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血環 ー大阪・西成、裏社会と少年たちー  作者: 京田 学
第1部 一章 西成第一中学
7/89

記憶

その場に、ふらっと現れた京志は、春也を無表情で見つめていた。


「なんやお前、ちょろちょろすんなや!」


「別に……狭い街や。たまたま通りかかっただけや」


「ああ? ほんならよそから帰れや」


江藤が手首を払うようにして、邪魔くさそうに吐き捨てる。


「なあ、スポーツマン。ボクシングって、こんなんにも耐えられるん?」


川上が鼻血を拭いながらバットを振りかぶる。京志のことなど眼中にない。地面に倒れている春也は、声も出さない。ただ、睨み返す。その目だけは――まったく折れていない。


(……あいつ)


目が合った。


『立て』


脳裏で、古い記憶がノイズのように走る。

自分を見下ろす父・慎吾の瞳。

そこにあるのは、感情のない絶対的な支配。

その視線に心を殺し、ただ目を逸らすしかなかった。


……なのに。

泥と血に塗れた春也の目は、俺とは違う。


視界が白く濁る。唾を呑む音が聞こえた。


無意識に、京志の足が一歩前へでた。


その足音に、江藤の仲間のひとりが気づく。


「お? なんやねん? 新入りぃ、まだ見学すんのか?」


誰もまだ、気づいてない。その目に、殺気が宿ったことに――江藤が苛立ち叫ぶ。


「オイ、なんか言えや春也ァ!」


春也の顔面に蹴りを入れようとした、その瞬間。江藤の腹に、京志の膝が突き刺さる。


息を詰まらせたまま江藤の身体は宙を舞い、地面に叩きつけられた。衝撃音が鳴り響き、数秒間、誰も動けない。沈黙が落ちる。

京志は、地に這いつくばった春也を指差し、静かに言った。


「こいつが弱いんと、お前らが調子乗ってええかどうかは、別の話や」


江藤が倒れたまま呻いている。周りの数人が息を呑む。


「な、なんやコイツ……」 

「江藤を一発で……マジで何者やねん……」

 

京志の目線が、川上に向けられる。ただそれだけで、喉が乾くほどのプレッシャーが襲いかかる。川上は怯えて、バットを地面に落とした。


「……く、くそ……もうええやろ!」

 

震える声で叫ぶと、江藤の腕を掴んで、引きずるようにその場から逃げていった。


残されたのは、夕焼けと砂ぼこり。

春也が立ち上がる。唇が切れて、血が滲んでいた。


「……あんな人数、一人でやれるもんちゃうで」


京志は何も言わない。ただ、じっと春也を見つめている。


「ま……、助かったっちゅうことや。礼は言わんけどな」

 

京志が初めてふっと鼻で笑った。


「俺はただ、目ぇ合うたから動いただけや」


春也は少しだけ驚いたように目を細めた。くしゃくしゃのハンカチで口元を拭う。


「はは……お前――目つき悪いで」


二人の間に、どこか風が抜けたような静けさが流れる。

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