詐欺
綾が最初に“そっち”の世界に足を踏み入れたのは、ほんの出来心やった。
初回は安く飲めるってことで、同僚と憂さ晴らしに梅田・東通りのホストクラブに行っただけ
のことやった。そこで「忍」に出会ってしもうた。
色白で線が細うて、金と白のメッシュを入れた髪。目元はキツめにキメてるくせに、笑うと子犬みたいに無邪気で――
「綾ちゃんだけやで」
その一言で、脳の中で何かが焼き切れた。
あの日までは普通のOLやった。大阪の某信販会社に勤めて、月給は手取り二十そこそこ。
弁当持参で節約して、少しずつ貯金していた。
けど、ホストにハマった女の金銭感覚なんか、そんなもん一瞬で狂う。綾は気がついたら週三で店に通い、限度額ギリギリまでカードを切っていた。足りん分は友達に借りて、最終的には忍に頼まれて、消費者金融三社から金を引っ張った。
その先にあったのが、“名義貸し”のスキームや。
「仕事用のスマホがいんねん。お前のこと本気やから、プライベートと分けたいねん。頼むわ」
忍にそう言われたのは、ラブホテルのベッドの上やった。酒も回ってたし、薬も入ってたかもしれん。夢と現実の境目はもう曖昧やった。
気がついたら、知らんスマホ三台の契約書にサインしてた。三台も要る理由なんて考えへん。
忍の「特別」になれるって、それだけで頭いっぱいやった。
「全部、俺が払うから」
信じたかった。
けど、三ヶ月後。ポストに入ってたのは携帯会社からの督促状。分割の一括請求。慌ててLINEしたら既読もつかへん。店に行っても「今、忍はお休みです」とだけ言われた。
終わった、と思った。
その日の夕方。会社の最寄り駅のロータリーに、灰色のスーツを着た目つきの悪い男が立ってた。無理やり笑顔を作ってるけど、目はちっとも笑ってへん。
「綾さん、やな? 忍の紹介で来てん。ちょっとだけ、話聞いてくれへん?」
言葉は丁寧やけど、空気が違った。断ったら“何か”される。綾の本能がそう叫んでいた。
連れて行かれたのは、西成の外れ。街灯の切れた裏通りにある、廃アパートみたいな建物。中には三人の女が座ってて、無言でスマホのフィルム剥がしたり、SIM差し替えたりしてた。
流れ作業みたいに、手が止まらへん。
奥のソファには、一人だけ別格の空気を纏った男が座ってた。スキンヘッドでガタイがごつい。腕や首には入れ墨、スマホを無表情にいじってる。
そいつが“剛田。喋らん。見もしない。ただ存在だけで場を支配してる。息をする音さえ重たく
なる。その空間で、綾の名前はすでに“商品”やった。
後ろでスーツの男たちが、さらっと言う。
「そういやこの前の女、家族もろとも飛んだらしいな」
「飛ぶ前に約束守っとったらよかったのにな」
笑い声の中に、血の匂いが混じってた。
「そういえば……綾ちゃんの親って、淀川製鉄やったっけ? 定年まであと何年なんやろな」
「弟、北摂大学やんな? 文学部って就職大変やろ?」
優しい声やのに、背筋が凍った。
剛田は、まだ一言も発してへん。それでも、圧がすごい。誰も目を合わせられへん。
スーツの男が指を鳴らす。
「お前の債権買わしてもらったわ」
「お前の名前、まだ使える。五回線いけるはずや。今すぐ動け。iPhone、店変えて契約してこい」
逆らったら終わり。綾は、無言でうなずいた。
隣の部屋で、電話の音が鳴ってる。声を作った男が、静かに言う。
「お母さん、息子さんが事故を起こしてしまって……今すぐ示談金が必要で……」
向こうから聞こえる、泣き崩れる老婆の声。
綾は耳を塞ぎたかった。けど、自分の名義のスマホが使われてるってわかってた。
それより怖かったのは、ただ剛田や。
剛田は、やっと口を開いた。
「いっぺんに五台までや。店変えて、ちょっとずつ契約してこい。金も機種も、こっちで決める。あと銀行口座もつくりにいけ。お前は名義。それだけでええ」
目は綾を見ていない。関心もない。まるで、“お前がいくら金を生めるか”しか、見てないよう
やった。
「ほんで……それが終わったら、お前丸菱信販で働いとるんやろ?」
不気味な笑顔で言った。
「債務者リストもってこい」
綾は、ただうなずくしかなかった。




