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風ぐるま

いつものように母親が怒鳴っている。


『英次郎!何やってんだい!飯が炊けたら、お兄ちゃんを迎えに行くんだよ!』

『ほんとに要領の悪い子だねぇ…。さっさとおし!』

『英次郎!勇三郎が泣いてるよ!おむつ替えたのかい!?』

『薪を拾いにいっとくれ!腕にいっぱいかかえるくらいまでじゃないと、帰るんじゃないよ!』


中條ちゅうじょうは飛び起きた。体中に汗をびっしょりとかいている。さっとあたりを見まわすと、新選組の平隊員たちが、それぞれ寝息をたてて寝ていた。


「夢か…」


中條は顔の汗をそでで拭いた。


「どうして五年前のことを、まだ忘れられないんだろう…」


中條英次郎-

新撰組に入隊して一ヶ月目のことだった。


……


中條は、何もしなくても食べさせてもらえることに驚いていた。目の前には湯気の立った飯がある。初めての食事の時は、回りが食べ初めてもなかなか箸をつけられなかった。家では、自分が最後に箸をつけなければ怒られたのである。まずは父親が箸をつけ、長男、母、長女と続き、最後に自分が箸をつけた。飯の準備はすべて自分の役目だった。遊ぶこともできず、習い事もさせてもらえなかった。すべて長男と長女の何かの稽古代にお金が飛んでいく。長男には武士になってもらうため、長女にはどこかいい武家に嫁へ行かせるため、親は食べるのもぎりぎりの状態であるにもかかわらず、長男と長女に金をかけ、彼らに夢を託したのである。そして次男であり、三番目の子の英次郎には雑用をさせた。畑仕事や、幼い妹や弟の面倒、飯の用意から蒔き割りまで…。毎日がそれの繰り返しだった。


……


「中條さん、何ぼんやりしてるです?稽古ですよ。」


山野 八十八やそはちが、大部屋でぼんやり座っている中條に声をかけてきた。山野は中條と同じ十八歳だが、昨年夏の池田屋事変よりずっと前から、一番隊にいる古参隊士である。剣の腕も剣豪ぞろいといわれた一番隊の中でも上の方で、美青年ぶりも新選組の中で一、二を争うほどであった。


「はい。すいません。先輩」


中條がそう言うと山野は


「だから、先輩はやめてください。」


とはにかむように言い、先に立って行った。


(…どうして、ここの人は…皆優しいのだろう?)


中條は優しくされることに慣れていなかった。


……


新選組屯所の道場では、一番隊組長「沖田総司」による、新人隊士達の剣術稽古の最中である。

この沖田総司は、普段は温厚な青年であるが、一たび剣を持つとまるで人が変わったように厳しい人間となる。たとえ剣術の稽古中でも、決して笑顔を見せないだけでなく、相手が弱かろうと新入りだろうと手加減がない。そのため、沖田の稽古には皆恐れを抱いていた。ひどい者は気を失い、水をかけられることもあった。


沖田は何人目かの隊士を打ち崩すと、「次!」と言った。

中條が緊張した面持ちで立ち上がった。

面をつけていない。


「中條君ですか。…面は?」

「…視界が狭くなるので結構です。」


回りから失笑が漏れた。

中條の刀の振り方はひどかった。それに動きが鈍い。本人はそれを面のせいだと思っているらしかった。


「わかりました。」


お互いに型どおりの挨拶をすませると、向かい合った。

隊士たちのほとんどは何かの流派に入っている。その中で「木刀うち」といわれる稽古を受けた人間は、体すれすれのところで木刀を止める癖がついている。そして、ほとんどが人を斬ったことがないのであった。そのため、しくじっても思いっきり打たれることはない。

しかし、中條は違った。

確かに形は見られたものじゃないが、本気で打ち込んでくる。まるで、そうしなければ、自分が斬られてしまう…という気迫があった。

沖田は入隊試験の時、その中條の気迫に「見込みがある」と判断したのだった。


……


この中條英次郎が入隊試験を受けに来た日、沖田は非番であった。

入隊試験では、組長格の隊士と志願者が剣術試合をすることになっている。この日は、二番隊組長の永倉新八が立ち合う事になっていたが、暇を持て余していた沖田は、ふらりと試験真っ只中の道場へ入っていった。

