神隠し
沖田は、堀川の縁に座り、子供達が水遊びをしているのを見ていた。
(…ずっと…このままだったらいいな…)
沖田はそう思っていたのだが、やはりそうもいかないものである。
山野と中條が息せき切って、こちらに走ってくるのが視界の隅に入った。
沖田は、それでも二人を無視するようにして、黙って子供達の無邪気な笑顔を見つめていた。
「沖田先生…!…お休みのところを申し訳ありませんが…。」
その山野が切り出した言葉に、沖田は無表情のまま答えずに、子供達の方を見たままでいる。
「…一番隊に出動の命が下りました。…」
そう言い、自分の傍で片膝をついている山野に、沖田は黙ってうなずくと、ゆっくりと立ち上がった。
そして、子供達に明るい声で言った。
「もう時間だ…。…皆、元気でね。」
子供達はそれぞれ「えーーっ!?」と声をあげつつも、いつものことなので「またね!」という、いくつもの無邪気な声が沖田に帰ってきた。
「うん。またね…。」
沖田はそう答えて、山野と中條に向き、うなずいて歩き出した。
山野と中條にとっても辛い時でもある。
沖田は黙って、足早に歩いていく。
山野と中條は何も言わず、沖田について歩いていた。
子供達から離れてから、沖田が「…どうしました?」と、振り向かずに訊ねた。
「…実は…とてもいい難いことなのですが…」
「…ん…」
「…子どもが一人…行方不明になりまして…。」
「…!…」
沖田は思わず立ち止まったが、再び歩き出した。そして振り向かぬまま訊ねた。
「…誰か偉い人の子どもなのですか?」
「はい。何でも、所司代と縁のある方のお孫さんだとか…」
「孫…?…歳はどれくらい?」
「もうすぐ十になるのだそうです。女の子です。」
沖田の脳裏に、礼庵の養女「みさ」の姿が映った。みさも同じくらいの歳である。
「その子を我々に探し出せというのですか…。」
「はい。」
沖田はため息をついた。
「…難しいな…それは…。…監察も動いているのですか?」
「ええ。…ただ、山崎さんや島田さんは他の仕事があるとかで、安西さんが担当になっているそうです。」
「…なるほど…。」
二人とも逃げたな…と沖田は思った。そもそも人探しなどは、新選組の仕事ではない。
なんらかの事情で、所司代に頼まれたのだろう。
「安西君が動いているなら…中條君。」
中條は初めて顔を上げて「はい」と答えた。
「君は安西君と一緒に行動するように。」
「はい!」
中條が嬉しそうな声で答えた。
「何か掴んだら、すぐに私か、山野君に連絡してください。」
「はい!」
「…しかし…責任が大きくて気が重いな…。最悪の状況も考えておかないと…。」
沖田は、再び大きなため息をついた。
……
沖田と山野が、平服で町中を歩いていた。中條は屯所で安西と打ち合わせで残っている。
土方は沖田に出動を命じていたが、沖田は「大げさに歩き回って子供に危害が及んだらいけないから」と断った。
他の一番隊士も、沖田の命で、皆平服で町中を探っていた。
…が、沖田と山野が、討幕派がよく集まるという、木屋町の旅館の前を通った時である。
前から、二人の一番隊士が小走りに、こちらへ近寄ってきた。
沖田と山野は、思わず不安げに顔を見合わせたが、そのまま隊士達が近づくのを待った。
「先生…今探している女の子と同じ年齢の女の子が何人かいなくなっているようです。」
「!?何!?」
山野も息を呑んだ。
「…どうして、それがわかったのです?」
沖田は、必死に冷静を装うようにして尋ねた。
「我々は壬生の担当なのですが、母親が一人、必死に子供の名を呼んで探し回っているのを目にし、どうしたのかと尋ねてみたんです。そうしたら…娘が昼間遊びにでたきり帰ってこないと。年を聞くと「十」になったばかりの子供だそうです。その後、我々も一緒になって探し回ったのですが…。見つかりません。」
「…礼庵殿のところへは行きましたか?」
「はい。心配だったので参りました。礼庵先生のお嬢様は、今日は家にずっとおられたとのことで、無事を確認しております。」
沖田はふーっと安堵の息をついた。
「それで、その娘さんがいなくなった母親はどうしてる?」
「近くの番所へ行かせたんですが…番所の人間に聞いてみると、十くらいの女の子がいなくなったのは、これで三人目だと言っていました。」
「!!…三人目!?」
隊士はうなずいてから言った。
「それも、ここ最近立て続けだそうです。」
沖田は何も答えずに立ち尽くしている。
