幻影
朝六時。無機質なチャイムが施設内に鳴り響く。
少年院の朝は、毎日が型通りだ。起床、点呼、清掃、朝食、作業 ――鉄の律動に組み込まれた生活。ここでは誰もが“名前”ではなく“番号”で管理される。ただ、御影アキラという名だけは、番号を超えて存在していた。
壁に貼られた掲示板の前、朝礼の整列では誰もが彼の後ろに立つ。
目立つことを望まず、指示を出すことも少ない彼だったが、空気がそうさせた。彼の立ち位置は、少年院の誰よりも重かった。
西成無道との抗争――仲間の暴走、そして一人の死。
「西成の少年死亡事件 背後に暴走族グループ間の対立」
「暴走族の総長・自ら出頭」
そう新聞が報じたのは、もう三年前のことだ。大阪・西成という土地柄もあってか、当初はワイドショーでも大きく取り上げられた。コメンテーターたちはしたり顔で「少年たちの荒廃した実情」や「家族・地域社会の崩壊」などを論じていたが、それもせいぜい数週間の話。やがて他のスキャンダルや芸能ニュースに取って代わられ、報道は沈静化。世間の記憶からも徐々に風化していった。
その報道の中心にいた男 誰がやったかではなく、“誰が止めれなかったか”。その責任を、彼は自分に課した。仲間を暴走させたのなら、その代償は己の身体で支払うしかないと。
少年院に入った当初、御影アキラを試そうとする者は後を絶たなかった。
「自ら出頭した総長」という異質な存在は、噂ばかりが先行し、この閉ざされた場所ではむしろ標的になった。少年院という空間は、外の肩書きや武勇伝を何ひとつ信用しない。
むしろ、そうした“話題性”を持ち込んだ者を最も厳しく扱う場所だった。
だが一ヶ月後には、彼を試すものの姿は消えていた。アキラは決して先に手を出さなかった。挑発にも乗らず、睨みも返さない。ただ一度だけ、廊下で突っかかってきた少年の腕を、無言で掴み、地面にねじ伏せた。何の派手さもないその動きが、すべてを物語っていた。
その日から、「御影アキラ」に手を出す者はいなくなった。誰もが理解したのだ――この男は、「殺気をしまっているだけ」だと。
現在の彼は“資料整理班”に所属していた。過去の記録、行政文書、家庭裁判所から送られてくる資料の仕分け。黙々と、正確に、他の誰よりも早く美しくこなす。その作業場では自然とリーダーのような立ち位置に立ち、時に年少の少年たちに声をかける。
「それ、重ね順ちがう。……見てみ。下から昇順」
「……すんません」
「誰だって間違う。大事なんは、同じミスを繰り返さへんことや」
彼は感情を強く出さないが、声の調子や言葉の重みで、少年たちに自然と“効いて”いた。叱責ではなく、矯正。脅しではなく、導き。
そんなある日の午後だった。
紙の束を整理していたとき、一枚の新聞切り抜きが混ざっていた。施設の誰かが持ち込んだものか、それとも書類に紛れた偶然か。記事のタイトルが、アキラの目に止まった。
《西成暴走族内部抗争で少年死亡 関係者逮捕へ》
記事では名前は伏せられていたが、その描写、年齢、背景――「後藤猛」の名前が浮かぶ。そして、「神谷才」。アキラがかつて闇天狗に誘った男。
手が止まり、アキラは記事をじっと見つめる。静かに息を吐き、新聞を折りたたんだそのとき、後ろから声がかかる。
「どうした、おい。何や難しい顔して」
後ろから声がかかる。振り返ると、職員の“山元”――通称ヤマゲンが腕組みして立っていた。五十代半ば、口癖は「最近のガキは」。眉間に深い皺を刻み、いつもイライラしたような目つきで、施設内でも特に「不良嫌い」として知られている男だった。
アキラは無言で新聞を資料の山に紛れ込ませるように戻す。
「……業務中に個人の感情、持ち込むなよ。お前みたいな“元総長”がセンチになってるとこ見ると、虫唾が走るわ」
口元を歪めて笑うヤマゲン。その目は笑っていない。まるでアキラの動揺を楽しんでいるかのようだった。
「なぁ、見たんやろ? 西成の抗争記事。なんせそれは俺がもってきたもんやからな」
ヤマゲンは下卑た笑い声をもらす。
「本来、その手の記事はお前らには届かんように検閲しとる。でも、お前のお仲間のことやろ? 俺の善意で置いといたんや」
アキラの目が、わずかに鋭くなる。ヤマゲンはそれを見逃さず、声を低くして囁いた。
「ここにおる間くらいは“大人しく”しとけ。お前のせいでまた死人が出た、なんて噂、俺は聞きたくもないんや」
そして、鼻で笑うとその場を離れていった。アキラは拳を握るでも、顔を歪めるでもなく、ただ無言で視線を落とした。
アキラの目の奥には、かすかな怒りと深い悲しみが見えていた。ヤマゲンにではない。再び誰かが暴走した。自分のいない場所で、また命が散った。
アキラはゆっくりと目を閉じた。胸の奥で、過去と現在がぶつかり合う。
「……まだ終わってへんのか」
出所まで後一月半……
第一部、完結。
お付き合いいただき、心より感謝申し上げます。
ここまでは、まだ序章に過ぎません。
続く第二部では、物語のスケールをさらに拡大し、より濃密で救いのない――真の「ノワール」の世界へと足を踏み入れます。
京志たちの行く末、そして深まる闇の底を、どうか最後まで見届けてください。
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第二部、引き続き宜しくお願いします。




