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希望

大阪湾沿いのビルに、雨の音だけが響いていた。ニット帽を目深に被った才は、震える指で公衆電話のボタンを押す。かける番号は、ひとつしかなかった。

通話が繋がる。


「誰や?」


低く、冷めた声。父・南雲一家若頭三崎の声に、眠気と倦怠が滲んでいる。


「……やってもうた。俺……人、殺してもうた……」


一拍の沈黙。それは、才にとって世界が止まったような瞬間だった。


「才か、新聞で見たわ。で? それがどうした。俺に関係あるか?」


返ってきたのは、まるで天気の話のような声だった。


「なぁ……頼む。今だけでええ。匿ってくれへんか……行くあてがないんや……」


「アホ言うな」


三崎の声に、初めて“熱”が宿る。だがそれは怒りでも、哀れみでもなかった。

――ただ、損を避けたいという本能に近い本音だった。


「そないな真似して、俺の名前が報道に載ったらどうすんねん。お前も最近のヤクザ者への締め付け知らんわけやないやろ?」


才は、喉の奥がキュウと縮むのを感じた。


「四課(マル暴) に何千万積んでる思っとんねん。一課が動くようなヘマしやがって。.....連中はマル暴の顔なんぞ立てへん。あいつらは『点数』のためなら俺らとのパイプごと焼き切りに来るわ」


受話器の向こうで、三崎が苛立たしげに吐き出す煙の音が聞こえた気がした。抗争でサイレンが常に遅れるのは、彼が四課から買い取った『空白』の結果だった。


「議員も企業も、何年かけて囲った思てんねん。お前のケツ拭いて全部パァにするんかい」


(見捨てられる……)


だが次の瞬間、三崎の声がふっと落ち着く。


「だが、まさか殺るとはな。京介は――汚い仕事ができん人間や。情に流されるような奴は、跡継ぎには使いもんにならん。お前の方が、少なくとも――腹を括れるだけマシいうことやな」


才の胸が、じんと熱くなる。それは救いではなかった。ただ、“選ばれた”という事実だった。


「じゃあ……?」


「俺は言うたな。この街のガキまとめろて。才、俺はお前に期待しとんねん。お前の器量を俺にみせてみんかい」


才の唾を飲む音が雨にかき消される。


「這い上がって来い。死ぬんやったら――その時は、俺の名前だけは汚さんといてくれや」


通話は、そこでぷつりと切られた。才は、雨を凌ぐように公衆電話の中で受話器を持ったまま立ち尽くす。頬を流れるのは、涙なのか、雨粒なのか、もうわからなかった。それでも――その心のどこかには、かすかな光が灯っていた。

“認められた”と、思いたかった。たとえそれが、歪んだ希望だったとしても。

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