……
その日は、結局何の手がかりもなく、一番隊は屯所へ戻った。
同じような年齢の女児が立て続けにいなくなっている…ということ以外は…である。
沖田は、それを土方に報告した。
土方は、眉をしかめた。
「…所司代から頼まれた時は、面倒だな…と思ったが…。ちょっとやっかいだなこれは…」
「はい。…行方不明になった子供たちの身分はばらばらですが、ほぼ同じ年齢の女児…というのが気になります。」
「…新手の人売りだろうか…。女児ということは、遊郭に売り飛ばすのが常道だとも思えるが…。」
「島原ですか?」
「いや、島原は近すぎる。壬生で遊んでいた女の子を、島原なんかで使うような馬鹿はさすがにおらんだろう。」
「……」
沖田は、思わず目を閉じて首を振った。
「…総司…おまえ今、嫌な想像をしたな?」
「……」
「行方不明になった女の子たちが、遠くへ売り飛ばされたのではないか…って。」
沖田は、下向き加減にうなずいた。
「その通りです。考えたくはないのですが…。」
「…しかし…その可能性が一番大きいな。」
「ですが、土方さん…。所司代と縁のある方のお孫さんも、そうだと思いますか?」
土方は腕を組みなおし、うなった。
「…そうだなぁ…。もし、売り飛ばしたとなれば、身分などわからず連れ去ったのではないかな。」
沖田は、ため息をついた。どうしても考えたくなかった。
「となると、のんびりとはしていられんな。総司…おまえの隊はとにかく、京をしらみつぶしに調べるんだ。」
「…はい…ですが…」
「他は監察にやらせる。まずは、監察の誰かを大坂に向かわせるとしよう。」
「大坂へ?」
「遊郭をしらみつぶしに当たらせるんだ。大坂なら、まずは新地だろう。」
「…監察で動いているのは安西君なんですが…」
「…何?…あのガキか?…もっと、女遊びの堪能な奴がいいんだがな。」
沖田は苦笑した。
……
結局、大坂へ発ったのは土方だった。
土方は、さんざん「何故俺が」と文句を言っていたが、
「あの太夫さん、元気かなぁ…土方さんを待ってるんじゃないかなぁ…」
という、沖田の呟きに折れたのだった。
「土方さん、遊びに行くんじゃないですよ。ちゃんと太夫さんに聞いてきてくださいよ。」
「わかってる!!」
土方は沖田に怒ったように答え、馬に乗って小姓と一緒に出て行った。
(…さて、大坂はこれでいいが…。)
沖田は、部屋に戻って文机の前に座り、考えるようにして腕を組んだ。
(…もし、人売りでもなく、他の訳があって女の子をさらっていくとすれば…何があるだろう?)
所司代に縁のある人物の孫…ということにひっかかる。その女児を連れ去った人物は、何も知らないで連れ去ったのか、それとも知っていて連れ去ったのか。知っていたのならば、女児の身柄と引き換えに、金の要求をしてきそうなものだが、それもないという。
そして、他の女児が毎日のように、連れ去られている理由は…?
(…考えたくはないけれど…やはり…人売りか…)
沖田は目を片手で覆った。
昨夜は、よく眠れなかった。さらわれた女児たちが泣き叫んでいる夢を見たのである。
夢の中で、女児たちは口々に「お母さん、お母さん」と、泣き叫んでいた。
(…どうすればいい…どうやって見つけてやればいいんだ!)
沖田は文机に伏せた。
……
一方、中條と監察の安西は、島原中の遊郭を渡り歩いていた。
二人とも、女児たちが遊郭に売られたものと考えていた。
「…ここも、いませんでしたね。」
「まだまだ遊郭はたくさんあります。がんばりましょう!」
「ええ…。」
安西は疲れていたが、中條には全くその様子がなかった。そもそも巡察で鍛えている足である。
巡察など出たことのない安西は、その中條の健脚に感心するばかりであった。
中條はふと立ち止まり「あっ」と言った。
安西は「どうしました?」と中條の顔を見上げた。
「…そう言えば…美輝さんの遊郭がこの辺だったような…」
「…みきさん…って?」
中條はいきなり走り出した。安西は慌てて後を追った。
……
中條は、まだ店が開いていないにも関わらず、表の戸を叩いた。
安西は、ただ立ち尽くしているだけである。
やがて、主人が現れた。当然のように不機嫌な様子である。
「申し訳ありまへん…店はまだ…」
と主人は言いかけたが、中條の顔を見て、はっとした。
「あっ!…新選組のお方どすか!?…な、なんかありましたんかっ!?」
安西はその主人の表情を見て、中條がこの店によく出入りしているのだと思った。
