人間
ふたたび――爆発した。互いに寸分の迷いもなく、肉体と意思をぶつけ合う。拳が交わる。蹴りがすれ違う。血がにじむ。だがどちらも止まらない。やがて、才の呼吸が荒くなる。攻めきれない焦り。“負けたくない”ではなく、“否定されたくない”。
才の感情が拳に乗る。京志は、わずかに眉を寄せながらも、崩れない。その目に浮かぶのは――同情でも、敵意でもない。
それが――なおさら、腹立たしい。
「……ふざけんなッ!!」
才の拳が、もう一度火を噴いた。
京志はそれを紙一重でかわす。
才の脇腹ががら空きになった。
京志の表情が変わる。
決まる。
血の気の引いた才の無防備な姿。
それを見た瞬間、京志の脳裏に父・慎吾の声が蘇る。
『相手の呼吸が止まる瞬間に、急所を砕け』
脊髄に焼き付けられた回路が、勝手に火を噴く。
京志の右膝が、才の無防備な脾臓を砕く軌道を描いて跳ね上がった。
だが。京志の動きが、再び空中でピタリと止まった。
この一撃を入れれば、相手は一生立てなくなるかもしれない。
それを成した瞬間、自分は「空っぽ」に近づく。
血の通わない怪物に――。
そのコンマ一秒の「迷い」。
命のやり取りにおいて、それは致命的な隙だった。
「……どこ見てんねんオラァ!!」
才は京志の膝が止まった瞬間を見逃さなかった。
カウンターの右肘が、京志の顔面に突き刺さる。
嫌な音が響き、京志の視界が明滅した。
受け身を取る暇もない。続けて才の回し蹴りが、がら空きになった京志の側頭部を刈り取った。
「が……ッ、は……」
京志の身体が吹き飛び、コンクリートの地面に無様に転がった。
脳が揺れる。平衡感覚が消える。
口の中に鉄の味が広がり、地面に赤いシミを作った。
才が肩で息をしながら、嘲るように見下ろす。
「俺を……俺を見下すんじゃねぇ!!」
京志は泥にまみれた手をつき、身体を起こそうとするが、足に力が入らない。
額から流れる血が目に入り、才の姿が二重に見える。
自分の掌を見る。泥と血で汚れている。
何も持っていない掌。
身体がまた自分を拒絶した。
「俺は……」
京志が掠れた声で呟く。
「一体……なんやねん……」
その隙に、才が近づき、無防備な京志の腹を蹴り上げた。
京志の身体がくの字に折れ、さらに数メートル転がる。
今まで無敵に見えた京志が、初めて一方的に蹂躙されている。
倒れた京志の胸ぐらを掴んで引きずり起こす。
至近距離で放たれる拳。京志はガードもできず、頬を殴り飛ばされる。
痛み。吐き気。屈辱。
京志は意識が飛びそうになる中で、視界の端に映る影を見た。
遠ざかっていく竜の背中。
あいつは、猛の元へ向かっている。振り返りもせず、決着をつけるために。
(……行かせなあかん)
父の技術(強さ)を捨てれば、自分はただの弱い人間。
それでも――行かせなあかん
才がトドメの拳を振り上げた、その時。
京志は父の教えではなく、ただの泥臭い「頭突き」を、才の鼻めがけて突き上げた。
技術も何もない、ただの我武者羅な一撃。
「……うっ、ぅ」
才が鼻を押さえてよろめく。
京志も反動でふらつくが、今度は倒れない。
「……選ばれたとか、どうでもええ」
京志は腫れ上がった瞼を開き、血まみれの顔で才を睨んだ。
その立ち姿は、今までのような強者ではない。
傷だらけで、泥だらけで、今にも倒れそうな――けれど、自分の足で立つ一人の人間だった。
「俺は空っぽや。……せやけど、この痛みだけは、俺のもんや」
京志が、震える拳を構え直す。
「来いよ、才。……喧嘩しよや」