沖田は副長である土方ひじかた歳三の横へ座り「どうですか?」と小声で尋ねた。


「今日は、はずれが多いな。」


土方は、沖田の方を見ずに答えた。その奥に座っている局長の近藤勇も何か疲れた様子である。


(よほどひどいらしい)


沖田はくすっと笑って、立ち上がろうとした。

が、その時、志願者の中に目つきの鋭い男が一人いるのに気づいた。それが中條だった。背が高いのか、座っていても周囲より頭が一つ飛び出している。

沖田は再び座った。そして不思議そうにこちらを見た土方に囁いた。


「あの人とやらせてほしいんですが。」

「ん?どいつだ?」

「ほら、あそこ。あの前髪のある色男。」


沖田はそう言って、中條を指さした。土方はちらと見て、眉にしわを寄せた。


「…よしておけ。きっと体ばかりが大きい「木偶でくの棒」だぞ。」

「そうかなぁ。やってみなくちゃ、わかりませんよ。」


そう言って、沖田が立ち上がった。土方が「おい、よせ。」と声をかけたが、沖田は無視して道場の真中へ進んだ。

面をしている永倉が、不思議そうに沖田の方を向いた。


「お疲れでしょう。代わりますよ。」


面の中でびっしょりと汗を掻いていた永倉は、ほっとした表情をした。


「…助かったよ。ぼんくらばかり相手にするのも疲れるもんだ。」


永倉はそう言って、土方の横へと座った。

沖田は面も胴着もつけずに道場の中心に立つと「君、出てきなさい。」と中條を指さして言った。

中條は順番が狂ったので、面食らった表情をした。そして何かの間違いではないかと、あたりを見渡している。


「そう、今きょろきょろしている君だよ。いいから出てきなさい。」


沖田が笑いながら言った。中條があわてて立ち上がり、沖田の前まで進み頭を下げた。


「あなたの名前は?」


沖田は本人に尋ねたのだが、監察方の山崎 すすむが立ち上がって、入隊志願者名簿を読み上げた。


「中條英次郎 十八歳。江戸の出身です。流派はどこにも属していません。これまでは旅館で下働きをしていたそうです。」


それを聞いた近藤と土方が苦笑して顔を見合わせた。どこの流派にも属さず、それも旅館の下働き人じゃ役に立たないだろう…というような様子である。


「結構。あなたの相手は私、沖田総司です。よろしく。」


沖田が厳しい表情でそう言い頭を下げた。中條もあわてて頭を下げる。

すると沖田はすっと一歩下がり、中條に竹刀を向けた。中條もあわてて同じように一歩下がり、沖田に対峙した。

山崎は急に二人が構えたので、しばらく立ち尽くしていた。


「総司は相変わらず気が短いな。礼も無しか。」


近藤が苦笑しながら土方に言った。土方も笑っている。

山崎は沖田に促され、あわてて「始め!」と声を上げた。

その声とともに、沖田がいきなり打ち込んだ。中條はそれをなんとか払ったが、間断なく沖田が突いた。しかし、あやういところで中條はかわした。中條はかわすばかりで反撃しない。そして、とうとう突きを浴びて壁に打ちつけられた。それでもすぐに立ち上がりやっと反撃した。沖田はなんなくそれを払い、もんどりうって地面にはいつくばった中條の背中に竹刀を叩きつけた。中條はすぐに上半身をひねり、竹刀を大きく振った。沖田がすぐにそれを弾く。そしてまた打つ。