(…中條さんって…奥手に見えて案外…)
何か安西の心に、中條への「幻滅」の意識が芽生えた。
…遊郭の主人は、中條の話を聞いて、首をかしげた。
「最近、子どもを売りに来たことはありまへんなぁ。」
中條は「そうですか」とほっとした表情をした。が、内心複雑な心境である。
「でも、この近くでさらった子どもを、島原に売りに来るような人…いはるやろか。」
主人のその言葉に、中條と安西は「あっ」と言って顔を赤くした。この珍コンビは、全くそのことに疑問を感じていなかったのである。
やがて二人は落ち込んだように下を向いた。
「ま、まぁまぁ…意外にそういうこともあるかもしれまへん。そう肩を落とさずに、念のため回ったらよろしおす。」
「はい…そうします。」
二人は主人に頭を下げて、その場を去ろうとした。
すると遊女の「美輝」が、慌てるようにして姿を現した。三番隊組長である「斎藤」のお気に入りの遊女である。
「いやぁー!中條はんやありまへんの!どないしはりましたん?」
主人が驚いて、美輝を中へ戻そうとした。
「ええやないの、せっかく来てくれてはるのに!」
美輝はそう主人をやり過ごすと、中條のところまで走り寄り、両手を取った。
「中條はん、えらいご無沙汰どすなぁ。…沖田はんお元気どすか?斎藤はんも最近来てくれはらんのどす。」
「おっお二人ともお元気です。美輝さんもお元気そうですね。」
中條は、美輝に手を握られて真っ赤になっている。安西が隣で、不思議そうに中條を見上げていた。
……
遊女美輝は、中條と安西の間ではしゃいでいた。
「こんな嬉しいことないわぁ!男前お二人の間で歩けるやなんてー」
遊女は普段外へ出ることはほとんどないのだが、この美輝だけは、主人の言いつけも聞かずに、外へ出ることが多々ある。
普段着で、ほとんど化粧もしていないので、夜の色っぽい様子とは全く違う。美輝の素顔はどちらかというと、幼さが残る顔立ちをしていた。
「本当に美輝さんいいんですか?ご主人…怒っておられましたよ。」
「ええんどす!いつものことやさかい。」
美輝は楽しそうに笑いながら、歩いている。そもそも、どうして美輝がわざわざ中條と安西についてきたのか、正直、二人にもわかっていない。
「…さて…本題にはいりましょか。」
島原街を出たとたん、美輝が真面目な顔になったので、中條と安西は驚いた。
「…本題って…何のお話ですか?」
「へぇ…。実は…ちょっと私ら遊女の間で、おかしな噂がありましてな。…」
二人は驚いた。
「美輝さん!…何か…知っておられるんですかっ!?」
美輝はしーっと、人差し指を自分の口に当てた。
「うちの店の主人には、決して言わんといておくれやすな。…ちょっと人のいないところってないやろか…。壬生寺はんは…子どもがおるやろし…。」
「そうだ!…前の屯所ではいかがですか?八木さんのところなら大丈夫かと思うんですが…。ご主人も口の固いお人ですし。」
「…うちはかまいまへんけど…。でも、八木さんとこのご主人って、お堅いお人ですやろ…?うちみたいな女…入って怒りはりまへんか?」
「…うちみたいな女って…?…どういう意味ですか?」
中條が。真面目にそう聞き返すので、美輝と安西は驚いた表情で中條を見た。
しばらくして安西が「ふふふ」と笑った。
「…いいなぁ…中條さんのそんなところ。」
「中條はん!!」
美輝が突然、中條に抱きついた。
「!?!?」
「うち、中條はんに惚れそうどすー!!」
中條は固まったまま動けなかったが、とっさに
「あっ!斎藤先生!」
と叫んだ。
「えっ!?」
美輝は突然離れて、きょろきょろとあたりを見渡した。
中條はほーっと、安堵の息をついている。その二人の様子に、安西は思わず大笑いした。
……
八木邸-
八木主人は、中條から事情を聞き、快く部屋を貸してくれた。
「ここは奥まった部屋やさかい、外から声を聞かれることもありまへん。どうぞごゆっくり。」
主人がちゃんと正座をし、両手をついて頭を下げるのを見て、遊女美輝、中條、安西の3人もあわてて頭を下げた。
主人が部屋を出て行った。
美輝は少し目を潤ませている。
「どうしたんですか?美輝さん?」
「…うちが「遊女」やって名乗っても「ようおこしやす」って言ってくれはったのが…なんや…うれしゅうて…。」
中條と安西は微笑んで顔を見合わせた。
美輝は「泣いてる場合やありまへんな。」と言って、袂で目をぬぐってから、話し出した。
