を覚ましてにげてしまいます。」


山野が思わず言った。中條は「そうなんですか?」ときょとんとしている。


「では、襲われたことを内緒にしておいてもらえませんか?」

「いやですよ。共犯は…」


中條が再び頭を掻いた。


「…じゃぁ…仕方がないから…切腹します。」

「いや…そういうわけには…参ったなぁ…」


今度は山野が頭を掻いた。中條が口を開いた。


「…こういうのは、番所へ届けるんですか?」


山野が驚いて答えた。


「届けたら、隊に知れますよ」

「はぁ…どっちにしても同じでしょう…」


山野は、飄々としている中條がおかしくなってきて、笑い出した。

中條はきょとんとした目で山野を見ている。


「…す、すいません…あなたのような人は初めてですよ。」


山野はそう言いながら笑い続けた。


「仕方がない…共犯になりますよ。…さぁ、この人達が気を失っているうちに帰りましょう。」


山野が早足に歩き出した。中條は倒れている浪人達を気にしながら、山野について行った。


「…ほっといていいのかなぁ…風邪を引いたりしたら…」


中條のその言葉に、山野は再び笑い出した。


「…あなたは人が良過ぎます。この人達はあなたの命を狙ったではありませんか。情けは無用ですよ。」

「…はぁ…」


その時、どこかの寺の鐘がなった。


「あああっ!」


山野がいきなり叫んだ。中條が驚いた顔で山野を見た。


「門限に遅れますよっ!走りましょうっ!」

「門限?」


走り出していた山野は慌てて立ち止まって、中條に振り返った。


「遅れたら、それこそ切腹ですよっ!さぁ早くっ!」


中條は「なんでも切腹なんですね」と呟いてから駆け出した。そしてあっという間に全速力で走っている山野を追い越してしまった。


「!?」

「山野さん…何をしてるんです?早くいかなきゃ、切腹なんでしょう?」


中條はかなり走ってから、山野にそう声をかけると、再び前を向いて走り出した。


「…あの大きな体でよくあれだけ早く走れるなぁ…」


山野はとにかく中條の後姿を見失わないように、必死に走った。

…夕闇がせまっている。



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