…まるで子供が遊ばれているような中條の様子に、周囲からくすくすという笑いが漏れてきた。

そして、とうとう中條の竹刀は飛ばされ、壁に打ちつけられた。


「それまで」


見かねた土方が手を上げた。


「全く子供の喧嘩か。中條と言ったな。お前はどういうつもりでここへ来たんだ?飯にありつきたいだけなら、こちらは迷惑だ。」


中條は、鋭い目を土方に向けたまま、黙り込んでいる。


「待ってください。土方さん。」


沖田が少し息をきらせながら言った。


「…こんなに力のある人初めてですよ。」

「何を言っている総司。ただ、めちゃくちゃに棒を振っているようなもんじゃないか。」

「じゃぁ見てくださいよ。この私の手。」


沖田はそう言って、竹刀を握っていた手を開いて見せた。真っ赤に腫れあがった様になっている。


「!?…」

「私がこの人の剣を弾いたのは、三度だけ。…なのに腕まで痺れる程の力でした。それに何度打っても堪えないんだもの。こんな打ちがいのない人間は初めてです。」

ふてくされている土方とは対照に、沖田はにこにことして中條を見ていた。

「…あなたの剣は乱暴で、型も何もあったもんじゃない。でもそれは矯正すればいいことです。私はあなたを歓迎しますよ。」

「おい待て、総司!」


土方が立ちあがった。


「勝手に言うな。こいつの出所もはっきりしていないんだ。」

「だって、江戸の出身でしょう?いいじゃないですか、それで。」


沖田はにこにことしたまま、土方に言った。


「この人が気に入ったんです。何かありましたら、私が責任を取ります。」


土方は半ば呆れていたようだった。


……


沖田は中條と向かい合いながら、その入隊試験の時のことを思い出していた。


(彼は本気で打ってくるからなんとか避けなければ…)


見ている隊士の中に、まだ笑っている者もいる。

沖田はそれに気づき、中條に向かって手をかざして構えを解いた。


「そこで笑っている君…。立ちなさい。」


呼ばれた隊士は驚いた表情で立ち上がった。


「…彼に稽古をつけてやってください。」


沖田がそう言うと、笑っていた隊士はにやりとして頭を下げた。

沖田は二人から離れて、座った。

二人は向かい合い、型どおりの挨拶をすませると、竹刀を構えた。

そして、お互いけん制したのち、中條が上段から構えて打ちかかった。

相手隊士は胴を払おうとした。が、中條はその瞬間、後ろへとびずさった。

そのぶかっこうな姿に、周囲から失笑が漏れた。

沖田は、厳しい表情のまま二人を見ている。


(格好は悪いが…彼は、これで一つ命を拾ったんだな。)