遊女たちの間で噂になっている話とは、こういうことである。
最近、十歳そこそこの女児が、何人かあちらこちらの遊郭で買い取られているらしい。
それも一人二人ではない。少なくとも五人以上の女児が、仲買人の男に売られにくるのだという。
「確かにうちも、親に売られた時は十くらいやったけど…。」
そうさらりと言う美輝に、中條と安西はぎくりとした表情になった。
が、美輝は淡々と話を続けた。
「でもな…。うちなんかは親にちゃんと話聞いてたし、ある程度は覚悟決めてきたもんどす。…でも、その女の子らは、なんや雰囲気がおかしいようなんどす…。」
「おかしいって?どんな風に?」
「うちが聞いたところでは、なんや目がどんよりしているいうか。人間としての意識がないというか…。目の焦点がおおてないような、そんな感じどす。…でも「立て」言われるとちゃんと立つし「歩け」言われたら歩くし。…なんや操り人形見たいなんどすて。」
中條と安西は表情を固くしていた。精神的に追い詰められてそうなったのか…あるいは、何かの薬を飲まされているのか。美輝が続けた。
「結局、その遊郭のご主人はなんや気味悪がって、一人も買わんかったそうどす。」
中條は胸を締め付けられる思いで、しばらく言葉がでなかった。
安西もただ黙ってうなだれている。
……
沖田は礼庵と一緒に歩いていた。
中條と安西が島原へ行った…というのを聞いて、壬生に向かっていたところに、往診帰りの礼庵とばったり出くわしたのである。歩きながら沖田は、礼庵に行方不明になった子供達の話を礼庵にした。
「私も、新選組の方がみさのことを心配して来てくださってから、みさに一人で外へ出ないように言いつけてあるんですが…。しかし、もう三人もの女の子がいなくなっているのですか…。」
礼庵は沈鬱な表情で言った。沖田がうなずきながら言った。
「私もこうして、町中を歩くことしかできなくてもどかしいのですが…。中條君が島原に行ったというので、念のために行ってみようかと思って…」
「しかし、どうやって連れ去ったのでしょうね…。子どもならば泣いたり騒いだりするでしょうに…。それを静かに誰にも知られずに連れて行く方法となると…。」
「ええ…。口をふさいで何かに隠していくか…あるいは…子供達が何らかの薬で眠らされているのか…」
礼庵は頭に手を当てて首を振った。
「…考えたくないな。…それがみさだったらと思うと…よけいに…。」
「ええ…。私も同じ気持ちです。」
礼庵は、しばらく思いつめたように黙っていたが、四辻のところで立ち止まり、沖田に言った。
「総司殿…。ちょっとここで待っていてもらえませんか?みさが家にいるのを確認してから、私も島原へ参ります。」
沖田は首を振った。
「だめですよ。あなたは、みさと一緒にいなければ。」
「…!…」
「お気持ちはわかりますが…。…今は…みさと一緒にいて欲しい。」
礼庵は沖田と視線を合わせ、じっと立ち尽くしていたが、やがてうなずいた。沖田はほっとした。
「少しでも早く解決できるよう努力します。」
「ええ…信じています。…では。」
礼庵は沖田に頭を下げ、小走りに走り去って行った。
沖田は、礼庵の背が見えなくなるまで見送ってから、ついと島原に向いて歩き出した。
……
沖田は、遠く前に三人の男女が肩を並べて歩いているのを見た。
その中に一人だけ、背の高い男がいるのを見て、思わず苦笑した。
(あれは中條君だな…。しかし、その横にいる女性は誰だろう?)
沖田は小走りにその男女へ近寄った。
その高下駄の音に、先に振り返ったのは、安西だった。
「!!沖田先生!」
その声に驚いて、中條と美輝が振り返った。
「いやーぁー!!沖田はんっ!!お元気どしたー?」
美輝がそう嬉しそうな声をあげて、沖田に駆け寄った。
「美輝殿でしたか。あなたはお元気そうですね。」
「へぇ!うちはいつでも元気どす!…ねぇ…斎藤はんはお元気どすかぁ?うち、ずっとお会いしてへんのどすぅ…。」
美輝は沖田の両手を取って、そうすねた様子で訊ねた。
「そうでしたか…。斎藤さんに、美輝さんが会いたがっているとお伝えしておきますよ。」
美輝は「たのんます!」と、嬉しそうに言った。
「しかし美輝殿。…どうして、この二人と一緒におられるのですか?…もう館に戻らないとだめではないですか。」
沖田が、不思議そうに尋ねた。美輝はちらと中條達を見てから答えた。
「へぇ。…ちょっとお二人にお話がありましてな。今、済んだところどす。」
