記憶
その場に、ふらっと現れた京志は、春也を無表情で見つめていた。
「なんやお前、ちょろちょろすんなや!」
「別に……狭い街や。たまたま通りかかっただけや」
「ああ? ほんならよそから帰れや」
江藤が手首を払うようにして、邪魔くさそうに吐き捨てる。
「なあ、スポーツマン。ボクシングって、こんなんにも耐えられるん?」
川上が鼻血を拭いながらバットを振りかぶる。京志のことなど眼中にない。地面に倒れている春也は、声も出さない。ただ、睨み返す。その目だけは――まったく折れていない。
(……あいつ)
目が合った。
『立て』
脳裏で、古い記憶がノイズのように走る。
自分を見下ろす父・慎吾の瞳。
そこにあるのは、感情のない絶対的な支配。
その視線に心を殺し、ただ目を逸らすしかなかった。
……なのに。
泥と血に塗れた春也の目は、俺とは違う。
視界が白く濁る。唾を呑む音が聞こえた。
無意識に、京志の足が一歩前へでた。
その足音に、江藤の仲間のひとりが気づく。
「お? なんやねん? 新入りぃ、まだ見学すんのか?」
誰もまだ、気づいてない。その目に、殺気が宿ったことに――江藤が苛立ち叫ぶ。
「オイ、なんか言えや春也ァ!」
春也の顔面に蹴りを入れようとした、その瞬間。江藤の腹に、京志の膝が突き刺さる。
息を詰まらせたまま江藤の身体は宙を舞い、地面に叩きつけられた。衝撃音が鳴り響き、数秒間、誰も動けない。沈黙が落ちる。
京志は、地に這いつくばった春也を指差し、静かに言った。
「こいつが弱いんと、お前らが調子乗ってええかどうかは、別の話や」
江藤が倒れたまま呻いている。周りの数人が息を呑む。
「な、なんやコイツ……」
「江藤を一発で……マジで何者やねん……」
京志の目線が、川上に向けられる。ただそれだけで、喉が乾くほどのプレッシャーが襲いかかる。川上は怯えて、バットを地面に落とした。
「……く、くそ……もうええやろ!」
震える声で叫ぶと、江藤の腕を掴んで、引きずるようにその場から逃げていった。
残されたのは、夕焼けと砂ぼこり。
春也が立ち上がる。唇が切れて、血が滲んでいた。
「……あんな人数、一人でやれるもんちゃうで」
京志は何も言わない。ただ、じっと春也を見つめている。
「ま……、助かったっちゅうことや。礼は言わんけどな」
京志が初めてふっと鼻で笑った。
「俺はただ、目ぇ合うたから動いただけや」
春也は少しだけ驚いたように目を細めた。くしゃくしゃのハンカチで口元を拭う。
「はは……お前――目つき悪いで」
二人の間に、どこか風が抜けたような静けさが流れる。




