理解
呆然と立ち尽くす猛。その背中には、もはや戦意も怒りもなかった。全ての力を込めて、竜が拳を振り上げる。
だが猛は動かない。
まるで、初めから弟に負けることを望んでいたかのようだった。その瞳には、懺悔と、諦めと、ほんの僅かな安堵が滲んでいた。竜が拳を振り下ろそうとした。
竜が拳を振り下ろそうとした――その瞬間。猛の目が見開かれた。
「才ぃ……!」
その声は、今まで聞いたことのない、必死で、切羽詰まった兄の声だった。
――後方、約十メートル。 そこに、拳銃の銃口があった。
竜の背中を、静かに、だが確かに狙っていた。敵に囲まれた京志は、喉を裂くように何かを叫んでいた。だがその声は、風と喧騒にかき消され、誰にも届かない。
―― 才。 その体は小刻みに震えていた。手も、声も、心も、全てが壊れそうだった。
「許せん……許せんのじゃあ……!」
顔は涙と汗でぐしゃぐしゃに濡れていた。
「なんでや……なんで、お前が……っ!」
喉が詰まり、声はかすれ、引き裂かれるような嗚咽が混じる。
「血を超えるなんて、許されるわけないやろが……! お前は選ばれんかったんや……!
踏みつけられて、潰されて、終わるはずやったんや……!」
怒鳴りながら、才は自分の唇を噛み切った。血が滲む。
「震えとれや……絶望しろや! なんでお前は……なんでぇぇ! 死ねぇぇぇぇっ!!!」
――パァァァン!!!
銃声が、世界の音を全て奪った。その瞬間――
竜の前に、猛が飛び込んでいた。血が、真っ赤な花のように弾けた。
兄の体が、音もなく崩れ落ちる。
「……た、たける……?」
竜は、ただ呆然と、兄の倒れた体を見下ろしていた。猛の胸元からは、確かに、赤が広がっていた。止まらない。
「なんでや……なんで」
言葉が、重く、震えていた。
「……竜……俺は……俺は……」
猛の声は、驚くほど弱々しく、優しかった。
瞼が静かに落ちそうになる。
竜の手が、無意識に猛の肩を掴んだ。
「待てや……最後に一発、俺、まだ入れてへんやんけ……」
竜の声が震える。唇が、噛み締めても震えを止められない。
「俺はお前を超えるんや……恨みも、借りも、腐るほどあるんや……勝手なことすんなや……何、最後に“兄貴”らしいことしてくれてんねん……!」
朦朧とする意識の中で、猛の視線が竜に向けられる。
「……俺は……お前になりたかったんやなぁ……」
血を吐きながら、猛が微かに微笑んだ。竜の頬を、涙が伝う。止まらなかった。
「お前のこと……恨まれへんやんけ……憎めへんやんけ……
死ぬなや……死ぬなって……!」
最後の力を振り絞るように猛は言った。声にならない声
「……すまん……」
猛の目が、竜の後ろにいる京志や春也、間柴たちを映した。そして竜を手繰り寄せ、耳元で何かを囁いた。
その一言を最後に、猛の目が――静かに閉じられた。竜は声にならない悲鳴を喉の奥で押し殺し、膝をついた。
全てが、音を失った。そこにいた全員が、動けなかった。
――そして。才が、その場を見つめていた。手には、まだ煙を上げた拳銃。目は見開いたまま、何も理解できていなかった。
撃ったのは自分だ。殺そうとしたのは、竜だった。だが、立ちはだかったのは――猛だった。なぜだ? なぜ、あの猛が弟を庇う?
「……なんでやねん……」
才の口から漏れた声には、もう怒りも、嫉妬もなかった。ただ、崩れ落ちた自分自身の「存在理由」に、呆然としていた。
理解できない。
その絆が、自分にはなかったものだから。