「話?」
「あとは、このお二人に聞いておくれやす。じゃぁ、中條はん、安西はん、今日はおおきに!今度は、遊びに来ておくれやすな。」
美輝がそう言って、踵を返したのを見て、中條があわてた。
「美輝さん!館までお送りします!お一人では危ないですよ!」
沖田がその中條の肩に手を乗せた。
「私が送っていこう。…先に屯所へ戻ってください。」
「…はい。」
沖田に何か思惑があることを知った中條は、何もわかっていない安西を、無理やりに連れて行くようにして立ち去っていった。
美輝は驚いた表情で、沖田を見上げている。
「そんな沖田はんに送ってもらうやなんて…うちは、大丈夫やさかい…。」
「いや、お送りしますよ。さぁ行きましょう。」
美輝は、背に沖田の手を添えられたまま歩いた。
……
美輝が館へ戻ると、主人が出てきて、いきなり美輝を怒鳴りつけた。
「何をしとったんやっ!!もう館はあいとるいうのに!!」
沖田は慌てて、主人の前に出た。
「ご主人申し訳ない。私が美輝殿を引き止めていたのです。」
主人も、沖田のことを知っている。驚きのあまり、すぐには言葉がでなかった。
「へっへぇ。そ、そうどしたか。沖田はんが一緒やったやなんて、思いもせんかったんどす。」
「お詫びに今日は、私が一番客になります。部屋を用意してもらえますか?」
「それはおおきに!すぐに用意しますさかい!!」
主人はあわてて館へ入っていった。美輝が驚いて、沖田の背から言った。
「沖田はん!!沖田はんのええ人に知られたらどうするんどす!?お詫びやなんて…そんな…。」
「実は美輝さんにお願いしたいことがあるんです。」
「!?うちに?…」
美輝は、はっとした表情になり、うなずいた。…が、とたんにその表情が変わり色っぽくなった。美輝が仕事に入った瞬間である。
「…沖田はん、殺生やわぁ。…うちをその気にさせて…。まぁ、ええどす。今日はちょっとやそっとじゃ、帰しまへんぇ。」
「それは楽しみだな。…覚悟しましょう。」
沖田が微笑んで答えた。美輝は沖田の手を取り、館へと入っていった。
……
沖田は、美輝の注いだ酒を飲んだ。
美輝は、完全に遊女の姿になっている。さっきの幼い顔とはうって変わって、色気が漂っていた。
「…参ったな。…ここまでやられては、仕事がやりにくい。」
沖田が苦笑しながら言った。
美輝は手の甲を口元に当てて、小さく笑った。
「だって、大層なお金もろたんやもの。主人が精一杯おもてなしせぇ言わはりましてな。そやから精一杯、めかしこんでみたんどす。」
「しかし、あなたがまだ天神にもなっていないとは不思議だな。…太夫になってもおかしくないでしょうに。」
「うちには、太夫はんはできまへん。今のままがずっと気安くて楽なんどす。」
「どうして?…太夫になれば、客を自分で選べるようになるんでしょう?今みたいに客引きなどしなくていいだろうし…」
「太夫はんには、太夫はんなりの苦労があるもんどすえ。それよりも、沖田はん…。」
美輝は沖田の傍ににじりより、沖田の肩に寄りかかった。
美輝の香りが沖田を包む。沖田はその気がないにも関わらず、どきりと心臓が高鳴った。
美輝は沖田の肩に頭をもたげたまま、小声で言った。
「…すんまへん。こんな格好して堪忍しておくれやす。…そろそろ本題に入りまひょ。…人の目もそうやけど、どこに人の耳があるかもしれまへん。このまま小声で話しておくれやす。」
その美輝の言葉に沖田は苦笑した。
「気を遣わせて申し訳ない。恩に着ます。」
「うちは楽しませてもろてます。…それで…うちに頼みってなんどす?」
沖田は、うなずいて言った。
「二つお願いがあります。…一つは、この遊郭に中條君を下働きの人間として置いて欲しいんです。」
「!?…へぇ…それは主人に事情を言うて頼んだら…たぶん大丈夫かと思いますけど…。」
「本当は私がここにいた方がいいんでしょうがね…。でもたぶん面が割れているだろうし…。」
「そんな、沖田はんに下働きなんてさせるわけにはいきまへん。よろしおす。中條はんのことは主人に頼んでおきます。…それで…もう1つはなんどす?」
「もし、この遊郭に誰かが子供を売りに来たら…その子供を買ってもらうように、ご主人にお願いしてもらいたいんです。…お金は新選組が払いますから。」
「!?…なんでどす?」
「…実は、大坂の遊郭へ土方さんが探りを兼ねて行っていたんですが…。島原の子供達があちらで売られていたようです。」