そう思ったとき、中條が竹刀を振り下ろした。その時「ぎゃっ!」という悲鳴がした。

次の瞬間には、相手の隊士が腕を押さえてうずくまっている。そして、中條の竹刀は折れていた。

中條は、はっとしてその場に座り込み「申し訳ありません!」と頭を下げた。

沖田はゆっくりと立ち上がり、中條に言った。


「刀を使うのに力はいりません。あなたの力だと、その竹刀と同じように刀が折れてしまうでしょう。だけど、あなたのその気迫は誰にも負けていません。それを大事にね。」


中條は沖田にそう言われて、いっそうひれ伏した。

沖田は、もう独りの隊士に向いた。


「…これが真剣での勝負ならば腕を落とされていますね。それも利き腕だ。…あなたの負けです。」


隊士は腕を押さえながら、驚いた表情で沖田を見上げた。


「これからは、彼を笑ったりしないように。」


沖田はそう言ってから顔をあげて隊士を見渡し「今日はこれで終わります」と言った。

中條は驚いた目で、沖田の後姿を見送っていた。


……


その夜、中條は夜中にこっそり部屋を抜け出し、中庭に立って竹刀を振っていた。


「本当は、おまえを入隊させたくない。だが、いったいどこを気に入ったのか知らんが、総司がおまえを一番隊に欲しいと言っている。」


中條が入隊を許された時、土方に言われた言葉である。


「総司がそういうのだから仕方がないが、もし今後、総司や一番隊に迷惑をかけるようなことがあったら、すぐに切腹してもらうぞ。それがいやなら、今すぐ帰れ。」

「帰りません。沖田殿についていきます。」


中條は間髪いれずに答えた。

それを聞いた土方は驚いた表情になり、近藤が満足げにうなずいていた。


……


中條自身も、沖田に気に入られた理由はわからない。だが切腹云々は別にしても、沖田と一番隊の足を引っ張るようなことはしたくなかった。

その思いに夢中で竹刀を振っていると、背中から声がした。


「精が出ますね、中條君」


はっと振り返ると、沖田総司がにこにこと笑って縁側に座っていた。中條は驚いて立ちすくんだが、あわててその場に両膝をついて座り、頭を下げた。


「よしてください。ここは道場じゃない。」


沖田が庭に降りてきて、中條の腕を取って立たせ、おもむろに言った。


「…あなた、人を斬ったことがありますね。」


中條は驚いて沖田を見た。その通りだった。江戸から京へ上がる途中、何度か浪人らしき人間に襲われたことがあった。その度に何人か斬っている。


「…はい。」

「あなたの入隊試験の時それを感じました。何か修羅場をくぐってきたような殺気を感じたんです。」

「修羅場というほどでは…」


中條はそこで黙りこんだ。


「あなたは何故、江戸をでてきたんです?」


沖田が突然言った。


「え?」

「まさか、新選組に入ろうと思ったわけではないでしょう?」


沖田が笑いながら言った。


「はい。」


中條は正直に答えてしまった。


「あ、いえ、その…」

「いいんですよ。」


沖田がくすくすと笑っている。中條は「すいません」とあやまってから答えた。


「うちは家が貧しくて…。食べるものすら窮していましたので…家を出たんです。」

「?…」


沖田は意味がわからないように、不思議そうな顔をしてこちらを見た。


「人数が一人でも減れば、家族の食い扶持が増えるからです。妹と弟も小さかったし。」

「…それであなたが家を出たのですか?」


沖田の言葉に中條が苦笑して答えた。


「僕一人、何故か体が大きかったんです。だから一番食べているように見えたんでしょう。…親に、荷物と少しの金を持たされて、出ていってくれといわれました。」

「中條君」


沖田が少し目を伏せた。中條はあわてて言った。


「でも、江戸を出てきてよかったんです。新選組に入れましたから。…今、とても毎日が楽しいのです。江戸にいた時よりずっと。」

「…そうですか。それならいいが…」


沖田が少し微笑んだ。


「…しかし…気の毒な人だ…。」


沖田はそう言って、中條に背を向けた。


「さぁ、もう寝ないと明日の巡察に支障をきたしますよ。部屋へ戻りましょう。」

「はい」


中條は沖田の後ろについて歩いた。沖田と言葉を交わせたことがとてもうれしかった。


……


翌日の巡察の帰りのことである。中條の耳に赤ん坊の泣き声が届いた。


(!勇三郎!)


思わず弟の姿を探した。しかしそこには、背中におぶっている赤ん坊をあやす女性の姿しかなかった。中條はほっとした。


(…そんなはずないよな。…考えて見れば、江戸を出る前に一歳だったから、もう五歳にはなるころか。)


そう苦笑する中條の見るずっと先に、たくさんの風ぐるまが色とりどりに回っていた。


(風ぐるま…)


中條は思わず見入った。


(勇三郎をあやすのに、自分で作ったっけ…)

「…中條さん?」


山野が近づいてきて、中條の視線の先を見た。


「…風ぐるま…ですか?」


中條はうなずいた。

すると沖田が、後ろから中條の肩を叩いた。


「あ、すいません!」


中條と山野があわてて頭を下げた時、沖田がにっこりと笑った。


「風ぐるま好きですか?」

「え?」


中條が返答に困っていると、沖田は風ぐるまの方へ走っていった。そしてその一つを取り、そばにいた男にお金を払うと、中條の所に戻ってきた。


「はい。」


沖田に風ぐるまを差しだされ、中條はあっけにとられて動けなかった。


「どうぞ。」


沖田にそう言われ、中條はとっさにその風ぐるまを受け取った。沖田はにっこりと微笑んで、屯所に向かって歩き出した。


「おかしな沖田先生だな。」


山野がそう言って笑い、沖田を追った。

中條はじっとその場で風ぐるまを見つめたまま、立ちすくんでいた。

そうしているうちに、昔のいろいろなことを思い出した。やがて中條の目に涙があふれ出てきた。


「中條さん!何をしてるんです、早く!」


山野の呼びかけに、中條ははっとして涙を手の甲で払うと、沖田を先頭にして歩いている隊士たちの後をあわてて追った。中條の手のなかで、風ぐるまがからからと音をたてて回った。


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