美輝は思わず体を離した。
「!!?…ほんまどすか?」
「ええ。信じたくはなかったんですが…。土方さんがその遊郭へ行った日に、たまたま買い取られていた子どもが三人いましてね。…いろいろ話を聞いてみたら…こちらの子だったと。」
「それで!?…その子らどうしはったんどすか!?」
「土方さんが自腹をきって、ひきとったそうです。昨日、親御さんの元へ皆帰してやりました。」
美輝は胸を押さえて、下を向いた。
「!…美輝さん!…大丈夫ですか!?」
「…よかったどす…。皆…いろいろ辛かったやろうけど…無事でよかったどすな。」
美輝の頬に、涙の筋が出来ていた。沖田は微笑んで、その涙を指でそっと払った。
……
沖田と美輝は、床にいた。
といっても、屏風に隠れるようにして、二人、床の上で向かい合って座っているだけである。
この場所が一番声を聞かれないのではないかという、沖田の案だった。
美輝は、遊郭に売られてきた子達の様子がおかしかったという話を、沖田に話していた。
「…やはり、そうでしたか。…大坂で見つかった子も、何かの薬で眠らされていたようなんです。」
「何かの薬?」
「かなりやっかいな薬だそうです。…しばらくは禁断症状が出て、それがとても苦しいもののようです。」
「…ひどい…どすな…。その子達は…もう…大丈夫なんどすか?」
「ええ。土方さんが大坂の医者に頼んで、なんとか…。こちらは土方さんが長いこと帰ってこなかったから、すっかり遊び呆けているのだと思っていたのですが。」
沖田はそう言って笑った。
美輝も思わずつられて微笑んだ。
「沖田はんの言うことはわかりました。もし子供達が売られに来たら、とにかく皆、買うたらええんどすな。」
「ええ。」
「…でも、そんなこと…なんで、うちに?…主人に直接話しても…きっと同じやったと思うんどすけど。」
「実は…」
沖田は指で額を掻きながら言った。
「この二つのこととは別に…中條君のことをお願いしたいんですよ。」
「中條はんの?何をどす?」
「中條君は色男ですからね。あなたの仲間にからかわれないかと心配なんです。」
「からかうやなんて…。ほんまは、うちの子達が中條はんに惚れないようにして欲しい…そういうことどすな。」
「…まぁ…そういうことです。」
美輝は手の甲を口に当て、くすくすっと笑った。
「承知しました。大事な沖田はんの部下は、うちがちゃんと守ります。」
「よろしくお願いします。」
沖田は手をついて、美輝に頭を下げた。美輝は慌てた。
「沖田はんが、うちみたいな女に頭なんか下げたらあきまへん!…もう…中條はんといい、沖田はんといい…人が良過ぎますわ。」
沖田は顔を上げて笑った。
……
翌日-
たすきがけした中條は、遊郭の廊下のぞうきんがけをしていた。
昨夜の務めで、疲れて寝入っている遊女たちの邪魔にならないように、足音を立てないように廊下から廊下へと走り回っていた。
その時、主人があわてた風に現れた。中條は思わず立ち上がった。
「中條はん!下働きなんて、格好だけでよろしおす。ほんまに掃除しはるやなんて、びっくりしますわ。」
中條はその言葉にほっとした。女の子たちが売られに来たのかと思ったからである。
「何をおっしゃいます。じっと座って待つわけにはいきませんからね。それに僕、こういう広いところの掃除が大好きなんです。」
「せやかて…新選組の方にこんなことさせて…」
中條は「しっ」と指を口に当てた。
「そのことは、美輝さんと御主人さんだけしか知らないことのはずです。あまり口に出しておっしゃらない方が…。」
「はぁ…。でも…ほんますんまへん。どうぞ気楽にしておくれやす。」
「はい!ありがとうございます!」
主人は、困り果てた様子で立ち去っていった。
(ある意味、迷惑なのかもしれないなぁ。)
中條は美輝に言われたことを思い出していた。
『あんまり、うちらの前で目立つことをせんといておくれやすな。普段、辛い務めをしている分、若い男の人がこの遊郭にいると思うだけで、胸がときめく子もおりますさかい。』
(…辛い務めか…そうだよなぁ…)
遊女という仕事柄、身請けしてくれる人がいても、大抵は妾としてだろう。それでもやはり、皆いつかこの遊郭から出る日を夢に見るのだという。
(身請けするって…いくらぐらい、いるんだろう?)
中條がそんなことを本気で考えていると、美輝が慌てた様子で中條に駆け寄ってきた。
(!…来たか…!)
中條は無意識にたすきを取り払っていた。しかし美輝は中條の傍に来るなり、いきなり袖をひっぱり廊下の奥へと連れ込んだ。
「!?…み、美輝さん!?」
「もうっ!中條はん!!」
美輝は声を低くして言った。中條は、美輝の剣幕に怯えた。
「な、なんです?」
「目立つようなことを、せんといておくれやす…って言いましたやろ!?」
「え?目立つようなことなんて…」
「そうやって、たすきがけしている姿もかわいい…言うて、若い子らが騒いでしもて困ってるんどす!!」
「かっかわいい?…ですか?」
「もう…沖田はんに顔向けできまへんわ。…うちの子ら皆、中條はんに惚れてしもて…。とにかく何を言われても、相手したらいけまへんえ。ちゃんと体守らなあきまへんで。」
「かっ体を守るってどういうことですか?」
「どういうこともなんも、そういうことどす!…あー…中條はんがうちの子に食べられてしもたら、ほんまうち、どうやって責任取ればええんやろ…。」
「た、食べられるって??み、美輝さん…???」
中條はおろおろしながら言った。
すると、遊女たちが数人固まってこちらを覗きこんでいる姿が、廊下の向こうに見えた。
それに気づいた美輝が「何見てるんどす!!」と怒鳴りつけた。
すると遊女の一人が「ネエはん、中條はんを独り占めしてずるい!」と言い返してきた。
「はっ!?」
「あほなことをいうんやない!!…ほら、もおっ!!」
美輝はそう言って中條に振り返り、腕をばしっと叩いた。
「いたっ」
「もお…なんで沖田はんは、こうなることわかっておきながら、こんな色男置いていったんやろ…。」
美輝はそう言って両手で顔を伏せた。中條は、廊下の向こうできゃぁきゃぁ騒いでいる遊女たちと、美輝を見比べて、困り果てている。
…その時、遊郭で賄いをしている男が、固まっている遊女たちの後ろから現れた。
「あの下働きはん…ご主人様が…裏口まで来て欲しいって…。」
その言葉に、中條と美輝は思わず顔を見合わせた。
「…裏口いうことは…もしかして、子供を売りに来たんとちゃいますか?」
中條はその美輝の言葉にうなずくと、持っていたたすきを美輝に渡して駆け出した。
中條が通り過ぎると同時に、遊女たちが「きゃぁ」と嬉しそうに声をあげた。
「はぁあ…中條はんがいなくなった後…なんも起こらんかったらええけど…」
美輝はそう呟いて、ため息をついた。
……
中條は、主人と打ち合わせていたとおりにお茶を用意すると、裏口へと持っていった。
そして主人と話している客に茶を出した。
確かに女児を数人連れている。そして、その女児の顔は表情がない。泣き疲れたような後のようにも見える。主人が満足気に言った。
「これは、皆上物ですなぁ。どうしまひょ…迷いますわ。」
「それでしたら皆おあずけします。…どうぞゆっくりお考え下さい。」
「え?でも、うちはそれだけの金ありませんよって。」
一旦、その場から引き下がった中條も、その仲買人の「金を受け取らずに女児を預ける」という言葉に驚いた。
「かまいません。明日また来ますので、その時に…」
「これは、ありがたい。一晩、ゆっくり考えさせていただきます。」
仲買人は女児たちを置いて、本当に帰っていった。恐らく、女児たちの世話に疲れたのだろう…と中條は思った。
主人は女児たちを急いで中へ入れ、中條にうなずいた。
「この異様な様子は…薬か煙かわかりませんけど、なんか吸わされているんやと思います。あの男の顔はよお見ましたか?」
「ええ。ちゃんと脳裏に焼き付けています。…しかし明日本当に来るでしょうか?」
「そりゃもう、この子達を置いていったんです。そのまま引き取りにこんかったら、向こうは大損でしょう。」
「僕、屯所へ戻ってきます。明日、遊郭の外を、何人か張ってもらうよう頼んできます。」
「お願いします。…しかしこの子ら…どうしまひょ。お医者さんに連れていかんでええんですやろか。」
「…そうか…そうですよね。」
話を聞いていたのか、美輝が突然現れた。
「この子達はうちが見ときますよって…中條はん、屯所に行く前に礼庵先生に声かけてもらわれへんやろか。外に出すのは危ないような気がするさかい。」
主人が感心したようにうなずいた。中條もうなずいた。
「では、礼庵先生にこちらへ来てもらうように言います。私も報告が済んだら、戻ってきますので。」
「へぇ。」
中條は、急いで外へ出た。
……
翌朝、本当に仲買人が遊郭へ、子供たちを引き取りに来た。
主人は、何も知らない顔で仲買人を部屋へ引き入れた。
「どうです?どの子か決まりましたか?」
「すんまへんなぁ…。どの子も買うわけにはいきまへんわ。」
「えっ!?」
「それに、あの子達を帰すわけにもいきまへんな。」
「はっ!?…な、何をばかなこと…」
主人の後ろのふすまがあき、一人の男が入ってきた。仲買人は、わけがわからないような表情をしている。
「このお人は新選組の方どす。」
主人がそう言っただけで、仲買人の顔色が失せた。
そして、あわてて後ろのふすまから逃げようとした時、先にふすまが開いた。
仲買人の前には、中條が立っていた。
「今から、その人と一緒に奉行所まで行っていただきます。」
主人の後ろにいる男が言った。
仲買人は逃げようとして、中條を突き飛ばした…つもりだった。が、中條はびくともせず、仲買人の腕を後ろ手にひねりあげた。仲買人はあまりの痛みに悲鳴をあげた。
「中條君、少しお手柔らかにね。」
主人の後ろの男がにこにことしながら言った。おわかりのとおり、男とは沖田である。
「はっ。」
中條は主人と沖田に頭を下げて、仲買人の手をひねり上げたまま、部屋を出て行った。
「奉行所につくまでに、あの人の腕が抜けてなければいいけれど。」
その沖田の言葉に主人が首をすくめた。
「沖田はんも、人が悪おすな。」
その主人の言葉に、沖田は笑った。主人はふと眉をしかめて言った。
「…でも、あの男だけの仕業やないでしょうなぁ。」
「ええ。あの男から芋づる式に捕まっていくといいですね。」
主人はうなずいた。
(…これで、とりあえずは、一段落ついた…。)
沖田は、ふーっとため息をついた。
……
数日後-
沖田が、美輝の遊郭を訪れていた。主人に礼を言いに来たのである。
沖田の少し後ろに中條が控えていた。
「ご主人、この度は本当にお手間を取らせました。ありがとうございました。」
「何をおっしゃいます。こちらこそ、中條はんにいろいろとお手伝いしてもろて、助かりましたわ。」
「中條君の掃除は、完璧だったでしょう。」
沖田はそう笑いながら言った。主人も笑った。
「へぇ、ほんまに。私らでも気づかんようなところまで、綺麗にしてもろて。」
中條は、沖田の後ろで気恥ずかしそうに縮こまっている。
「なんなら、三日に一度くらい、彼を通わせましょうか?」
「!ほんまどすか!?そりゃ、ありがたい話どすな!」
それを聞いた中條は慌てた。
「せっ先生…!そ、それはちょっと…」
「冗談だよ、冗談。」
沖田は、中條に振り返って笑いながら言った。主人も拳を口に当てて、笑っている。
中條は恥ずかしそうにうつむいた。
主人は、身を乗り出すようにして沖田に言った。
「…それで…あの拉致した女の子らを売りに来た男は、なんや吐きましたか?」
「拉致集団については少しずつぼろが出てきているようです。新選組が頼まれたのは、所司代のお孫さんを見つけることでしたから、後のことは奉行所に方に任せてありますが、まだ行方不明になっている女の子たちが見つかるのも、時間の問題でしょう。」
「そうどすか…。はよ見つかるとええどすなぁ…。」
主人は、ぽつりと言った。
……
沖田と中條が主人の部屋を出ると、美輝が玄関に立っていた。
そして二人を見ると深々と頭を下げた。
「美輝さん、あなたにもいろいろとお世話になりました。」
「いいえ。うちはなんもしてまへん。」
美輝がそう言い、にこにこと笑った。
「それに…うち、沖田はんとの約束…守れんかったし。」
「え?」
「中條はんのことどす…。中條はんのこと…うち、守れまへんでしたわ。…ほら…あそこ…」
美輝は、陰からこちらを見ている遊女たちを、あごで指し示した。沖田が驚いて言った。
「!?…彼女たちがどうしました?」
「…みぃんな、中條はんに惚れてしもたんどす…。あの仲買人の腕をねじ上げて、連れて行く後姿なんて、うっとりして見送ってましたわ。」
沖田は笑って、中條の顔を見た。中條は後ろで真っ赤になってうつむいている。
「…やっぱり、そうなるとは思ったんです。」
「中條はんが、もう遊郭へ来ないとなってから、皆、泣いて泣いて…うち、ほんま困り果ててしもて。」
「中條君、やっぱりここへ三日に一度くらい通うかい?」
中條は顔を上げて目を見張り、首を振った。
沖田と美輝は、その顔を見て笑った。
「三日に一度やなくても、時々遊びに来ておくれやすな。斎藤はんみたいに、お酒を呑むだけでも構いまへん。」
中條は少し困ったような顔をしながらも、うなずいた。
「それから、沖田はんもどすえ。」
「???」
「あの夜はとても楽しかったどす。…また、床の上でしゃべりましょな。」
「み、美輝さん、誤解を生むような言い方をしないでください。…中條君は生真面目だから…」
と言って、沖田は中條に振り返った。予感どおり、中條の目がみるみるうちに大きくなっていく…。
「中條君、違うんです!…床の上でしゃべったというのは…その…」
「そうそう…沖田はんの肩も気持ちよかったどすわぁ…」
「美輝さんっ!!」
美輝はお腹を抱えて笑い出した。
中條は愕然とした表情のまま、慌てふためている沖田を見つめている…。
…いずれ、この誤解はとけるとは思うが…。